炎暑の国の至高の医師

 まだ仄明るい時間に街の灯りが増えていく。そんな贅沢な時間に、カシンは露店を見に出歩くようになった。
 午前中は修業をして、午後は自分のところにやってきた患者を診る。ビャクゲツが城の敷地内にカシンの病院を造ってくれたから、ありがたく使わせてもらっている。国王一家が住む本邸からは少し距離があるが、好きなときにパティオが見られて、ギョクトも会いに来てくれる場所に棲家を変えることにした。恐れ多い気もするが、ザンヤとギョクトの強い勧めで、居心地のいい場所で暮らしている。弟の優秀な補佐兼護衛として働いているザンヤが、時々やってきて共に時を過ごしてくれる。
 相変わらず診療時間以外は修業ばかりしているようなカシンだが、お前は頑張りすぎだと言われて、夜は仕事のことを考えない時間にすると決めた。ありがたいことに、街に出るときにはフェイスベール姿のザンヤが付き添ってくれる。
 あれから、ムラギリは国外追放になった。ビャクゲツは特定の人間に作用する結界の能力を持っていて、彼が術を解かない限り、ムラギリはセイオンの国には二度と入れないのだという。国外追放など甘いと言う者もいたが、実際それほど簡単なことではない。広大な砂漠の国で生きてきた者が、未知の世界に置き去りにされるようなものなのだ。ここで暮らすのは嫌だと思っても、もう帰る場所はない。国王の傍で裕福に暮らしてきたような人間には余計に堪えるだろう。
「お前が途中で心を入れ替えていたら、知らないフリでいようと思った。だがもう許すことはできない」
 そう言ったビャクゲツは、いつもの温厚な彼ではなかった。私欲のために国の民を利用されたのだから当然だ。やはり国王なのだと思う。ザンヤは病が完治したあとも王位を取り戻すつもりはないと宣言しているので、彼と共に、少しでもビャクゲツの役に立てるように暮らしていけたらいいと思っている。呪術が解けたあとの国の人間も、みな同じ気持ちだ。
「なぁ、本当に欲しいものはないのか? 護ると言っておきながら、とんでもない迷惑を掛けてしまったからな」
「もうそれは言わない約束ですよ、ザンヤ様」
 実は何もかも上手くいった訳ではない。四度目の治療の後遺症なのか、カシンは一位の医師の力をなくしてしまった。至高の医師から三位の医師に位が変わってしまったのだ。正確には完全になくした訳ではなく、ごく僅かだが病を治す能力が残っているから、修業を続ければいずれ至高の医師に戻れるだろうが、ザンヤはすっかり気に病んでしまっている。
「三位の医師でも治せる患者は多くいますし、また少しずつ頑張っていけばいいだけです。何も悩むことはありません」
 それはカシンの本心だ。自分が三位の医師になってみて、過去の自分は間違っていなかったと思えるようになった。どんな立場でも人を妬むかどうかはその人次第で、自分を責める必要はなかったと、気持ちが楽になって、逆に感謝したいくらいだ。
「それとも、至高の医師でなければ好きにならなかったと言うのですか?」
 意地悪を言ってやれば、途端に彼が不敵顔になる。
「そんな訳ないだろ。位がどうだろうと、俺はカシンを好きになった」
「ありがたいことです」
 彼の機嫌を直すために薄布の上衣を掴めば、彼が肩から腕を回してくれる。戯れに髪を撫でられて、擽ったさに笑みが零れる。
「ゆり玉石の店があるな。ギョクトに買っていくか」
「はい」
「カシンにも買ってやる」
「では、特別綺麗な石で」
 明日は漸く上手く投げられるようになったゆり玉を披露しよう。そうしてザンヤに褒めてもらって甘えさせてもらおう。以前より少し柔らかくなった心で、夜の暑さを和らげる風に吹かれながら、カシンは大切な恋人に身を寄せるのだった。


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