炎暑の国の至高の医師

「待って……!」
 止めるつもりで腕に触れて、そこで彼の異変を感じた。身体が熱い。
「……っ」
「ザンヤ様?」
 声を掛けると同時に、彼が胸を押さえて膝をつくように倒れた。抱えられていた男の身体もどさりと落ちる。
「ザンヤ様!」
 彼の様子にカシンの能力が発動した。心臓だ。彼は胸に病を抱えている。それも、診察しなくても分かるほどよくない。とにかく身体を膝に抱くようにして、発作を抑える術を掛ける。症状が落ち着いたところで、ハクメイを呼びに行こうとして、そこにタイミングよく彼が現れる。
「よかった。呼びに行こうと思っていたのです」
「ザンヤ様の危機は大抵知ることができるのです」
 ハクメイはテレパシーに近い能力が使えると言った。ありがたい能力だ。
「とにかく部屋で休んでもらいたいのです」
「……俺は病人じゃない」
「すみません。少し眠っていてもらいます」
 僅かに残る意識で異議を唱える彼を能力で眠らせてしまった。先程敵に使ったのと同じ麻酔のようなものだ。
「目を覚ましたザンヤ様に叱られてしまうかもしれませんが」
「いえ。無茶をするので困っていたのです。カシン様がいてくれてよかった」
 ザンヤの病気のことを知っているらしいハクメイが、彼を背負いながら眉を下げる。色々と聞きたいことはあるが、それはあとだ。まず一度きちんとザンヤの身体を診たい。
「この男の情報が役に立つかもしれません。部屋を用意してもらえますか?」
 敵の男の怪我を治して使用人に任せたあと、ハクメイの後を追った。彼がドアを開ければ、広さはあるがベッドとテーブルしかないような部屋が広がる。
「このところ動き回ってばかりで碌にお休みになっていなかったのです。眠らせてもらって助かりました」
 ザンヤを下ろしたハクメイに頭を下げられた。簡素だが薄布の天蓋が下がったベッドで、静かに目を閉じる彼を見下ろす。カシンの能力のせいだけでなく、疲れが溜まっていたのだろう。万全でない体調を誤魔化しながら動き回っていれば当然だ。
「診せてもらっていいですか?」
「もちろん。こちらからお願いしたかったのです。この頃は大人しく診察を受けたりなさいませんから、眠っているうちに」
 ハクメイに言われて、ベッドの掛けものを除けた。彼の衣服の胸の部分を少し開いて手を翳す。
「幼少期からずっとよくないのですね」
「ええ。何度も医者に治療してもらっているのですが」
 予想していた病気だから診察はすぐに済んだ。心臓の中の筋肉が普通より厚くて、そのせいで上手く血が巡らないことから、胸痛や動悸や失神を引き起こす病気だ。大抵は軽い症状だが、僅かな確率で年齢を重ねるごとに悪化していく患者がいる。
「私はザンヤ様が生まれたときから一番の側近だったのです。それが、ビャクゲツ様が国の民から批判されるようになった頃、俺のことはいいから、ビャクゲツ様を護ってやれと仰いまして」
 なるほど。身分の高い側近の割に、ザンヤにもビャクゲツにも仕えている理由が分かった。
「俺のことはいい、ですか」
 死を覚悟したような台詞に、胸に湧き上がる感情がある。ザンヤはカシンが至高の医師だと知っていた。それなのに、何故治してもらおうと思わなかったのか。カシンがいると分かったときに、幸運だと思わなかったのか。彼の鋭い目で、この半年間死んだように生きて力が落ちている自分を見抜かれたようで、身体が熱くなる。お前には治せないと言われた気がして、自堕落に生きて無駄にした半年間を激しく後悔する。
「カシン様?」
 表情が厳しくなってしまっていたのだろう。声を掛けられて慌てて心を隠した。
「ザンヤ様の治療がしたい。ただ、私は今能力がベストの状態ではない。力を取り戻すまで、この城で過ごさせてもらえるとありがたいのですが」
「それはこちらからお願いしたいくらいです。どうかザンヤ様を助けてやってください。この若さで亡くなっていいような男ではないのです」
 ハクメイにまた頭を下げられたところで、ベッドの上の気配が動く。
「勝手に余計なことを決めるな」
 寝起きの僅かに掠れた声が、酷く冷たく聞こえた。さっさと身体を起こした彼がベッドを降りようとするのを慌てて止める。
「私の能力が充分でないことを見抜いて、不安に思っているのですね?」
「何?」
「確かに私はこの半年間能力を使わずに過ごしたせいで力が弱まっています。でも一月あれば充分です。一月で力を取り戻す。いえ、二週間で構いません。必ずあなたを完治させる力を取り戻しますから」
 思わず必死になってしまえば、ベッドの縁に留まる彼がふっと笑った。
「男に襲われかけても冷静なお前が、そんな風に必死になるのもいいな」
「……私は真面目な話をしています」
「ああ。俺も大真面目だ」
 そう言って、目覚めた直後よりは気分をよくしたらしい彼が、立ち上がってドアに向かってしまう。
「二週間後に治療をさせてもらいます」
 去っていこうとする彼の背に言葉を向ければ、彼が振り向いて笑った。カシンを馬鹿にするようなものではない。全てを悟って全てを諦めたような静かな笑みだ。
「やめておけ」
「何故です? 私がギョクト様の治療をしたのは知っているでしょう?」
「お前の実力を疑っちゃいない」
「では何故」
「『至高の三度しこうのさんど』」
 遮るように言われて、返す言葉をなくした。何故彼がそれを知っている。あまりにも可能性の低い現象の名を告げられて、カシンの方が動揺してしまう。
「お前に俺の身体は治せない。俺は残りの時間を好きに生きる」
 言い捨てて彼は出ていった。言葉の意味を理解しないハクメイに不安げな顔を向けられるが、今は上手く説明できる気がしない。
「まさか、そんな……」
 人間ごと否定された気がして、彼が出たドアを見つめて立ち尽くした。
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