炎暑の国の至高の医師

「はい。調べてみないと分かりませんが、どうにも香りがよすぎるのです。それにこの紙も、そう簡単に手に入るものではない」
「呪術に関係するものってことか」
 子どもが利用されているなどと考えたくはないが、可能性は高い。
「一度城に戻りましょう」
 ハクメイの言葉に頷き、キャリッジで城に戻った。
 部屋に帰って調べれば、お菓子に入っているものはすぐに分かる。呪術ではなく、中毒性のある植物の成分だ。
「中毒性?」
 時間を置いてやってきた二人に説明すれば、ザンヤが声を上げた。
「もっともっとと欲しくなる成分です。子どもなら、昨日お菓子をくれたおじさんがいた場所にもう一度行ってみようと思うでしょう。大人も口にすれば、自分も行ってみようかという気分になる」
「そうやって人を集めて、一度に呪術を掛けるのか」
「かもしれませんし、何度か配るうちに、お菓子自体に呪術を掛けていくのかもしれない。お菓子の中毒性にやられた人間は、多少怪しげだと思っても我慢できないのです」
「俺にはごく普通の菓子にしか見えなかったけど、よく気づいたな」
 残りのお菓子を眺めながら言われて、少し迷ってから白状する。
「実はギョクト様のことが気になっていたのです」
「ギョクト?」
「ええ。ギョクト様はテーブルに豪華な料理が並んでいて自分の前にだけ薬草のスープが置かれていても、その意味を理解して受け入れるような賢い子どもです。その彼が、何故身体の毒になるようなものを貰って食べたのかが分かりませんでした。でも食べものに細工がしてあったのなら納得です」
 推測だが、多分間違ってはいない。
「なるほど。生まれてからずっと近くにいた俺より、ちゃんとギョクトを見ていたんだな」
「元々、ギョクト様の傍にいるようにと、ビャクゲツ様に命じられた身ですから」
 ザンヤがギョクトを大切に思っていることくらい分かっている。国王一家を護るために、自分はどんな犠牲を払ってもいいと思っている。そんな彼のためだから、カシンも堪を研ぎ澄ませていたいと思うのだ。
「今日はもう休みましょう。被害を広げないために、明日はやはり三人とも今日の街に向かうことにしましょう」
 ハクメイが言って、彼とザンヤが部屋に戻っていく。自分も大人しくベッドに入るフリをしながら、廊下の足音が消えたところでそっと部屋を抜け出した。反対されるのは分かっているから、こっそりと目的の部屋へと向かう。
「夜分にすみません。入らせてもらいます」
 危険を承知でドアを開ければ、質素な部屋のベッドの上で、彼が大人しく座っていた。
「どうか驚かないでください。医師のカシンといいます」
「知っている。俺を眠らせた男だからな。メイドに聞いたが、かなり位の高い医師なんだろ?」
「ギョクト様を護るためとはいえ、酷い目に遭わせてしまいました。その後、身体の調子はどうですか?」
 医師の位の話は曖昧に濁して、そう聞いてみる。
「体調はいい。敵だというのに、ここのメイドはみんな親切で毎日困惑しているがな。こんな鎖一本で、見張りもつけないとは随分と甘く見られたものだ」
 そう言って手首の輪からベッドに繋がれた鎖を持ち上げてみせてくれる。部屋を動き回るのに不自由はないが、外に逃げられはしない長さの鎖で、一応彼の行動を制限している。ザンヤが作った特殊な鎖だから勝手に外すことはできないが、元々彼に外す意思はないのだろう。城を出れば任務を失敗した者の罰が待っているから、ここにいた方が安全なのだ。
「コクネツといいましたね」
 椅子を引き寄せてごく近いところに座れば、彼が意外そうな顔を見せる。名前を覚えているとは思わなかったのだろう。
 ギョクトと連れ去ろうとした相手だが、怖がっている暇はない。彼は自分に危害を加えたりしない。そう信じて、ここに来た目的を告げる。
「ビャクゲツ様の前で黒幕の正体を明かしてはくれませんか?」
 想像通りだったのか、彼が元の不機嫌と諦めが混じったような表情に戻る。
「そんな危険なことはしない」
「身の安全は約束します。半月過ごして、あなたもここが安全だと分かったでしょう? ビャクゲツ様は約束を破ったりしない」
「ああ。国王の人のよさには驚いたよ。見張りはいないが、この部屋で誰かが俺に攻撃しようとすれば、すぐに警護の者に伝わるようになっている。初めは囮にされているのか思ったが、どうやら本気で護られているらしい」
 彼の言葉に少し引っ掛かる。囮。誰かが攻撃。まるですぐ傍に黒幕がいるような言い方だ。彼が言葉を選ぶようにして続ける。
「国王のせいで国の民が飢えて苦しんでいると信じ込んで、王子を襲うような真似をしてしまった。だがどうやら事実は違うようだ」
「きっとあなたも、思い込みが激しくなる呪術に掛かっていたのです。そんな人間を、ビャクゲツ様は必要以上に罰したりしない」
「だろうな」
 それきり彼が黙ってしまったので、カシンは立ち上がった。話を受けるかどうか、まだ決めかねているのだろう。ここで押すのは逆効果だ。
「あの日、幸せだった頃の夢が見られた。普通に働いて、家族もいた頃の夢だ」
 部屋を出る前に、唐突に彼が言った。仕事や家族を失う事情があったのだろう。何かに縋らずにはいられなかったのだろう。悪事に手を染めることはなかったが、カシンも自暴自棄になっていた時期があるからよく分かる。
「いい夢が見られるように術を掛けてくれたんだろ? 医者はそんなことまでできるんだな」
「体温を調節しただけです。それに、これからの生き方次第で、過去より幸せになることはいくらだってできる」
 出口から見つめれば、彼もじっとカシンを見ていた。逸らさずにいて、先に顔を伏せたのは彼の方だ。それでも、拒絶からではないと伝わってくる。
「どうか、ビャクゲツ様のために」
 願いを残して、そっと部屋に戻っていった。
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