炎暑の国の至高の医師

 酷い後悔の中で気を失うように眠って、祖母のシュクヤの夢を見た。
 シュクヤは全身全霊で施した三度目の術で、『至高の三度』を成立させてしまった。完治したのか『至高の三度』による余命なのかは、患者自身が痛いほどよく分かるという。医師の方も、見た目で分からなくても、手を翳して診察すればすぐに分かる。完治したように体調がいいのに、患部はまた少しずつ悪くなっていく。身体が壊れていくのに、もう痛みも苦しみも感じない。そんな偽りの状態になるのだ。
「絶対に治してみせる」
 夢の中で、カシンが見てきたよりずっと若いシュクヤが、ベッドの上で眠る男に告げる。見たことはないが、彼が祖父のゲッカだと分かる。
「四度目の治療をしてはいけないという決まりはない」
 目に涙を湛えて、泣くのを堪えてシュクヤが告げる。だがそこでベッドのゲッカが目を開けた。
「もう充分だ。もう俺は寿命だ」
 身体が弱っているのだろう。妻のために懸命に身体を起こした彼が、シュクヤの手を取る。
「四度目の治療は病を治せないだけでなく、術師の命まで奪うことがあるんだろう? シュクヤにそんな危険なことはさせられない」
「私は至高の医師を五十年もやってきた。至高の三度の呪いなんてここで終わりにする。私の命を懸けて治してみせる」
「シュクヤ」
 堪えきれず涙を流すシュクヤの手を、彼が更に強く握る。
「孫を見るんだろ? 楽しみにしていたじゃないか」
 その言葉に、初めてシュクヤの顔に迷いが表れる。
「本当はもっと早く死ぬ筈だった。シュクヤのお陰で穏やかな余命を過ごすことができた。感謝する」
 シュクヤの迷いに満足したように、彼はベッドに身体を戻して目を閉じる。そのまま命の炎が消えていくのが分かる。
「ゲッカ、待って。このまま死んではダメ!」
 命を落とす直前の彼に、シュクヤは渾身の力を放つ。だがその力はゲッカの身体を包んで治すことはなく、全てシュクヤの身体に跳ね返る。
 お祖母様──!!
 夢の中で思わず声を上げたところで目を覚ました。シュクヤが受けた衝撃と痛みを感じて、バクバクと鳴る胸を押さえる。
 四度目の治療の甲斐なくゲッカは亡くなり、シュクヤの方も大怪我で数ヵ月寝込んだという。大ベテランのシュクヤにも変えられなかった至高の三度の呪い。
 ベッドで身体を起こして、夢ではない現実の苦しさに、膝に顔を寄せて小さくなる。
 カシンも『至高の三度』を成立させてしまった。三度目の治療で、ザンヤは余命期間に入ってしまった。彼の寿命は持ってあと三ヵ月。
 気づくべきだった。あまりにもスムーズにいくのは何故か疑問を持つべきだった。
 ザンヤが死んでしまう。その事実に絶望して、膝を抱いてただ震える。
「私は過去に二度あなたの治療をしたことはない。これは二度目の治療で、『至高の三度』は成立しない」
 この状況でザンヤが嘘を吐く筈がないと分かっていながら、悪足掻きした台詞に、彼は穏やかな笑みのまま返した。
「俺とカシンの歳の差はいくつか分かるか?」
「ザンヤ様の方が六歳年上です」
 次期国王として生きていた彼だ。年齢を知らない筈がない。答えに辿り着かないうちから、自分がしでかしたとんでもないミスに身体が震える。正体がはっきりしてくれば、失態に叫び出したくなる。
 至高の医師が一人だから、自分の知らないところで治療を受けられる筈がないと思っていた。だがそうではない。至高の医師はもう一人いた。
「俺が赤ん坊みたいな子どもの頃だ」
 やはりそうだ。カシンが生まれる前、彼女はまだ至高の医師をしていた。
「……お祖母様の治療を受けたのですね」
 やっと小さな声を発すれば、彼が静かな笑みの中でも不敵に口角を上げてみせる。
「ああ。至高の医師シュクヤだ。彼女の治療が一度目、教会でカシンに受けた治療が二度目。そして今回が三度目だ」
