炎暑の国の至高の医師

 すぐに必要なものが全て揃った部屋が用意された。優秀な被服の能力者がいるのか、衣装棚には既にカシンの身体に合わせた衣服がいくつか用意されている。しばらく寛いでくれと言われて、とりあえず浴室を使わせてもらった。湯を運んでもらって身を清める。灼熱の地でも水の能力者がいるから、この国では水に困ることがない。それでも、簡易なものとはいえ浴室がある部屋を持てるなんて流石王族だと思う。
 沐浴を済ますと食事が運ばれてきて、何不自由のない時間を過ごすことになった。ギョクトは安静にしているから、今夜は一人でゆっくりしていればいいのだろうか。
 だがその夜早速、この城の秘密の一つに出会うことになった。
 一人では広すぎるベッドで、夢の中にいた時間。見る夢は決まっている。結婚したいと思うほど好きだった男の夢。懲りずに涙を流してしまって、意識が戻ったところで感じた重みにひやりとした。誰かが自分に覆い被さっている。
「お目覚めか? 侵入者にしては出来が悪いな」
 暗がりで正体の分からないものに低い声を向けられて、死を覚悟するほどの恐怖に襲われた。
「……何者です?」
「侵入者に名乗る義理はない」
 カシンを悪者と決めつける言い方で言って、彼ががっちりと両手首を掴んでくる。自分より一回り大きな身体に伸し掛かられて、身動きができない。
「なんの目的があって城に侵入した? 誰の差し金だ?」
 耳元に唇を寄せて囁かれて、身体がぞくりと震える。
「私はギョクト様の病を治しに来た医師です。しばらく滞在するように言ったのもビャクゲツ様ですから、侵入者呼ばわりされる覚えはない」
 なんとか冷静な声で返すが、相手はクッと笑って返すだけだ。
「まぁ、敵が敵と認める訳がないな。それなら吐かせるまでだ」
「……!!」
 言葉と共に、枕にグサリと剣が突き刺さった。少しずれればカシンの顔を潰していたというのに、彼には僅かな躊躇いもない。
「動じないんだな」
「……っ! 何をする!」
 殺されるかと思ったのに、彼はカシンの身体に触れてきた。寝間着代わりのローブの前を開けて、彼の指がじかに肌を撫でていく。
「……っ」
「感じやすいんだな」
 男にこうするのが初めてではないのか、彼の手はどこまでも器用だった。胸を撫でられれば顔を逸らして声を堪える羽目になる。脇腹をなぞった指先が背中を下りていく。そこではっとした。この暑い国では素肌の上に布を纏うのが一般的で、一枚布を取り去れば生まれたままの姿を晒すことになる。これ以上触れられる筋合いはない。
「なんのつもりです!」
 彼の胸を押して声を上げた。すぐ傍の剣に怯えている場合ではない。このままでは身体を好きにされてしまう。
「浸りそうだったくせに強がるな。お前、男の相手が初めてではないな」
 侮辱のつもりで言ったのだろう。だがそんな挑発に乗るカシンではない。
「以前の恋人が男性ですので、経験がない訳ではありません。でもそれがあなたが私を襲っていい理由にはならない」
 身体を起こしてローブの胸を掻き合わせれば、目の前の彼がまた笑った。そこで僅かに意識を飛ばすようにして、部屋の隅のランプを灯してやる。医師の能力しか持たないカシンでもこれくらいはできる。明るくなっても顔を隠すこともしない男に目を向けて、そこで驚いた。
「ザンヤ様」
 直前までされていた無礼も忘れて頭を下げる。弱いオレンジの光を反射して輝く黒髪。理想的な筋肉のついた身体に、きつめの瞳に意思の強そうな眉。綺麗に通った鼻筋の下に、厚めで不思議な色気のある唇が、一分の狂いもなく収まっている。彼は前王の長男で、ビャクゲツの兄ザンヤだった。第一王子として育てられた彼だから、カシンもパレードで何度も姿を見てきた。前王が亡くなり次男のビャクゲツが王位を継ぐまで、彼が王位を継ぐものと思われてきたのだ。現王の姿や人柄が民によく知られていないのはそういう事情だ。
「俺のことを知っていてくれたとは光栄だな」
「この国の第一王子だったのだから当然です」
 ベッドを降りようとして止められる。彼が瞬けば、枕元に刺されていた剣が消えた。彼は剣を自在に操る能力者らしい。出したり消したりは当然で、剣を使った戦闘能力を持つのだろう。王族にしては物騒な能力だが、王位を反対されるほどのことではない。今やっていることは突飛だが、身形にも物言いにも問題はないように見える。それなら王位を弟に譲った理由はなんだろう。
「侵入者は脅すか抱くかの二択なんだが、どうやら悪人ではないらしいな」
「物騒な二択ですね」
 普通なら気軽に言葉を交わせる身分ではない男に、呆れてつい零れる。
「効率がいいんだよ。殺すと言って脅して吐かなければ本当に殺せばいいし、抱いて快楽を餌に吐かせるのもいい」
「誰彼構わず抱いてしまえる訳ですか」
「まさか。俺にも好みはある」
「……それはそれは」
 皮肉のつもりが宣言されて、調子が狂ってしまう。
「さっきも言った通り、私はギョクト様の病を治しに来た医師です。城から去れというなら去るまでです」
 隠すことはないから、部屋の残りのランプも全て灯してやる。すっかり明るくなったところで、ベッドの上で膝立ちの姿勢でいた彼の顔が、はっとしたように動いた。
「お前、至高の医師か?」
 問われて瞬く。
「そうですが、何故知っているのです?」
 カシンがこうして城に来るのは初めてだ。王族は国の民が治療にやってくる治療院に来ることもないから、会ったことはない。
「いや……」
 そこは濁して、彼は軽い身のこなしでベッドを降りると、窓の方へと向かってしまう。そんな彼の様子に、カシンの勘と能力が研ぎ澄まされる。
「夜は眠った方が身体のためです」
「いい大人がどこへ行こうと勝手だろ?」
「普通の身体ならば。でもあなたは体調がよくない」
 こんな夜中に窓を開けて出て行こうとする彼に、言わずにはいられなかった。振り向いた彼に鋭い目を向けられて、また剣を向けられるのを覚悟した。だが彼は不敵に笑って背を向けてしまう。
「俺は国王じゃない。余計なお世話だ」
「待って、ザンヤ様!」
 思わず立ち上がって掛けた言葉は、闇に消えていく彼には届かなかった。だが否定はされていない。国王一家の他に、もう一つ気になることができてしまった。
「せめて護衛くらいつければいいのに」
 月明かりに照らされて果てしなく続く砂の地を眺めながら、思わずそう呟いていた。
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