炎暑の国の至高の医師
そう言われて、一つに縛って垂らしていた髪を持ち上げれば、後ろに回った彼が首の後ろで留めてくれた。
「いいな。俺のセンスもなかなかだろ?」
なかなかどころか、目の前で一瞬で作られたのが信じられないような出来だ。装飾品は至高の医師のフロントレットしか知らないようなカシンには恐れ多い。
「お前を護ってくれるものだから、こうしてぶら下げておけ」
「はい」
それでも、素直に受け取ることにした。シュクヤが昔言ってくれた。露店で大切な人に何か一つ買ってあげられるような、そんな人生になるといいと。逆に買ってもらう立場になってしまったけれど、今自分は幸せだと、そう確かに思える。
「俺は悪人になって死んでいくつもりだったんだ」
肩から腕を回され素直に身体を預けていたが、彼が白状するように告げた台詞に、思い切りその腕を払ってしまった。ムードがないと笑われようと、聞き流せるものではない。
「悪人になるとはどういうことです?」
つい口調を強めてしまえば、彼が星の夜空を見上げて苦笑する。
「悪人の身代わりだ。もし黒幕の正体が掴めないまま寿命を迎えそうだったら、王室の財産を浪費して、国の民を苦しめていたのは現国王の兄で、処罰された。だから王位を継げなかったという筋書きで死んでいく。そうすればビャクゲツの評価は回復する。俺は死んでから何を言われようと構わないし、本当の黒幕は後からハクメイたちに探して抑えてもらえばいいと思ってな」
「そんな」
弟を思う彼の気持ちは分かる。だがそれではあんまりだ。
「でも気が変わった」
彼の横顔が、彼らしい強さを取り戻す。眉が上がって、いつかパレードで見た次期国王の彼を思い出させる。
「俺は格好よく死んでいく。カシンに、あんないい男はいなかったと思ってもらえるような男でいたい」
「……私は、あなたが死ぬことを認めてはいない」
思わず本音が零れた。
「私は思い違いをしていた。でも、まだあなたが死ぬと決まった訳ではない」
「カシン」
まるで子どもの我が侭を宥めるように抱きしめられる。
「『至高の三度』は経験した人間があまりにも少ない。本当は偶々起こったことをそれらしく語っているだけなのかもしれない。ザンヤ様はもう完治して、普通の人間と変わらないのかもしれない。そうでしょう?」
「そうだな」
彼の言葉がどこまでも大人で、自分の情けなさに涙が落ちる。
「私は失敗なんてしていない。ザンヤ様は助かって幸せに暮らす。どうしてそれではいけないのです」
彼の心臓が、完治ではなく術で抑えられているだけだと、もう分かっている。『至高の三度』の夜から、また少しずつ悪くなっていることも。シュクヤがゲッカを助けられなかった話も、誰より聞いている。それなのに情けなく現実逃避してしまう。シュクヤにすらこんなに甘えた態度を取ったことはなかったのに、体裁など繕えないほど、カシンはザンヤを失いたくない。
「カシン」
ザンヤは黙ってカシンの言うことを聞いて、髪を撫で続けた。
「俺は『至高の三度』が成立したとき、ちょっと悔しかったんだ」
カシンが落ち着くのを待って、彼が静かに告げる。寿命が決まってしまったのだから、それは悔しいだろうと、そんなカシンの誤解を解くように、身体を離した彼がカシンの目を覗き込むようにして見つめてくる。
「歳の差は六歳。カシンが生まれる前にシュクヤが治療をしていたかもしれない。頭のいいカシンだ。普通は気づかない筈がない。それでも、その可能性を見逃してしまったのは、まだ失恋の傷を引き摺っていたからなのかなって」
「そんなことは」
「ないとは言い切れないだろ?」
確かにそうだ。
「カシンの心をそこまで奪える男というのに嫉妬した。そこまで惚れられておいて、酷い振り方をしたなんて、許せないってな」
寿命が決まった瞬間に考えることではない。けれど彼の台詞に自分への好意のようなものを感じて、鼓動を速めている自分もいる。
「俺はカシンの能力に嫉妬したりしない。カシンを幸せにできる。そう思ったら、死ぬのが惜しくなった」
結局はそこに辿り着く。だが彼の声は決して悲観していない。
「王位を諦めた頃から、いつ死んでもいいと思ってきた。でも、俺も死にたくないという気持ちを持つことができた。そんな気持ちにさせてくれたカシンを大事だと思う。残酷なことを言っているのは分かっているけど」
「いいえ」
彼が腕を広げてくれるから、カシンも身体を寄せる。強く抱きしめてくれるから、今度はカシンも抱き返す。この人が好きだと、漸くその気持ちに気がつく。彼のお陰で、ゼイゲンの呪縛から逃れることができた。せっかく見つけた大切なものを失いたくない。やはり四度目の治療を諦めたくない。誰に何を言われてもいい。自分はこの男を回復させる。彼の腕の中で、この国の太陽のように熱い気持ちが湧き上がるのを感じる。
「ザンヤ様」
想いを告げようとしたところで、人の気配が近づくのが分かった。ザンヤから身体を離して見れば、ハクメイがこちらに駆けてくる。
「こちらにおられましたか」
「何かあったか?」
ザンヤが問えば、傍に来たハクメイが難しい顔で告げる。
「コクネツが上申したそうです。城の中に黒幕がいる、と」