 絶望に目を閉じた。何故そんな簡単なことに思い至らなかったのだろう。驕るつもりはないが、常に緻密な計算をして、ミスを事前に避けるタイプの医師だった。それがどうして。
「治療を受けなければどのみち死ぬ筈だった。俺の病気は二位や三位の医師には治せない。本来なら大人になる前に死んでいた。三度も至高の医師に会えた俺は幸運だったんだ」
 そう言ってくれた彼に、なんと返したか覚えていない。ベッドに倒れて、シュクヤの夢を見て目を覚ました。酷い失敗をしたというのに、カシンの身体はどこも悪くなくて、ザンヤが亡くなっても生き続ける。その事実がどうしようもなく怖い。
「カシン、起きているか?」
 控えめにドアがノックされて、応える前に彼が入ってきた。
「思ったより落ち込んでいるな」
 ベッドの傍の椅子を勝手に引き寄せて座り、軽い調子で言う。
「……当然です」
 カシンの様子に、何故か彼が小さく笑った。笑うところではないだろうと顔を上げれば、そこに真摯な表情を見る。
「三度目の治療を受けなければ、俺は昨日死んでいたかもしれない。カシンがいなければ、コクネツが現れた日に死んでいたかもしれない。ここまで生かしてもらって感謝しているんだ」
「三度目の治療の時期を工夫すれば、もっと長く生きられた」
「それは理想上の話だ。俺の身体が酷い状態なことは、お前もよく分かっていただろ?」
 意地になってうんと言わないカシンに一つ息を吐いて、彼が両手を掴んでくる。
「悪いな。お前が傷つくことは分かっていた。でも自分の気持ちを優先した」
「自分の気持ち?」
「ああ。いい加減、発作や死期に怯えて暮らすのが嫌になっていたんだ。だから初めから死ぬつもりで、次が三度目だと言わなかった」
 彼が治療を受けると言った日の、僅かな違和感を思い出す。三度目だと知ればカシンが治療をしないと分かっていたから、彼は芝居をしたのだ。
「残りの時間を宣告されて、逆にすっきりした。俺はできるだけのことをする」
「お祖母様が三度目の治療をしたあと、患者は一ヵ月しか生きられませんでした。最後の日は弱って起き上がれなかった。ザンヤ様も、三ヵ月も生きられない可能性が高い」
 自分のミスでこうなってしまった以上、知っていることは全て伝えようと思った。それでも彼の視線の強さは変わらない。
「一ヵ月あれば充分だ。もう黒幕の見当はついている。奴を排除して、ビャクゲツに穏やかな国を残してやりたい」
 彼の望みが全て詰まった台詞だった。
「カシンの治療のお陰で、少なくても死ぬ数日前までは苦しまなくてもいい身体を手に入れられた。これ以上頼みごとをするのも情けないが、信頼できる味方は多い方がいい。協力してくれ、カシン」
 頼む形を取っていながら、カシンの罪悪感をなくすための台詞だと分かっていた。自分は本来、王の兄にこんな言葉を貰える人間ではない。本当はどこまでも思慮深くて弟思いの彼の助けになりたい。いられるだけ彼の傍にいたいと、そんな気持ちが強くなる。
「分かりました。協力します」
「ありがとう、カシン」
 言葉と一緒に抱き寄せられて、彼の腕に包まれた。彼には何気ない行動なのだろうが、カシンの方は困ってしまう。そんな場合ではないというのに、トクトクと鼓動が速まる。
「カシンに出会えてよかった」
 そんな死に際のような台詞は聞きたくなくて、カシンもぎゅっと彼の衣服の胸元を掴む。
「悪い」
 こちらの意図に気づいた彼に詫びられれば、切なさに胸が詰まる。
 この命を諦めたくない。至高の三度の伝説など受け入れたくない。
 失態を自覚したばかりだというのに、心の中には強い思いが湧いていた。
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