炎暑の国の至高の医師

「そんな、どうやって」
 街の人間も自分で考える。突然訳の分からないことを言われたって信じたりはしない。それに、実際生活は苦しくないのだ。
「呪術だ」
「呪術?」
 馴染みのない言葉に、初めピンとこなかった。兵士たちの攻撃を封じたり、一度に多くの人間を攻撃したり、カシンにとって呪術師は、国同士の争いがあった時代に力を発揮した能力者だ。呪術はあとから自身に返ってくることもあって、呪術師は平穏な人生を送ることが少ないという。長く生きられない能力者も多くて、呪術者の数は減っている。今は呪術の能力だけで生きている人間は少ないとも聞く。
「昔より減っただろうが、いない訳じゃないだろうからな」
 カシンの気持ちを読んだようにザンヤが言う。
「まず小さな街で錯覚を起こす。そのあと小さな事件でも起こせばいい。誰かを争わせるでも、建物を壊しておくでもいい。あとは、これは王族のせいだと誘導してやればいい。疑心暗鬼の人間たちは呪術の力以上の恨みを持つようになる。一つの街で恨みが一杯になったら、次の街に感染させればいい」
「でも、街と街は離れているでしょう? 何故同じ気持ちを持つようになるのです?」
 果てしなく続く広大な土地を持つこの国は、街と街の間に砂漠や、先祖たちが造り上げた大掛かりな遺跡が存在する。飛行能力者やテレパシーを使える者がいるから交流がない訳ではないが、考え方に影響を受けるほど距離が近い訳でもない。互いの街を行き来することはあっても、礼儀を忘れず接するお客さまという感じなのだ。
「それこそ呪術師だ。呪術師が次の街でも錯覚を起こす。隣の街でも同じことが起こっていると知れば、一つ目の街より混乱は早く広がる」
「なんのために」
「ビャクゲツを失脚させるためだ」
 ザンヤが足を止めて、自分を落ち着かせるように目を閉じる。いつのまにか、ヤシが群がる広場に出ていた。ヤシの木特有の扇状に裂けた葉は、日除けには役に立たないように思われがちだが、寄せ集まって大きな影を作って人々を熱と光の攻撃から護ってくれる。木々を能力で覆った者がいるのか、大きな葉の下は歩いてきた道よりずっと涼しくなっていた。それでも充分暑いから、広場にはまだ誰もいない。
「ビャクゲツ様が退位したらこの国は混乱してしまいます」
「だからだよ」
 腕を引いてザンヤを木陰に誘導してやれば、そこで彼が一つ息を吐く。
「ギョクトはまだ幼い。後見人をつけても、混乱は目に見えている」
「誰がそんなことを企んでいるのです? ビャクゲツ王の国で平和に暮らしていければそれでいいではありませんか」
 多分、酷く子どもじみたことを言ってしまったのだろう。ザンヤに目を向けられて、頬に血が上った。その目が、ギョクトを見るように柔らかく細められる。
「すみません。私は医学のこと以外はあまり多くのことを知らなくて」
「謝る必要はない。国の民がみなカシンのような人間なら、争いのない国が出来上がるだろうなと思ってな」
 彼の指先がカシンに伸びて、包み込むように頬を撫でる。幼いギョクトのように思っているのだ。たいした意味はないないと分かっていて、鼓動を速めてしまう。
「ビャクゲツは決して不正はしない」
「ええ。分かります」
「でも、王室で働いているからには、いい思いをしたいと思う人間がいるってことだよ」
「それじゃ、黒幕はビャクゲツ様の傍にいる人間ということですか?」
 カシンが漸く理解すると同時に、彼は離れてしまった。
「帰り道は少し街の人間の話を聞いて回りたい。もうしばらく付き合ってもらえるか?」
「もちろん」
 先に木陰を出てしまった彼に応えて、ショールを被り直して跡を追う。
「悪いな」
「いえ」
 顔だけ振り向いた彼の顔が穏やかで安堵する。術を掛け直してはいないのに、心臓の暴走を抑える能力は機能し続けている。以前と同じ力が戻りつつある。もうすぐザンヤの身体を治してやれる。強い想いに自分自身が鼓舞される。
「おい、お前……」
 だがそこで彼の顔色が変わった。傍に戻った彼に、左腕を持ち上げられる。
「この傷はなんだ?」
 はっとして腕を引こうとするが、それを許さない彼が、明るい日差しの下でカシンの腕の内側を目にしてしまう。どうしても隠したいものでもなかったが、なるべく見られないようにショールを使っていたのに、うっかりしていた。
「こんなに沢山、誰にやられた?」
 当然そう推測されて苦笑する。
「自分でつけた傷です。どうか心配なさらないでください」
 さらりとネタばらしをすれば、更に彼の顔が険しくなる。
「なんのためだ? まさか前の男が忘れられなくて、死のうなんて思っている訳じゃないよな」
「まさか!」
 そこは誤解されると困るので、きっぱり否定しておく。弱って死ぬかもしれないと思った時期はあるが、積極的に死のうと思ったことはない。自害はいけないと、シュクヤにも厳しく言われてきた。彼女だって、夫を助けられなかった絶望の中でも生き続けたのだ。
「修業の一部のようなものです」
 納得するまで離してやらないという表情に折れて、白状することにした。
「修業が上手くいかないときに、戒めとして自分の肌を切るのです。血を見れば弛んでいた気持ちが引き締まりますし、患者を刃物で切るときの練習にもなる」
「なんだよそれ」
 呆れたように手を外される。
「痛いものは痛いんだろ」
「まぁ、それなりに」
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