炎暑の国の至高の医師
痛みで気を引き締めるのだから当然だ。神経を傷つけないギリギリで、一番痛い深さまで切る。そんなことを言えば叱られそうだから黙っておく。
「どうしてそこまで」
彼の顔が辛そうに歪むから、やはり言わない方がよかったかなと思う。
「傷は敢えて残しているだけで、修業に満足できたところで消すことができるのですから、ザンヤ様が心配することはありません」
「それにしたって」
「部屋で血を流す奇妙な能力者だと思いますか?」
「そうは思わないけど」
そこでふと気づいたように、彼がカシンの手を引いて、また木陰に戻ってしまう。
「お前が真面目で努力家の医者だということは分かったよ」
「光栄です」
おおらかに流そうとすれば、何故か彼が不満げな顔になる。
「なぁ、どうして半年も仕事ができなかったんだ?」
「それは一度お答えした筈です」
「随分と話を省略していたんだろ?」
ごつごつとしたヤシの木に寄りかかって、彼がカシンに目を向ける。カシン越しの日差しが眩しいのか、目を細める彼の様子に、やはり綺麗な男だと思ってしまう。フェイスベールで隠せないほどの気品とオーラ。これまで街に偵察に出て、よく見つからずにいられたものだと、おかしなことに感心してしまう。
「お前が隠している話を聞きたい」
「聞いて面白い話ではありません」
「そうやってはぐらかすのは、まだ辛いからか?」
鋭く切り返されて言葉を失う。
「まだその男が好きなのか?」
「いいえ」
そこはきっぱりと否定する。
「彼はもう人様のものですから、私が好きでいてはいけない」
「それはお前の答えになっていない」
「あなたには関係ありません」
必要のないほど強く返してしまって、すぐにそんな自分を恥じる。一体いつになったら彼の呪縛から逃れられるのだろう。
「話してみろよ」
カシンの心の葛藤を見抜いたような言い方だった。ビャクゲツの配慮に救われたことがあったが、ザンヤも人の心の機微に柔らかく触れる力を持っている。彼が普段隠している優しさを向けられて、心を鎖で縛って鍵までかけていたのに、その鍵が一つ外れたような気持ちになる。
「本当に、面白い話ではないのです」
カシンも木の幹に背を寄せる。
「それでも聞きたい」
誰かに話すことで、自身の気持ちがどう動くか予想できなかった。それでも彼が聞きたいというのなら、話してみようと思う。
「私は気づかないうちに、彼をどうしようもなく怒らせてしまっていたのです。怒りで人を一人殺してしまえるほど」
そんな風に話し出した。
「私は休日なく働くことが苦にならないタチでした。多くの患者を治療できるのは、一位の医師の能力を持って生まれてきたからという理由だけではないと、自分で納得したい気持ちもあったのでしょう。医師の能力者が治療院で働くことはご存知かと思いますが、休みの日はいつも教会の慈善診療に出ていました」
「そこで俺も世話になった」
「まさかザンヤ様だとは思いませんでしたが」
同じ木の幹に触れながら同じ過去を思い返す。けれど柔らかな思い出はすぐに消える。
「能力をひけらかしていたつもりはありません。慈善診療に出ていたのも、指導してくれる者のいない場所で修業を積んで、力をつけたいと思ったからです。でも恋人のゼイゲンは、私のそんな行動をよく思わなかった」
気に入らないという気持ちをそのままぶつけてくれればよかった。だが彼は、本心を隠して最後の最後までカシンに優しくした。好きだと言った。
「男同士だから結婚はできないけれど、教会で結婚式の真似事をしようと彼が言いました」
「真似事?」
「ええ。夜の教会で二人きりで誓いの言葉を言い合おうって。カシンは至高の医師の正装で来ればいいって。花嫁は白を着ますからね。私はただただ嬉しかったのです」
二人で暮らすことも、結婚の記念の宝石も、カシンは何も望んでいない。ただ時々会って話して、抱きしめてくれればそれで充分だった。そんな彼に、子どものままごとのようなものでも、結婚式をしようと言われて喜ばない筈がない。
「彼が指定したのは、普段は行かない教会でした」
いつものように慈善診療に出て、患者を全て診終えたあと、カシンは一度家に戻った。身なりを整えて、二人で暮らしていたシュクヤを車椅子に乗せて連れ出した。二人きりでと言われたけれど、この人が自分の好きな人だと、ゼイゲンの姿を一目見せたかったのだ。シュクヤはだいぶ身体が弱っていたが、カシンの話を聞いて喜んでくれた。邪魔はしない。遠くからカシンの伴侶になる彼を見られたらいい。そう言ってくれたシュクヤは、男同士であることなど気にしていなかった。大好きな祖母にゼイゲンの姿を見せられる。それが幸せだった。その日雇った飛行能力者のキャリッジで、カシンは御者台の彼にからかわれてしまうほど幸せな顔をしていた。
「でも、教会には沢山の人がいたのです」
「どういう意味だ?」
問われて少し躊躇う。胸に苦いものが込み上げてくるが、ここで引き返せばまた囚われ続けてしまう気がして覚悟を決める。
