炎暑の国の至高の医師
おかしな出会いに、今夜はもう眠れないと思ったが、いつのまにか浅い眠りに落ちていた。少しでも眠ればまた過去の夢を見てしまう。
この国の医師の能力者には三つのタイプがある。全ての症状を能力で治すことのできる一位の医師。一つから数種類の症状を能力で治せる二位の医師。能力で治すことはできないが、道具や薬を使って治す三位の医師。一位、二位、三位というのは優劣ではなく単純に種類分けだ。そして一位の医師の中で、三位の医師の力も習得した者を、特別に『至高の医師 』と呼ぶ。
医師の九割が二位の医師、残りのほとんどが三位の医師という割合の中で、カシンとカシンの祖母シュクヤは奇跡に近い確率で一位の医師として生まれた。せっかく一位の力を授かったのだからと、厳しい修業をして至高の医師まで上り詰めたのだ。
一人でやっていく者もいるが、医師の能力者は地域の治療院で学びながら修業を積むことが多かった。治療だけでなく、人との接し方や仲間との協力、多く患者がいるときの優先順位、それに医療器具の価値や国の財政などを学ばせてもらう。治療院としても、能力者が集まれば多種多様の症状を治療できるということで、衣食住の他に、僅かだが給料を貰いながら勉強させてもらう。そんな若い時代の暮らしの中で、カシンは人よりずっと遅い、初めての恋をした。
四つ年上のゼイゲンは二位の医師だった。関節の病を治す能力者で、特に高齢の患者から愛されていた。彼と話すだけで痛みが和らぐ。そう称えられる彼に惹かれた。よく話しよく笑う彼の姿を見るたびに、眩しくてドキドキした。話しかければいいのに、それまでの人生をほぼ祖母との修業に捧げていたカシンは、どこまでも奥手だった。金に近い茶色の髪がきらきらと輝くのを、物陰から眺める。そんな不毛な片思いを終わらせてくれたのが、他でもないゼイゲンだった。資料室に一緒に行こうと誘ってくれて、それからぽつぽつと言葉を交わすようになった。
医師の能力の他に不完全だが飛行能力も持っていた彼は、カシンを家まで送ると言い、途中でよく砂の上に墜落した。何度も詫びられたが、それより身体を抱かれて飛んでいたことでカシンの思考は停止していて、打撲も擦り傷もどうでもよかった。ゼイゲンにとって自分は触れてもいいと思える存在だろうか。そう考えるようになった。そんな淡い恋で終わらせておけば、これほど傷つくこともシュクヤを亡くすこともなかった。懲りずに涙が落ちたところで目を覚ます。
ザンヤとのことは夢だったのかと思ったが、ベッドには剣の跡がついた枕が残っていた。第二王子が王位を継いだ城に、元第一王子も暮らしている。一体どういうことだろうと、また少し悩む。
衣服は用意されていたが、その日も医師の正装でいることにした。治療をする訳ではないのでフロントレットだけ外したところで、コンコンとドアをノックする音がする。開ければメイドが深々と頭を下げた。
「王様と王妃様が、よろしければ食事を一緒にどうかと申しております」
その台詞に驚かされる。王と食事を共にするなど恐れ多い。
「ギョクト様もカシン様と一緒がいいと申しておりまして」
カシンが遠慮するのを読んでいたように彼女が言った。
「彼はよくなりましたか?」
「ええ。カシン様のお陰で、ベッドを出て王妃様の傍におります」
それを聞いて安堵した。
「分かりました。ご一緒します」
カシンは昔から子どもが好きで、子どもの頼みごとには弱かった。また毒を盛る者がいないか、見張っておきたいという気持ちもある。メイドが柔らかく微笑んでダイニングルームまで案内してくれる。既に王と王妃が席に着き、王妃の隣にはギョクトも座っていた。赤の絨毯の上に、この地特有の、動物の顔や手足の装飾が施されたテーブルと椅子。よく見ればパティオにあったものと同じ犬だと分かった。手の込んだものだが華美な印象はなく、いいものを手入れさせて長く使っているような印象だ。
