目覚めたら傍にいて
普通に考えれば、同性の友人を一晩泊めることなどなんの問題もない。だが彼は普通と違う気がする。それでも純粋に善意で言ってくれているかも知れない彼を、無下に追い返すこともできない。いや、だが本当にそれでいいのだろうかと、思考がぐるぐると回る。
まぁ、自分が帰れと言ったところで、素直に聞く彼ではないだろうけれど。
最終的にそんな考えに落ち着いて、友聖は諦めて立ち上がった。自分を心配してここまで来てくれたことは事実なのだ。その彼が泊まりたいと言っているのなら、泊めてやればいい。
そうと決まれば少しでも快適に過ごしてもらいたいと、友聖は毛布やタオルの準備を始めた。自分は明日休日だが佐々木は忙しいかもしれないし、彼にベッドを使ってもらおうと、自分用に薄手の毛布も出してくる。ソファーの上で毛布に包まれば、一晩くらい問題なく眠れる。
そこではっと思い出して、リモコンでテレビを点けた。画面に八回裏のマウンドが映し出される。
「あ」
目的の人物を見つけて、画面に釘付けになってしまった。普段とは違う厳しい表情をした彼が、見慣れたフォームで相手を三振に取る。3アウトでチェンジになり、九回の抑えの投手と笑顔で手を合わせてベンチに戻っていく。
「よかった」
思わず零れた。画面上に二対一と表示されている。どんな展開だったか分からないが、これから点を取られても負け投手にはならない。それより何より、怪我をしないで元気にやっている。それが泣きたいくらいに嬉しい。攻守交代で選手たちが動く。一瞬ベンチに座る彼の姿が映って、CMに入ってもずっと、画面を見続けてしまう。
「高月投手ですね」
油断していたところで後ろから声を掛けられ、びくりと身体を震わせてしまった。
「佐々木さん」
「戸締まりもしないで、何かあったらどうするんです?」
「ごめん」
珍しく咎めるように言われて、素直に詫びる。佐々木が苦笑しながら、そんな友聖の隣に腰を下ろす。
「すみません。なんだか煩い親父みたいですね」
「ううん」
彼の言い方がおかしくて、小さく笑ってしまった。彼はどんなときも、瞬時に人の緊張を解いてしまう。
「野球が好きなんですね」
「あ、うん。まぁ」
画面では九回のゲームが始まっていた。さりげなくチャンネルを替えようとしたのに、話を振られて、リモコンに伸ばしかけた手を引っ込める。
「僕も好きなんですよ」
佐々木が屈託なく言う。どうしようかと少し迷って、だがすぐに探偵で野球好きならもう知っているのだろうなと思い直して、白状することにした。
「高月直哉 って兄なんです」
「ええ。知っていました」
予想通りの言葉が返ってきて、高月ってちょっと珍しい名字ですからね、と続く。
「いい投手ですよね。防御率もいいし、ここぞというところできちんと抑える。それに、確か身体が不自由な子どもたちとの交流イベントをやっているとか」
「そこまで知っているんだ」
驚いて見上げれば、彼がにっこり笑って返してくる。
「いいお兄さんをお持ちですね」
「うん。自慢の兄」
少し照れながら、テレビに視線を戻して素直に言った。大好きな兄を褒められれば友聖も嬉しい。
考えてみれば、就職して家を出てから高月直哉が兄だと打ち明けたのは初めてだ。これまでずっと、家族だと知られないように自分からは野球の話題を出すことすら避けて生きてきたのだ。
「警察に届けたくないのは、お兄さんに迷惑が掛かるから?」
「うん。そう」
こんなに早くバレるなら、最初から理由まで話すのだったなと思った。
「詳しく知っている訳じゃないけど、スポーツ選手って恋人とか家族のことで、あることないこと書かれるでしょう? 俺のせいで兄さんの評価が下がるようなことがあったら申し訳ないから」
