炎暑の国の至高の医師

 戯れにそんなことを言う彼の方は、濃い紺色のシェンティの上に上質の薄布を纏っている。理想的な美丈夫の彼はどんな姿も似合うが、その中でも紺が似合う。肩を覆う布から出ている腕に、今夜は金の腕輪をしている。幅の太い腕輪はカシンの腕にはどうしても似合わないのに、ザンヤなら似合ってしまうのだから妬ましい。
「だが綺麗だ。相変わらず」
 なんでもないことのように言われて、思わずその顔を見つめてしまう。だが動じない彼に、何か問題があるか? とでもいうように、悪戯っぽい目を返されるだけだ。
「……相変わらずとはどういう意味ですか?」
 わざと『綺麗』と別のことを聞けば、それもあっさり答えが返ってきた。
「綺麗だって思ったんだよ。死ぬほどの苦しみの中にいたとき、楽になる術を掛けてくれた医師。俺に大丈夫だと言ってくれた。朧げな意識の中で女神かと思ったんだ」
 初めて教会で会った日のことを言っているらしい。
「苦しいときに助けてくれた人間なら、みな綺麗に見えるものです」
 自惚れてはいけない。自身の心に言い聞かせるように言ってやれば、ザンヤが片眉を上げる。
「可愛くないな、お前」
「今更です」
 本来なら傍にいることも恐れ多い相手と、ふっと笑ってしまうようなやりとりをしているのが不思議だった。だがそれがとても居心地いい。
「この間も言ったが、言葉は素直に受け取っておいて損はないぞ」
「覚えておきます」
「ったく」
 呆れたように笑う彼が戯れにカシンの髪を撫でたところで、正面の壇上に動きがあった。ビャクゲツが側近のムラギリに小さな宝石を与える。
「よく働いてくれた。これからも国の民のために力を尽くしてくれ」
 ビャクゲツの前で跪いたムラギリが宝石を受け取る。王の後ろに控えているハクメイが柔らかく笑んで拍手を送っている。そのハクメイも同じようにされるかと思ったが、そこでビャクゲツは下がってしまう。
「名誉なことなのでしょうね」
「本来はな」
 思わず呟けば、隣のザンヤから不思議な言葉が返ってきた。
「やはりビャクゲツは甘い。知らん顔をしてもいいと思っているんだ」
「どういう意味ですか?」
 よく分からなくて聞いたところで、傍にギョクトが駆けてきた。
「カシン様!」
 足に抱きついてくるから、カシンもしゃがんで抱きしめてやる。
「カシン様にこれをあげます」
 互いに抱きしめ合った後で、ギョクトが指の先ほどの大きさの宝石を差し出した。
「私に? どうして?」
 きょとんとしてしまえば、身体を屈めたザンヤが笑う。
「鈍いやつだな。ギョクトは父親と同じことがしてみたいんだよ」
 なるほど、可愛らしい。だが手のひらに乗せられた宝石は、決して可愛らしい値段のものではない。
「ギョクト様のお気持ちだけいただきます。父上か母上から貰った大切なものでしょう?」
 小さな手に返そうとするが、彼は頑として受け取らない。
「母上は、ギョクトが持っていてもいいけれど、いつか護ってやりたい人が現れたら渡しなさいと仰いました」
「それは将来ギョクト様に大切な人ができたらというお話です」
「カシン様は大切な人です。それに母上が三つくださったので、一つあげても平気なのです」
「でも」
「貰ってやれよ」
 困ってしまったところで、ザンヤが言った。
「ギョクトがここまで言っているんだ。第一王子の言うことは聞くものだ」
 そうだ。親しくさせてもらっているが、彼は次期国王なのだ。
「では、ありがたくいただきます。大切にしますね」
「うん!」
 子どもだからというだけでなく、ギョクトには人の心を和ませて癒す力があるのかもしれない。少なくてもカシンはだいぶ救われている。
「ここにいたのですか、ギョクト」
 そこにロカ王妃がやってきた。
「カシンと話をしたら戻る約束です。もう部屋に戻りますよ」
「母上から貰った石をカシン様に渡したのです」
「まぁ、それはいいことを思いつきましたね」
 王妃がカシンに微笑んでから、ギョクトを連れて広間を出ていく。石をカシンに渡したことを咎める様子はなくて安堵するが、本当にいいのだろうか。
「その石にはロカ王妃の術が掛かっているから、本当にお前を護ってくれる」
 カシンに手を振っていたギョクトの姿が見えなくなったところで、ザンヤが言った。
「術?」
「ああ。ロカ王妃は元々呪術師の家系だ。さほど力は強くないと言っていたが、人を呪うというより、呪術を使って護りたい人間を禍から護るタイプの能力らしい。王室で呪術師はよく思われないし、他にも能力を持っているから隠しているが、相手を護る能力はなかなかのものだと思うぞ。ギョクトの不調に至高の医師を連れてこられたのも、王妃の力かもしれない」
「なるほど」
 自分が術に操られていたのかどうかは分からないが、あの日、ハクメイの頼みを突っぱねてしまわなくてよかったとは思っている。
「っと。気が利かなくてすみません。飲みものでも貰ってきます」
 ふと、国王の兄に飲まず食わずで立ち話をさせていることに気づいた。広間の向こう側で葡萄酒を配っている。他にも飲みものがあるようだから見に行ってみようとその場を離れかけて、ザンヤに腕を掴まれる。
「お前に使用人のようなことをさせるつもりはない。ここにいろ」
20/32ページ
スキ