「頭を上げてくれ。呼び出して悪かった。だがギョクトがどうしてもと言うのでな」
テーブルに近づく前に頭を下げれば、ビャクゲツが手のひらを見せるようにして席を勧めてくれた。念のため王の後ろに控えているハクメイに目を遣れば、彼も柔らかく笑んで促してくれる。
「口に合えばいいのだが」
この国で長く続けられている食事前の祈りを捧げれば、すぐに温かな紅茶が運ばれてきた。その後運ばれてきた料理を、勧められるままありがたくいただく。庶民には馴染みのない貴重な小麦のパンや、羊肉や魚料理。カシンが完全に治してしまったが、一応病み上がりのギョクトの前にだけ、薬草を使ったスープが置かれている。普通こんなときは別室でメイドに子どもの世話を任せるのだろうが、事情が事情だから食事中は特に目を離したくないのだろう。嫌がるかと思ったギョクトは自分の状況をよく分かっていて、大人しく自分の前に出されたスープを口にする。その様子がいじらしい。
「兄上は部屋にいるのか?」
「いえ。また街に出てしまったようです。カシン様がご一緒ですので、お誘いしたかったのですが」
カシンに興味があるらしく、時々こちらに目を向けるギョクトと表情で会話をしていて、ぴくりと彼らのやりとりに反応してしまった。昨夜出ていったまま戻っていないのか、一度戻ってまた出掛けていったのか。どちらにせよ身体によくない。ただ、ビャクゲツやハクメイの言い方から、特に現王と仲が悪い訳ではないらしいことは伝わってくる。
「城の畑の葡萄で作った葡萄酒がある。少し飲んでみるか?」
「いえ、とんでもない」
ザンヤについて考えていたところに声を掛けられて、慌てて辞退した。葡萄酒は神に捧げる飲みもので、王家や神殿のごく限られた人間しか口にできない。それに正常な判断ができなくなるものは口にしないというのが、医師の能力者の暗黙のルールだったりするのだ。
「それなら好きなものを食べてゆっくりしてくれ。ギョクトを治療してくれたことは、いくら感謝しても足りないからな」
この国の医師の能力者には三つのタイプがある。全ての症状を能力で治すことのできる一位の医師。一つから数種類の症状を能力で治せる二位の医師。能力で治すことはできないが、道具や薬を使って治す三位の医師。一位、二位、三位というのは優劣ではなく単純に種類分けだ。そして一位の医師の中で、三位の医師の力も習得した者を、特別に『
医師の九割が二位の医師、残りのほとんどが三位の医師という割合の中で、カシンとカシンの祖母シュクヤは奇跡に近い確率で一位の医師として生まれた。せっかく一位の力を授かったのだからと、厳しい修業をして至高の医師まで上り詰めたのだ。
一人でやっていく者もいるが、医師の能力者は地域の治療院で学びながら修業を積むことが多かった。治療だけでなく、人との接し方や仲間との協力、多く患者がいるときの優先順位、それに医療器具の価値や国の財政などを学ばせてもらう。治療院としても、能力者が集まれば多種多様の症状を治療できるということで、衣食住の他に、僅かだが給料を貰いながら勉強させてもらう。そんな若い時代の暮らしの中で、カシンは人よりずっと遅い、初めての恋をした。
四つ年上のゼイゲンは二位の医師だった。関節の病を治す能力者で、特に高齢の患者から愛されていた。彼と話すだけで痛みが和らぐ。そう称えられる彼に惹かれた。よく話しよく笑う彼の姿を見るたびに、眩しくてドキドキした。話しかければいいのに、それまでの人生をほぼ祖母との修業に捧げていたカシンは、どこまでも奥手だった。金に近い茶色の髪がきらきらと輝くのを、物陰から眺める。そんな不毛な片思いを終わらせてくれたのが、他でもないゼイゲンだった。資料室に一緒に行こうと誘ってくれて、それからぽつぽつと言葉を交わすようになった。