高月直哉は中継ぎ投手で、ヒーローインタビューでお立ち台に上ったり、CMに起用されたりするような派手な選手ではない。チームもここ何年かはリーグ優勝すらない地味なチームだが、十年以上一軍で登板してきた彼にはそれなりの知名度がある。特にシーズン中の今、野球以外のことで彼を煩わせることは絶対に避けたかった。
「お兄さんのこと、好きなんですね」
佐々木の言葉に物思いから返る。
「別に普通だよ。というか、佐々木さんが言うと違う意味に聞こえる」
「へぇ。どんな意味でしょうね」
悪戯っぽく笑って、彼が身体を寄せてくる。
「ちょっと! 追い出すよ」
両手で肩を押して逃れれば、素直じゃないですねと言いながら、彼も大人しく離れてくれる。
「スカパーも野球を観るためですね」
「うん。そう」
彼にはもう嘘など通用しないと思ったから、素直に頷いた。スカパーは地上波では放送しない試合や延長した試合も最後まで放送してくれるから、野球のためだけに契約している。必要最小限のものやサービスで暮らしている友聖にとって、数少ない例外かもしれない。
画面では九回裏、直哉と交代したピッチャーが三者三振に取り、試合が終了していた。中継が終わる直前、チームメイトの羽田という投手と笑い合う直哉の姿が映って、目を細めて眺める。
「全試合観る訳じゃないけど、兄さんが元気でやっているか知りたいんだ」
「家族なんだから、電話でもメールでもすればいいのに。こっちで試合のときには会うことだってできるでしょう?」
「うん。そうなんだけど」
苦い記憶が甦りそうになって、慌ててそれを払う。トクトクと鼓動が速くなって、抑えるために一つ息を吐く。
「どうかしました?」
「ううん」
短く返して、もうほとんど残っていない紅茶のカップを持ち上げてみた。
大丈夫。何度も思い返して耐えてきたことだ。流石にもう慣れた。もう傷ついたりしない。心でそう繰り返す。
気分を変えるために、何度かリモコンのボタンを押して、一番くだらなそうなバラエティー番組に切り替えた。テレビの音声がなくなれば、隣の彼に余計なことまで喋ってしまいそうだったから。
「そうだ」
佐々木もそれ以上聞かず、代わりにコンビニのビニール袋を広げてみせた。
「ご飯まだですよね。色々買ってきました」
まぁ、自分が帰れと言ったところで、素直に聞く彼ではないだろうけれど。
最終的にそんな考えに落ち着いて、友聖は諦めて立ち上がった。自分を心配してここまで来てくれたことは事実なのだ。その彼が泊まりたいと言っているのなら、泊めてやればいい。
そうと決まれば少しでも快適に過ごしてもらいたいと、友聖は毛布やタオルの準備を始めた。自分は明日休日だが佐々木は忙しいかもしれないし、彼にベッドを使ってもらおうと、自分用に薄手の毛布も出してくる。ソファーの上で毛布に包まれば、一晩くらい問題なく眠れる。
そこではっと思い出して、リモコンでテレビを点けた。画面に八回裏のマウンドが映し出される。
「あ」
目的の人物を見つけて、画面に釘付けになってしまった。普段とは違う厳しい表情をした彼が、見慣れたフォームで相手を三振に取る。3アウトでチェンジになり、九回の抑えの投手と笑顔で手を合わせてベンチに戻っていく。
「よかった」
思わず零れた。画面上に二対一と表示されている。どんな展開だったか分からないが、これから点を取られても負け投手にはならない。それより何より、怪我をしないで元気にやっている。それが泣きたいくらいに嬉しい。攻守交代で選手たちが動く。一瞬ベンチに座る彼の姿が映って、CMに入ってもずっと、画面を見続けてしまう。
「高月投手ですね」
油断していたところで後ろから声を掛けられ、びくりと身体を震わせてしまった。
「佐々木さん」
