炎暑の国の至高の医師
ハクメイとやってきたギョクトが両親と抱き合ったところで、カシンは漸く外に出た。城からずっと離れたところで、炎が燃え上がる赤が見える。ムラギリが炎の使い手ならザンヤが不利だ。胸が締めつけられるような不安を抱えて走るカシンを、あとからやってきたハクメイが抱えて運んでくれる。彼らが見える位置で降ろしてもらえば、視線の先に炎の輪に囲まれて対峙する姿があった。使い手のムラギリは炎に触れても熱くないのだろう。ザンヤの方は熱の中で辛そうだ。呼吸が乱れているのが分かる。熱気の中で息が上手くできないのだと分かって堪らなくなる。
「う……っ」
駆け寄ろうとして、炎の熱気に押し返された。皮膚を焼くような熱さと壁のような空気の層に、それ以上近付くことができない。ハクメイがぶつけた水もすぐに蒸発して、更に周りを熱くしてしまう。
ただ見ているしかできない炎の輪の中で、ムラギリがザンヤに向かって炎を放った。
「ザンヤ様!」
グリップが熱で融けるのを目にして思わず声を上げる。熱さに耐えて彼のもとに向かおうとして、熱波に跳ね返される。倒れて必死で顔を上げれば、見える筈がないのに、ザンヤが笑ってみせたような気がした。
心配するな。俺はこんな男に殺されたりしない。
そう聞こえた気がして、堪らず胸の前で指を組んで祈る。途端に炎の我が暴発する。
「ザンヤ様!」
反射的に顔を庇った腕を除ければ、炎の消えた砂の上で向き合う二人の姿があった。ザンヤは全身に火傷をしている。だが彼が剣身を握りしめた刀が、ムラギリの右肩を貫通している。二人で微動だにせずにいたが、ザンヤが剣を抜いた瞬間ムラギリがばたりと前に倒れた。砂が舞った瞬間熱気が消えて、はっとして二人のもとに駆けていく。
「悪いがこいつの治療をしてやってくれ。こいつの処分をするのはビャクゲツだ。まだ死んでもらっちゃ困る」
ザンヤに言われてムラギリの傷を治しながら、今更身体が震え出した。ザンヤは強かった。彼は生きている。そのことに安堵する。だが彼も酷い火傷を負っている。治してやらなければと、思ったときにはもう彼の姿はない。
「部屋に戻られたようです。ムラギリは私が運びますから、ザンヤ様のところに行ってあげてください」
ハクメイに言われて正気を取り戻した。器用に、眠るムラギリとカシンを建物まで運んでくれた彼に礼を言って、ザンヤの部屋へ急ぐ。
「ザンヤ様?」
叩いても返事がないドアを開けて入って、目にしたものに血の気が引いた。
「ザンヤ様、しっかりしてください!」
彼がベッドに寄りかかって、弱く息を吐いている。
「持って三ヵ月という話だったけど、俺は一週間くらいしか持たなかったみたいだな」
手を翳すまでもなく、彼の心臓が弱っているのが分かる。
「でも悔いはない。これでビャクゲツは国の人間から慕われる国王に戻れる。俺も悪人にならずに死んでいける」
「至高の医師の前で、勝手に死ぬなどと言わないでください!」
声が上がる。だがそんなカシンに、彼は弱く笑うだけだ。
「残念だな。俺ならカシンの恋人に相応しいのに。それだけが心残り……」
言葉の途中で意識を落としてしまった彼の姿に、カシンの中で全てのものが振りきれる。ダメだ。嫌だ。彼を死なせたくない。伝説通りになどさせたくない。想いと共に、身体中から力が溢れ出す。
四度目の術を掛けることに躊躇いはなかった。指先に力を籠めたところで、ふと、祖母から伝わるゆり玉歌を思い出す。四度投げるは命を懸けて。あれは至高の三度のことを歌った歌だったのだ。命を失うとは言っていない。だから助けられる。命を懸けて治せばいい。そんな思いで術を放つ。
「……っ」
だが術が彼の身体を包む前に跳ね返って、術師のカシンを襲った。頬と剥き出しの腕が切れて、血が流れ出す。めげずに繰り返すが、カシンの怪我が酷くなっていくだけだ。
「どうすればいい」
痛みが酷くなれば力を集中させることも難しくなる。落ち着け。たった一人を治せなくてどうする。なんのために至高の医師の修業をしてきたのだと息を吐いて、状況を好転させる手掛かりを探す。
「お祖母様、どうか力を」
よき理解者だったシュクヤの姿を思い出す。彼女は夫のゲッカを治せなかった。自分は死んでも彼を治してやりたいと思う気持ちを読まれて、ゲッカに止められた。彼の死に苦しんだシュクヤは、そこで至高の医師を降りてしまう。ずっと誰よりも尊敬してきたシュクヤだが、同じ道は辿りたくない。ザンヤを死なせたくない。医師を辞めたくない。自分だって死にたくないのだ。
望みは、ザンヤと共に生きて幸せになること。
霧が晴れたように気持ちがはっきりした。途端にこれまでにない力が集まる。
これが最後だ。そう分かる力を指先に集中させて放った。彼の身体を包んで馴染んでいく。どうかそのまま治してくれ。そんなカシンの願いに反して、彼を包む光が離れかける。並の力ではない。跳ね返れば自分も無事ではいられない。だが逃げはしない。自身に返る力を覚悟して、指を組んで目を閉じる。
「……っ」
覚悟した衝撃と痛みはやってこなかった。目を開ければ、胸に下げていた石がカシンの力を集めて、またザンヤの身体に放つのが分かる。ギョクトの石だ。ロカ王妃の力と、ザンヤの力も籠っている。
