炎暑の国の至高の医師
身分の高い患者に特別な感情を持つことはないが、思ったより話が大きくて驚いた。どうやらカシンが地下で暮らしている間に、国の情勢は悪化していたらしい。病気の人間がいると聞いても医師が向かわないとは余程のことだ。
「分かりました。一度患者を診ましょう。ただ見て分かる通り、私はこのところずっとここで寝て暮らしていたようなものです。力が及ばないときは黙って家に帰してください」
治せなかったからといって処罰でもされたら堪らない。
「至高の医師のカシン様に限ってそんなことはないでしょうが、万が一治らなかったとしても、報酬をお支払いしてここまでお送りします」
報酬はいらないが、無事に帰ってこられるのなら構わなかった。話をするのに不便なので名前を聞けば、彼はハクメイと名乗る。想像通りビャクゲツ王の側近らしい。
「ハクメイは飛行能力者ですか?」
「はい。キャリッジで城までお送りします」
この国の人間はみな、何かしらの特殊能力を持って生まれてくる。どんな能力をいくつ持つかは人それぞれだが、王の側近は高度な能力をいくつも持つような者が選ばれる。彼も飛行能力と戦闘能力は当然で、その他にも能力を隠しているのだろう。
「私の気が変わらないうちに運んでください。詳しい病状は移動しながら聞きましょう」
能力で治療着に姿を変えれば、彼が驚きに瞬いた。だがこれくらいは当然だ。何十という患者が治療を待っているような状況で仕事をしていたこともある。一瞬で身形を整え、体力回復を済ませることは基本中の基本だった。両肩を覆う、丈の長いカラシリスを腰紐で縛ってある。肩を越える長さの髪も後ろで束ねて、額に一つ宝石が下がる銀のフロントレットを身につける。これが至高の医師の基本の姿だ。
ハクメイの後ろを久しぶりに外に出てみれば、肌を焼くような熱と空気に包まれた。万全でない体調には多少きついが、カシンは元々この地の気候が嫌いではない。この暑い地が好きなのだと、場違いにもそんな気持ちを思い出す。
「どうぞこちらへ。急ぎますのでお気をつけて」
促されて、ハクメイが具現化したシックなキャリッジに乗った。彼が御者台に着いた途端に飛び上がり、結構なスピードで進んでいく。
「ギョクト様が病気になったのは初めてですか?」
「はい。生まれてからこれまで、大きな病気をしたことはありません」
風にも和らぐことのない攻撃的な暑さの中を進みながら、患者について聞いた。五歳の子どもなら訳も分からず苦しいだけだろう。少しでも早く助けてやりたい。そんな気持ちになる自分を不思議に思う。ついさっきまで、自分は部屋で寝ているか起きているか分からない時を過ごしていたのに。
かなりのスピードで向かったから、すぐに小高い丘の上に石造りの建物が見えてきた。
「このままギョクト様のところにお運びします」
病状がよくないらしく、城の敷地に入ったところで言われて頷く。
この地特有の低層階で広さのある城の前には、対になった犬の石像が設えられたパティオが広がっていた。エントランスから入ることさえせず目的の部屋に連れられて行く。パティオに面した広い窓から通されれば、視界に天蓋つきのベッドが飛び込んでくる。
「至高の医師カシンだな。突然呼び出してすまない。私がこの子の父のビャクゲツだ」
焦りを抱えながらも丁寧な言葉を向けられて、カシンも頭を下げた。このセイオンの国の王の姿を見るのは初めてだ。父王が亡くなった後で、次男の彼が王位を継いだのは一年前だ。茶色掛かった髪に優しげで思慮深そうな顔立ち。一目見ただけでは、息子の病気に街の医師が向かわないほど嫌われているとは思えない。憔悴した様子の王妃にも頭を下げられて、今は自分がしっかりしなければと思う。
「ギョクト様」
ベッドに近づいて声を掛ければ、目を閉じたままの彼の表情が動いた。幼い王子は父親に顔立ちがよく似ている。苦しげに眉を寄せる様子が不憫で、回復させてやりたいと思う。自分は至高の医師だ。すぐに治せる。強い気持ちがここ数ヵ月のブランクを消していく。ベッドの前に屈んで掛けものを除けると、彼の小さな身体に手を翳す。それで充分だった。原因などすぐに分かる。これは病ではない。
「王様、王妃様以外は退室を」
静かだがきっぱりと言えば、予想通り周囲がざわついた。ハクメイの他にもう一人側近らしき男と、城付きの医師と思われる男が二人、それに三人のメイドが控えていたが、カシンには誰が安全で、誰がそうでないか分からないから仕方がない。
「王を得体の知れない男とだけいさせる訳にはいきません」
ハクメイでない側近が声を上げる。白い衣服の上に、右肩から臙脂の布を纏った男だ。医師だと言っているのに得体の知れないとは酷い言い方だが、気持ちは分からないでもない。だが譲れないものは譲れない。
「王子の治療のためです。言う通りにしないと治療はしません。治療の内容を知ることがないよう、聞き耳を立てられない位置まで離れてください」
言い切ってやれば相手が怯んだ。ハクメイの方は医師とメイドを促して退室してくれているから、その男だけが残ってしまう。
「ムラギリ、ここは言う通りにしてくれ。私たちのことなら心配ない」
ビャクゲツの言葉に、ムラギリと呼ばれた側近が漸く頭を下げて部屋を出ていった。ハクメイより身分の高い側近なのだろう。自分が王の傍にいるという強い意思を感じるが、カシンには国王一家を攻撃して得になることなどないのだ。
「決められた食事以外に、この子が食べものを口にすることは?」
両親だけになったところで聞けば、察した彼らの顔色が変わった。
「それは危険だからといつもきつく言い聞かせています。ですが子どもですので」