医師の能力の他に不完全だが飛行能力も持っていた彼は、カシンを家まで送ると言い、途中でよく砂の上に墜落した。何度も詫びられたが、それより身体を抱かれて飛んでいたことでカシンの思考は停止していて、打撲も擦り傷もどうでもよかった。ゼイゲンにとって自分は触れてもいいと思える存在だろうか。そう考えるようになった。そんな淡い恋で終わらせておけば、これほど傷つくこともシュクヤを亡くすこともなかった。懲りずに涙が落ちたところで目を覚ます。
ザンヤとのことは夢だったのかと思ったが、ベッドには剣の跡がついた枕が残っていた。第二王子が王位を継いだ城に、元第一王子も暮らしている。一体どういうことだろうと、また少し悩む。
衣服は用意されていたが、その日も医師の正装でいることにした。治療をする訳ではないのでフロントレットだけ外したところで、コンコンとドアをノックする音がする。開ければメイドが深々と頭を下げた。
「王様と王妃様が、よろしければ食事を一緒にどうかと申しております」
その台詞に驚かされる。王と食事を共にするなど恐れ多い。
「ギョクト様もカシン様と一緒がいいと申しておりまして」
カシンが遠慮するのを読んでいたように彼女が言った。
「彼はよくなりましたか?」
「ええ。カシン様のお陰で、ベッドを出て王妃様の傍におります」
それを聞いて安堵した。
「分かりました。ご一緒します」
カシンは昔から子どもが好きで、子どもの頼みごとには弱かった。また毒を盛る者がいないか、見張っておきたいという気持ちもある。メイドが柔らかく微笑んでダイニングルームまで案内してくれる。既に王と王妃が席に着き、王妃の隣にはギョクトも座っていた。赤の絨毯の上に、この地特有の、動物の顔や手足の装飾が施されたテーブルと椅子。よく見ればパティオにあったものと同じ犬だと分かった。手の込んだものだが華美な印象はなく、いいものを手入れさせて長く使っているような印象だ。
「頭を上げてくれ。呼び出して悪かった。だがギョクトがどうしてもと言うのでな」
テーブルに近づく前に頭を下げれば、ビャクゲツが手のひらを見せるようにして席を勧めてくれた。念のため王の後ろに控えているハクメイに目を遣れば、彼も柔らかく笑んで促してくれる。
「口に合えばいいのだが」
この国で長く続けられている食事前の祈りを捧げれば、すぐに温かな紅茶が運ばれてきた。その後運ばれてきた料理を、勧められるままありがたくいただく。庶民には馴染みのない貴重な小麦のパンや、羊肉や魚料理。カシンが完全に治してしまったが、一応病み上がりのギョクトの前にだけ、薬草を使ったスープが置かれている。普通こんなときは別室でメイドに子どもの世話を任せるのだろうが、事情が事情だから食事中は特に目を離したくないのだろう。嫌がるかと思ったギョクトは自分の状況をよく分かっていて、大人しく自分の前に出されたスープを口にする。その様子がいじらしい。
「兄上は部屋にいるのか?」
「いえ。また街に出てしまったようです。カシン様がご一緒ですので、お誘いしたかったのですが」
カシンに興味があるらしく、時々こちらに目を向けるギョクトと表情で会話をしていて、ぴくりと彼らのやりとりに反応してしまった。昨夜出ていったまま戻っていないのか、一度戻ってまた出掛けていったのか。どちらにせよ身体によくない。ただ、ビャクゲツやハクメイの言い方から、特に現王と仲が悪い訳ではないらしいことは伝わってくる。
「城の畑の葡萄で作った葡萄酒がある。少し飲んでみるか?」
「いえ、とんでもない」
ザンヤについて考えていたところに声を掛けられて、慌てて辞退した。葡萄酒は神に捧げる飲みもので、王家や神殿のごく限られた人間しか口にできない。それに正常な判断ができなくなるものは口にしないというのが、医師の能力者の暗黙のルールだったりするのだ。
「それなら好きなものを食べてゆっくりしてくれ。ギョクトを治療してくれたことは、いくら感謝しても足りないからな」