その言葉に、思わずザンヤと顔を見合わせてしまった。
「いいな。俺のセンスもなかなかだろ?」
なかなかどころか、目の前で一瞬で作られたのが信じられないような出来だ。装飾品は至高の医師のフロントレットしか知らないようなカシンには恐れ多い。
「お前を護ってくれるものだから、こうしてぶら下げておけ」
「はい」
それでも、素直に受け取ることにした。シュクヤが昔言ってくれた。露店で大切な人に何か一つ買ってあげられるような、そんな人生になるといいと。逆に買ってもらう立場になってしまったけれど、今自分は幸せだと、そう確かに思える。
「俺は悪人になって死んでいくつもりだったんだ」
肩から腕を回され素直に身体を預けていたが、彼が白状するように告げた台詞に、思い切りその腕を払ってしまった。ムードがないと笑われようと、聞き流せるものではない。
「悪人になるとはどういうことです?」
つい口調を強めてしまえば、彼が星の夜空を見上げて苦笑する。
「悪人の身代わりだ。もし黒幕の正体が掴めないまま寿命を迎えそうだったら、王室の財産を浪費して、国の民を苦しめていたのは現国王の兄で、処罰された。だから王位を継げなかったという筋書きで死んでいく。そうすればビャクゲツの評価は回復する。俺は死んでから何を言われようと構わないし、本当の黒幕は後からハクメイたちに探して抑えてもらえばいいと思ってな」
「そんな」
弟を思う彼の気持ちは分かる。だがそれではあんまりだ。
「でも気が変わった」
彼の横顔が、彼らしい強さを取り戻す。眉が上がって、いつかパレードで見た次期国王の彼を思い出させる。
「俺は格好よく死んでいく。カシンに、あんないい男はいなかったと思ってもらえるような男でいたい」
「……私は、あなたが死ぬことを認めてはいない」
思わず本音が零れた。
「私は思い違いをしていた。でも、まだあなたが死ぬと決まった訳ではない」
「カシン」
まるで子どもの我が侭を宥めるように抱きしめられる。
「『至高の三度』は経験した人間があまりにも少ない。本当は偶々起こったことをそれらしく語っているだけなのかもしれない。ザンヤ様はもう完治して、普通の人間と変わらないのかもしれない。そうでしょう?」
「そうだな」
彼の言葉がどこまでも大人で、自分の情けなさに涙が落ちる。
「私は失敗なんてしていない。ザンヤ様は助かって幸せに暮らす。どうしてそれではいけないのです」
彼の心臓が、完治ではなく術で抑えられているだけだと、もう分かっている。『至高の三度』の夜から、また少しずつ悪くなっていることも。シュクヤがゲッカを助けられなかった話も、誰より聞いている。それなのに情けなく現実逃避してしまう。シュクヤにすらこんなに甘えた態度を取ったことはなかったのに、体裁など繕えないほど、カシンはザンヤを失いたくない。
「カシン」
ザンヤは黙ってカシンの言うことを聞いて、髪を撫で続けた。
「俺は『至高の三度』が成立したとき、ちょっと悔しかったんだ」
カシンが落ち着くのを待って、彼が静かに告げる。寿命が決まってしまったのだから、それは悔しいだろうと、そんなカシンの誤解を解くように、身体を離した彼がカシンの目を覗き込むようにして見つめてくる。
「歳の差は六歳。カシンが生まれる前にシュクヤが治療をしていたかもしれない。頭のいいカシンだ。普通は気づかない筈がない。それでも、その可能性を見逃してしまったのは、まだ失恋の傷を引き摺っていたからなのかなって」
「そんなことは」
「ないとは言い切れないだろ?」
確かにそうだ。
「カシンの心をそこまで奪える男というのに嫉妬した。そこまで惚れられておいて、酷い振り方をしたなんて、許せないってな」
寿命が決まった瞬間に考えることではない。けれど彼の台詞に自分への好意のようなものを感じて、鼓動を速めている自分もいる。
「俺はカシンの能力に嫉妬したりしない。カシンを幸せにできる。そう思ったら、死ぬのが惜しくなった」
結局はそこに辿り着く。だが彼の声は決して悲観していない。
「王位を諦めた頃から、いつ死んでもいいと思ってきた。でも、俺も死にたくないという気持ちを持つことができた。そんな気持ちにさせてくれたカシンを大事だと思う。残酷なことを言っているのは分かっているけど」
「いいえ」
彼が腕を広げてくれるから、カシンも身体を寄せる。強く抱きしめてくれるから、今度はカシンも抱き返す。この人が好きだと、漸くその気持ちに気がつく。彼のお陰で、ゼイゲンの呪縛から逃れることができた。せっかく見つけた大切なものを失いたくない。やはり四度目の治療を諦めたくない。誰に何を言われてもいい。自分はこの男を回復させる。彼の腕の中で、この国の太陽のように熱い気持ちが湧き上がるのを感じる。
「ザンヤ様」
想いを告げようとしたところで、人の気配が近づくのが分かった。ザンヤから身体を離して見れば、ハクメイがこちらに駆けてくる。
「こちらにおられましたか」
「何かあったか?」
ザンヤが問えば、傍に来たハクメイが難しい顔で告げる。
「コクネツが上申したそうです。城の中に黒幕がいる、と」
その言葉に、思わずザンヤと顔を見合わせてしまった。