「ならば今後は更に厳しく言い聞かせてください。高度な調合の毒物です。病死で処理されてもおかしくはない」
「分かりました。一度患者を診ましょう。ただ見て分かる通り、私はこのところずっとここで寝て暮らしていたようなものです。力が及ばないときは黙って家に帰してください」
治せなかったからといって処罰でもされたら堪らない。
「至高の医師のカシン様に限ってそんなことはないでしょうが、万が一治らなかったとしても、報酬をお支払いしてここまでお送りします」
報酬はいらないが、無事に帰ってこられるのなら構わなかった。話をするのに不便なので名前を聞けば、彼はハクメイと名乗る。想像通りビャクゲツ王の側近らしい。
「ハクメイは飛行能力者ですか?」
「はい。キャリッジで城までお送りします」
この国の人間はみな、何かしらの特殊能力を持って生まれてくる。どんな能力をいくつ持つかは人それぞれだが、王の側近は高度な能力をいくつも持つような者が選ばれる。彼も飛行能力と戦闘能力は当然で、その他にも能力を隠しているのだろう。
「私の気が変わらないうちに運んでください。詳しい病状は移動しながら聞きましょう」
能力で治療着に姿を変えれば、彼が驚きに瞬いた。だがこれくらいは当然だ。何十という患者が治療を待っているような状況で仕事をしていたこともある。一瞬で身形を整え、体力回復を済ませることは基本中の基本だった。両肩を覆う、丈の長いカラシリスを腰紐で縛ってある。肩を越える長さの髪も後ろで束ねて、額に一つ宝石が下がる銀のフロントレットを身につける。これが至高の医師の基本の姿だ。
ハクメイの後ろを久しぶりに外に出てみれば、肌を焼くような熱と空気に包まれた。万全でない体調には多少きついが、カシンは元々この地の気候が嫌いではない。この暑い地が好きなのだと、場違いにもそんな気持ちを思い出す。
「どうぞこちらへ。急ぎますのでお気をつけて」
促されて、ハクメイが具現化したシックなキャリッジに乗った。彼が御者台に着いた途端に飛び上がり、結構なスピードで進んでいく。
「ギョクト様が病気になったのは初めてですか?」
「はい。生まれてからこれまで、大きな病気をしたことはありません」
風にも和らぐことのない攻撃的な暑さの中を進みながら、患者について聞いた。五歳の子どもなら訳も分からず苦しいだけだろう。少しでも早く助けてやりたい。そんな気持ちになる自分を不思議に思う。ついさっきまで、自分は部屋で寝ているか起きているか分からない時を過ごしていたのに。
かなりのスピードで向かったから、すぐに小高い丘の上に石造りの建物が見えてきた。
「このままギョクト様のところにお運びします」
病状がよくないらしく、城の敷地に入ったところで言われて頷く。
この地特有の低層階で広さのある城の前には、対になった犬の石像が設えられたパティオが広がっていた。エントランスから入ることさえせず目的の部屋に連れられて行く。パティオに面した広い窓から通されれば、視界に天蓋つきのベッドが飛び込んでくる。
「至高の医師カシンだな。突然呼び出してすまない。私がこの子の父のビャクゲツだ」
焦りを抱えながらも丁寧な言葉を向けられて、カシンも頭を下げた。このセイオンの国の王の姿を見るのは初めてだ。父王が亡くなった後で、次男の彼が王位を継いだのは一年前だ。茶色掛かった髪に優しげで思慮深そうな顔立ち。一目見ただけでは、息子の病気に街の医師が向かわないほど嫌われているとは思えない。憔悴した様子の王妃にも頭を下げられて、今は自分がしっかりしなければと思う。
「ギョクト様」
ベッドに近づいて声を掛ければ、目を閉じたままの彼の表情が動いた。幼い王子は父親に顔立ちがよく似ている。苦しげに眉を寄せる様子が不憫で、回復させてやりたいと思う。自分は至高の医師だ。すぐに治せる。強い気持ちがここ数ヵ月のブランクを消していく。ベッドの前に屈んで掛けものを除けると、彼の小さな身体に手を翳す。それで充分だった。原因などすぐに分かる。これは病ではない。
「王様、王妃様以外は退室を」
静かだがきっぱりと言えば、予想通り周囲がざわついた。ハクメイの他にもう一人側近らしき男と、城付きの医師と思われる男が二人、それに三人のメイドが控えていたが、カシンには誰が安全で、誰がそうでないか分からないから仕方がない。
「王を得体の知れない男とだけいさせる訳にはいきません」
ハクメイでない側近が声を上げる。白い衣服の上に、右肩から臙脂の布を纏った男だ。医師だと言っているのに得体の知れないとは酷い言い方だが、気持ちは分からないでもない。だが譲れないものは譲れない。
「王子の治療のためです。言う通りにしないと治療はしません。治療の内容を知ることがないよう、聞き耳を立てられない位置まで離れてください」
言い切ってやれば相手が怯んだ。ハクメイの方は医師とメイドを促して退室してくれているから、その男だけが残ってしまう。
「ムラギリ、ここは言う通りにしてくれ。私たちのことなら心配ない」
ビャクゲツの言葉に、ムラギリと呼ばれた側近が漸く頭を下げて部屋を出ていった。ハクメイより身分の高い側近なのだろう。自分が王の傍にいるという強い意思を感じるが、カシンには国王一家を攻撃して得になることなどないのだ。
「決められた食事以外に、この子が食べものを口にすることは?」
両親だけになったところで聞けば、察した彼らの顔色が変わった。
「それは危険だからといつもきつく言い聞かせています。ですが子どもですので」
「ならば今後は更に厳しく言い聞かせてください。高度な調合の毒物です。病死で処理されてもおかしくはない」