炎暑の国の至高の医師

 だが建物に戻ろうとして、その前に彼に意外なことを言われた。
「私とですか?」
「ああ。普段は身を隠すようにして偵察に行くんだが、従者でない連れがいれば俺だとバレにくい。お前は遠くから見れば女に見えるから、更に目眩ましになっていい」
 最後の部分は不満だが、偵察という言葉には納得した。彼は姿を隠しながら、街の様子を窺い、街の人間を観察していたのだ。重要なことはハクメイやビャクゲツに報告しているのだろう。危険が大きすぎるし、王族自らすることではないと思うが、ザンヤらしいとも思う。
「少しの時間ならお供します」
「そんな畏まらなくていい。俺の女にでもなったつもりでいてくれ」
「それは無理な相談です」
「相変わらずお堅いな」
 そう言って笑ったかと思うと、彼はカシンの身体を抱いてあっという間に空に向かってしまう。
「ちょっと……、いきなり」
「ん? ハクメイにも飛んで城まで運ばれてきたんだろ?」
 いくつ能力を隠しているのか、ザンヤはかなりのレベルの飛行能力を持っていた。カシンを抱えているというのに、高い位置を駆けるように飛んでいく。そのスピードが速すぎて、カシンは思わず彼の胸にしがみついてしまう。
「心配するな。至高の医師を落としたりしない」
 笑うように告げられた言葉は、どこまでも自信に溢れていた。ゼイゲンとは大違いだ。彼と二人で何度も砂の上に墜落していた頃を思い出して、また苦い気持ちに襲われる。
「どうした?」
「いえ」
 ザンヤに顔を覗き込むようにされて、慌てて視線から逃れた。未だ過去に囚われたままの医師だと知られたくない。
「仕方ないな」
 カシンの様子を、じかに運ばれるのを嫌がっていると誤解したらしい彼が、一瞬で小さな木の車を具現化させた。大きめの車輪が二つついて、二人で立ち乗りができる。前の部分の風よけから繋がる鎖を引いて操作するもののようだ。
「大きな布に乗って飛ぶよりマシだろ? ハクメイみたいにお洒落なキャリッジなんかは出せないけど」
 とりあえずカシンのために出してくれたらしいと分かって礼を言う。
「車輪はお飾りだけど、この方がそれらしくていいだろ」
「イメージ通りのものを出せるなんて凄い。飛行能力と戦闘能力、あとはどんな能力を持っているのですか? 金属も操れるのでしょう?」
「その三つだけだ。黙って金属を操っているのが一番好きだけどな」
 一つ本音が聞けた。誰かと戦って痛めつけることも、好きでやっている訳ではないということだ。
「飛ばすぞ」
「いや、待って」
 カシンが慌てる様子を楽しむように、彼は空を行くスピードを上げる。揺れはしないが猛スピードで走られればやはり怖くて、結局ザンヤの身体に縋ってしまう。彼の方は、片手でカシンの身体を抱きながら空いた手で鎖を引いて車を操作する。どこまでも余裕で、時々気紛れにカシンの身体を強く抱き寄せたりするからタチが悪い。
「この辺りで降りるぞ」
 だが街が近づけば彼の声音が少し変わった。いつのまにかフェイスベール姿になった彼が、車を消してしまって、両腕でカシンを抱いて地上に降りる。
「昼はバレることはないと思うが」
 おかしな言い方だが、灼熱の国では普通の感覚だった。城のパティオのように特別に造られた場所は別だが、昼の太陽が肌を焼くような暑さの下では、人々は昼にそれほど動き回らない。多くの人間が暗くなってから外に出るのだ。
「しかし暑さに弱そうな見た目だな。今更だけど、歩いて大丈夫か?」
 不意討ちだった。ベールを纏った彼に聞かれて、声を上げて笑ってしまう。
「病人に言われたくありません」
「病人と言うな。お前こそ白くて細すぎる」
 身体が悪いのは事実なのに、彼は負けずに返してくる。
「肌の色は生まれつきです。一日中外にいれば多少は焼けるんですよ」
「別に白いのはいいけど、細すぎるのは問題だろ。碌なものを食べていなかったみたいだしな」
「人生色々あるのです。ザンヤ様の方が波乱万丈の人生を送っているでしょう?」
 探るように聞いてみたが、今日も彼は答えてくれない。ベールで覆われていない目元が少し笑うだけだ。カシンなんかに胸の内を話す気はないのだろうと思えば少し寂しい。それでも、日陰の道を選んで歩いてくれる彼に、分かりにくい優しさを感じてしまう。日差し除けにショールで髪を覆って、彼の隣を歩いていく。女性に見えるかどうかは分からないが、カシンが傍にいることでザンヤの危険が減るのなら、目眩ましにでも盾にでもなりたい。彼は患者だ。カシンが治す前に何かあって堪るか。
「静かだな」
 不思議なもので、昂るカシンの気持ちと逆に、今日のザンヤは静かだった。
「空気が悪そうとか、暴動が起きそうという感じはしませんね」
 石造りの建物が並ぶ街も静かだ。時々家の外に出ている者もいるが、ザンヤに気づく様子もない。家々の庇やアカシアの木の陰を踏むように進んでいれば、足元にモザイク模様の道が広がった。もう少し進むと広場に出る。この街にはカシンも以前来たことがある。
「そもそもセイオンの国は能力者の国だ。例え王の政治が悪くても、生活に必要な能力者が集まれば、死ぬほど困ることはないんだ。王族が贅沢三昧をしていたとしても、国の人間の生活に影響は少ない。ビャクゲツはそんなことはしていないけどな」
 確かにそうだ。食料や被服の能力者がいるし、火や水の能力者もいる。手元に金銭がなくても、能力の授受をして暮らしていくことができる。何故、王族のせいで生活が苦しいという話が広まるのだろう。
「根源はここじゃない。この街はまだ感染もしていない」
「根源? 感染?」
「ああ。街の人間を錯覚させるんだ。生活が苦しい。それは王族のせいだってな」
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