炎暑の国の至高の医師

 それはまずい。カシンも部屋までついていけば、ザンヤに羽交い絞めにされた男が全身で抵抗していた。ザンヤが傍にいるから、警護の者も攻撃できずに見守るしかない。
「殺せ」
「有益な情報を吐いたら殺してやる」
 ザンヤの言葉はどこまでも冷たい。
「俺は何も知らない」
「嘘を吐くな。黒幕の噂くらいはあった筈だ。どうせ死ぬなら役に立ってから死ね」
「……何も知らないと言っている!」
 意思を変えないザンヤに自棄になったのか、男が刃物のような鋭い気を放つ。
「ザンヤ様!」
 カシンが声を上げると同時に、ザンヤの身体に無数の傷がついた。頬についた傷から血が流れるのを見てひやりとする。警護の者に任せてはおけない。時間稼ぎにしかならないが、もう一度二人共眠ってもらおう。そう思って手を翳す。
「……っ!」
 だがカシンが麻酔の能力を放つ前に、足元にグサリと剣が刺さった。
「邪魔をするな、カシン」
 同じ手は食わないというように、二本三本と剣を向けられて、手を下ろさざるを得なかった。それでも黙ってはいられない。
「その者は何も知らないと言っています」
「そう簡単に敵の言葉を信じて堪るか。殺さない程度にいたぶれば何か思い出すかもしれない」
 カシンの言葉など彼には届かない。一体どうすればいい。これ以上ザンヤに酷いことをさせたくない。そう困り果てたところで、すっと後ろにいた人間が道を空けるのが分かった。振り向けばムラギリを連れたビャクゲツがゆっくりと部屋に入ってくる。国王の姿に驚いたのか、敵の男が息を呑む。
「その男を解放してください、兄上」
 静かな声で彼が言った。
「自分の息子が襲われかけたと分かっているのか?」
「知らないと言っている者に問い質しても仕方がない」
「甘いんだよ、お前は。だから根も葉もない噂を立てられるんだ」
「ええ。兄上の力には到底及ばない」
 驚いた。少し頼りなさを感じるような存在だったビャクゲツの言葉が、ザンヤの行き過ぎた行為を封じてしまう。
「その男はコクネツという名だそうです。ムラギリが調べてくれた。この城には優秀な臣下が多くいるから、酷い方法を取らなくても情報は集まる」
 ザンヤを黙らせたあとで、ビャクゲツはコクネツにも顔を向けた。
「城から逃げたところで始末されてしまうから、行きも戻りもできない状態だったのだろう。警護の者に護らせるから、しばらくこの城にいればいい」
「それは流石に危険です、ビャクゲツ様」
 ムラギリが声を上げてもビャクゲツの顔は穏やかなままだ。
「城を出てすぐ殺されてしまえば哀れだろう? 恩を売っておけば、いつか気が変わって役に立ってくれるかもしれない。そう思っている方が余程いい。……カシン」
 ビャクゲツの言葉に頭を下げるムラギリの様子を見ていたところで、不意討ちで声を向けられる。
「今は気が立っているだろうから、もう一度コクネツを眠らせてやってくれ。可能ならいい夢が見られるようにしてくれ。人間、気を張り詰める時間だけを過ごしていれば壊れてしまう」
 どこまでも慈悲深い言葉に頷いて、言われた通りコクネツを眠らせてやった。身体が楽になるようにしたから、上手くいけばいい夢が見られる。
「流石だな、ビャクゲツ。俺には真似できない」
 眠るコクネツが運ばれていくのを見送ってから、そう言ってザンヤも部屋を出ていく。なんとなく彼を一人にしたくなくて、カシンも跡を追った。
「ザンヤ様」
 カシンの声に振り向いた彼は、何故か酷く満足げな顔をしている。不機嫌かと思っていたから、彼の様子に首を傾げてしまう。
「なんだ? 俺もまた眠らせる気か?」
「人を眠らせ魔のように言わないでください」
 ムッとして言い返せば、意外にも彼が声を上げて笑った。なんというか、身分は高いがごく普通の男性がただ楽しくて笑っているような、そんな顔に、あっと閃くものがある。
「どうした? 俺に惚れたか?」
 つい見つめてしまって、彼の台詞に眉を寄せた。
「何故そんな話になるのです?」
「恋人は男だったと言っていただろう? それなら俺でもいいだろうと思ってな」
「男なら誰でもいい訳ではありません」
「俺はかなりランクの高い男だと思うぞ」
 それはそうだ。元々第一王子で、生まれも育ちも、ついでに見た目までいい。
「当たり前のことを言われても面白くありません」
「別に面白がらせようと思った訳じゃない。でもどうやら俺の魅力を分かってくれていたようで嬉しいよ」
「……ザンヤ様、もしかして」
 明るく言葉を交わす彼に、先程閃いたものが確信に近づく。
「今は難しいことに答えたくない。お前も部屋に戻れ」
 そう言った彼が、背を向ける直前に僅かに眉を寄せた気がして、部屋に向かう彼の背を追ってしまう。
「ザンヤ様!」
 無礼を承知で彼の部屋に入れば、彼がベッドの端に腕を預けるようにして倒れていた。体調が悪くなったのだ。至高の医師の目を誤魔化そうとするなんて、舐められたものだ。
「少しだけ失礼します」
 触れればおおよその病状が分かる。だが肩に触れたところで、その手を払われた。
「触るな。俺に医者は必要ない」
「私が勝手に治療したいのです。身体がよくなって困ることはない」
「お前の細腕じゃ、俺をベッドに上げることすらできない」
 わざと怒らせるように言った言葉に聞こえた。それが分かればカシンは逆に冷静になる。ベッドに寝かせれば治療をさせてくれるのかと、考えるより先に能力を使ってしまう。
「……!」
 身体を浮かせてベッドに下ろしてやれば、彼の苦しげな表情の中に驚きの色が混じった。だが何も特別なことではない。病人を治療しやすい体位に変える。初歩の初歩だ。
「ベッドに上げましたから、診させてもらいます」
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