「ザンヤ様!」
倍増した力に声を上げたところで、その力がもう一度彼の身体を包んだ。染み込むように身体に馴染んでいく。今度は離れずに、弱った心臓を治していく。彼の身体が力を取り戻していく。
「……やった」
「う……っ」
駆け寄ろうとして、炎の熱気に押し返された。皮膚を焼くような熱さと壁のような空気の層に、それ以上近付くことができない。ハクメイがぶつけた水もすぐに蒸発して、更に周りを熱くしてしまう。
ただ見ているしかできない炎の輪の中で、ムラギリがザンヤに向かって炎を放った。
「ザンヤ様!」
グリップが熱で融けるのを目にして思わず声を上げる。熱さに耐えて彼のもとに向かおうとして、熱波に跳ね返される。倒れて必死で顔を上げれば、見える筈がないのに、ザンヤが笑ってみせたような気がした。
心配するな。俺はこんな男に殺されたりしない。
そう聞こえた気がして、堪らず胸の前で指を組んで祈る。途端に炎の我が暴発する。
「ザンヤ様!」
反射的に顔を庇った腕を除ければ、炎の消えた砂の上で向き合う二人の姿があった。ザンヤは全身に火傷をしている。だが彼が剣身を握りしめた刀が、ムラギリの右肩を貫通している。二人で微動だにせずにいたが、ザンヤが剣を抜いた瞬間ムラギリがばたりと前に倒れた。砂が舞った瞬間熱気が消えて、はっとして二人のもとに駆けていく。
「悪いがこいつの治療をしてやってくれ。こいつの処分をするのはビャクゲツだ。まだ死んでもらっちゃ困る」
ザンヤに言われてムラギリの傷を治しながら、今更身体が震え出した。ザンヤは強かった。彼は生きている。そのことに安堵する。だが彼も酷い火傷を負っている。治してやらなければと、思ったときにはもう彼の姿はない。
「部屋に戻られたようです。ムラギリは私が運びますから、ザンヤ様のところに行ってあげてください」
ハクメイに言われて正気を取り戻した。器用に、眠るムラギリとカシンを建物まで運んでくれた彼に礼を言って、ザンヤの部屋へ急ぐ。
「ザンヤ様?」
叩いても返事がないドアを開けて入って、目にしたものに血の気が引いた。
「ザンヤ様、しっかりしてください!」
彼がベッドに寄りかかって、弱く息を吐いている。
「持って三ヵ月という話だったけど、俺は一週間くらいしか持たなかったみたいだな」
手を翳すまでもなく、彼の心臓が弱っているのが分かる。
「でも悔いはない。これでビャクゲツは国の人間から慕われる国王に戻れる。俺も悪人にならずに死んでいける」
「至高の医師の前で、勝手に死ぬなどと言わないでください!」
声が上がる。だがそんなカシンに、彼は弱く笑うだけだ。
「残念だな。俺ならカシンの恋人に相応しいのに。それだけが心残り……」
言葉の途中で意識を落としてしまった彼の姿に、カシンの中で全てのものが振りきれる。ダメだ。嫌だ。彼を死なせたくない。伝説通りになどさせたくない。想いと共に、身体中から力が溢れ出す。
四度目の術を掛けることに躊躇いはなかった。指先に力を籠めたところで、ふと、祖母から伝わるゆり玉歌を思い出す。四度投げるは命を懸けて。あれは至高の三度のことを歌った歌だったのだ。命を失うとは言っていない。だから助けられる。命を懸けて治せばいい。そんな思いで術を放つ。
「……っ」
だが術が彼の身体を包む前に跳ね返って、術師のカシンを襲った。頬と剥き出しの腕が切れて、血が流れ出す。めげずに繰り返すが、カシンの怪我が酷くなっていくだけだ。
「どうすればいい」
痛みが酷くなれば力を集中させることも難しくなる。落ち着け。たった一人を治せなくてどうする。なんのために至高の医師の修業をしてきたのだと息を吐いて、状況を好転させる手掛かりを探す。
「お祖母様、どうか力を」
よき理解者だったシュクヤの姿を思い出す。彼女は夫のゲッカを治せなかった。自分は死んでも彼を治してやりたいと思う気持ちを読まれて、ゲッカに止められた。彼の死に苦しんだシュクヤは、そこで至高の医師を降りてしまう。ずっと誰よりも尊敬してきたシュクヤだが、同じ道は辿りたくない。ザンヤを死なせたくない。医師を辞めたくない。自分だって死にたくないのだ。
望みは、ザンヤと共に生きて幸せになること。
霧が晴れたように気持ちがはっきりした。途端にこれまでにない力が集まる。
これが最後だ。そう分かる力を指先に集中させて放った。彼の身体を包んで馴染んでいく。どうかそのまま治してくれ。そんなカシンの願いに反して、彼を包む光が離れかける。並の力ではない。跳ね返れば自分も無事ではいられない。だが逃げはしない。自身に返る力を覚悟して、指を組んで目を閉じる。
「……っ」
覚悟した衝撃と痛みはやってこなかった。目を開ければ、胸に下げていた石がカシンの力を集めて、またザンヤの身体に放つのが分かる。ギョクトの石だ。ロカ王妃の力と、ザンヤの力も籠っている。
「ザンヤ様!」
倍増した力に声を上げたところで、その力がもう一度彼の身体を包んだ。染み込むように身体に馴染んでいく。今度は離れずに、弱った心臓を治していく。彼の身体が力を取り戻していく。
「……やった」