「ゼイゲンの結婚相手は私ではありませんでした」
「どうしてそこまで」
彼の顔が辛そうに歪むから、やはり言わない方がよかったかなと思う。
「傷は敢えて残しているだけで、修業に満足できたところで消すことができるのですから、ザンヤ様が心配することはありません」
「それにしたって」
「部屋で血を流す奇妙な能力者だと思いますか?」
「そうは思わないけど」
そこでふと気づいたように、彼がカシンの手を引いて、また木陰に戻ってしまう。
「お前が真面目で努力家の医者だということは分かったよ」
「光栄です」
おおらかに流そうとすれば、何故か彼が不満げな顔になる。
「なぁ、どうして半年も仕事ができなかったんだ?」
「それは一度お答えした筈です」
「随分と話を省略していたんだろ?」
ごつごつとしたヤシの木に寄りかかって、彼がカシンに目を向ける。カシン越しの日差しが眩しいのか、目を細める彼の様子に、やはり綺麗な男だと思ってしまう。フェイスベールで隠せないほどの気品とオーラ。これまで街に偵察に出て、よく見つからずにいられたものだと、おかしなことに感心してしまう。
「お前が隠している話を聞きたい」
「聞いて面白い話ではありません」
「そうやってはぐらかすのは、まだ辛いからか?」
鋭く切り返されて言葉を失う。
「まだその男が好きなのか?」
「いいえ」
そこはきっぱりと否定する。
「彼はもう人様のものですから、私が好きでいてはいけない」
「それはお前の答えになっていない」
「あなたには関係ありません」
必要のないほど強く返してしまって、すぐにそんな自分を恥じる。一体いつになったら彼の呪縛から逃れられるのだろう。
「話してみろよ」
カシンの心の葛藤を見抜いたような言い方だった。ビャクゲツの配慮に救われたことがあったが、ザンヤも人の心の機微に柔らかく触れる力を持っている。彼が普段隠している優しさを向けられて、心を鎖で縛って鍵までかけていたのに、その鍵が一つ外れたような気持ちになる。
「本当に、面白い話ではないのです」
カシンも木の幹に背を寄せる。
「それでも聞きたい」
誰かに話すことで、自身の気持ちがどう動くか予想できなかった。それでも彼が聞きたいというのなら、話してみようと思う。
「私は気づかないうちに、彼をどうしようもなく怒らせてしまっていたのです。怒りで人を一人殺してしまえるほど」
そんな風に話し出した。
「私は休日なく働くことが苦にならないタチでした。多くの患者を治療できるのは、一位の医師の能力を持って生まれてきたからという理由だけではないと、自分で納得したい気持ちもあったのでしょう。医師の能力者が治療院で働くことはご存知かと思いますが、休みの日はいつも教会の慈善診療に出ていました」
「そこで俺も世話になった」
「まさかザンヤ様だとは思いませんでしたが」
同じ木の幹に触れながら同じ過去を思い返す。けれど柔らかな思い出はすぐに消える。
「能力をひけらかしていたつもりはありません。慈善診療に出ていたのも、指導してくれる者のいない場所で修業を積んで、力をつけたいと思ったからです。でも恋人のゼイゲンは、私のそんな行動をよく思わなかった」
気に入らないという気持ちをそのままぶつけてくれればよかった。だが彼は、本心を隠して最後の最後までカシンに優しくした。好きだと言った。
「男同士だから結婚はできないけれど、教会で結婚式の真似事をしようと彼が言いました」
「真似事?」
「ええ。夜の教会で二人きりで誓いの言葉を言い合おうって。カシンは至高の医師の正装で来ればいいって。花嫁は白を着ますからね。私はただただ嬉しかったのです」
二人で暮らすことも、結婚の記念の宝石も、カシンは何も望んでいない。ただ時々会って話して、抱きしめてくれればそれで充分だった。そんな彼に、子どものままごとのようなものでも、結婚式をしようと言われて喜ばない筈がない。
「彼が指定したのは、普段は行かない教会でした」
いつものように慈善診療に出て、患者を全て診終えたあと、カシンは一度家に戻った。身なりを整えて、二人で暮らしていたシュクヤを車椅子に乗せて連れ出した。二人きりでと言われたけれど、この人が自分の好きな人だと、ゼイゲンの姿を一目見せたかったのだ。シュクヤはだいぶ身体が弱っていたが、カシンの話を聞いて喜んでくれた。邪魔はしない。遠くからカシンの伴侶になる彼を見られたらいい。そう言ってくれたシュクヤは、男同士であることなど気にしていなかった。大好きな祖母にゼイゲンの姿を見せられる。それが幸せだった。その日雇った飛行能力者のキャリッジで、カシンは御者台の彼にからかわれてしまうほど幸せな顔をしていた。
「でも、教会には沢山の人がいたのです」
「どういう意味だ?」
問われて少し躊躇う。胸に苦いものが込み上げてくるが、ここで引き返せばまた囚われ続けてしまう気がして覚悟を決める。
「ゼイゲンの結婚相手は私ではありませんでした」