「戸締まりもしないで、何かあったらどうするんです?」
「ごめん」
珍しく咎めるように言われて、素直に詫びる。佐々木が苦笑しながら、そんな友聖の隣に腰を下ろす。
「すみません。なんだか煩い親父みたいですね」
「ううん」
彼の言い方がおかしくて、小さく笑ってしまった。彼はどんなときも、瞬時に人の緊張を解いてしまう。
「野球が好きなんですね」
「あ、うん。まぁ」
画面では九回のゲームが始まっていた。さりげなくチャンネルを替えようとしたのに、話を振られて、リモコンに伸ばしかけた手を引っ込める。
「僕も好きなんですよ」
佐々木が屈託なく言う。どうしようかと少し迷って、だがすぐに探偵で野球好きならもう知っているのだろうなと思い直して、白状することにした。
「
「ええ。知っていました」
予想通りの言葉が返ってきて、高月ってちょっと珍しい名字ですからね、と続く。
「いい投手ですよね。防御率もいいし、ここぞというところできちんと抑える。それに、確か身体が不自由な子どもたちとの交流イベントをやっているとか」
「そこまで知っているんだ」
驚いて見上げれば、彼がにっこり笑って返してくる。
「いいお兄さんをお持ちですね」
「うん。自慢の兄」
少し照れながら、テレビに視線を戻して素直に言った。大好きな兄を褒められれば友聖も嬉しい。
考えてみれば、就職して家を出てから高月直哉が兄だと打ち明けたのは初めてだ。これまでずっと、家族だと知られないように自分からは野球の話題を出すことすら避けて生きてきたのだ。
「警察に届けたくないのは、お兄さんに迷惑が掛かるから?」
「うん。そう」
こんなに早くバレるなら、最初から理由まで話すのだったなと思った。
「詳しく知っている訳じゃないけど、スポーツ選手って恋人とか家族のことで、あることないこと書かれるでしょう? 俺のせいで兄さんの評価が下がるようなことがあったら申し訳ないから」
高月直哉は中継ぎ投手で、ヒーローインタビューでお立ち台に上ったり、CMに起用されたりするような派手な選手ではない。チームもここ何年かはリーグ優勝すらない地味なチームだが、十年以上一軍で登板してきた彼にはそれなりの知名度がある。特にシーズン中の今、野球以外のことで彼を煩わせることは絶対に避けたかった。
「お兄さんのこと、好きなんですね」
佐々木の言葉に物思いから返る。
「別に普通だよ。というか、佐々木さんが言うと違う意味に聞こえる」
「へぇ。どんな意味でしょうね」
悪戯っぽく笑って、彼が身体を寄せてくる。
「ちょっと! 追い出すよ」
両手で肩を押して逃れれば、素直じゃないですねと言いながら、彼も大人しく離れてくれる。
「スカパーも野球を観るためですね」
「うん。そう」
彼にはもう嘘など通用しないと思ったから、素直に頷いた。スカパーは地上波では放送しない試合や延長した試合も最後まで放送してくれるから、野球のためだけに契約している。必要最小限のものやサービスで暮らしている友聖にとって、数少ない例外かもしれない。
画面では九回裏、直哉と交代したピッチャーが三者三振に取り、試合が終了していた。中継が終わる直前、チームメイトの羽田という投手と笑い合う直哉の姿が映って、目を細めて眺める。
「全試合観る訳じゃないけど、兄さんが元気でやっているか知りたいんだ」
「家族なんだから、電話でもメールでもすればいいのに。こっちで試合のときには会うことだってできるでしょう?」
「うん。そうなんだけど」
苦い記憶が甦りそうになって、慌ててそれを払う。トクトクと鼓動が速くなって、抑えるために一つ息を吐く。
「どうかしました?」
「ううん」
短く返して、もうほとんど残っていない紅茶のカップを持ち上げてみた。
大丈夫。何度も思い返して耐えてきたことだ。流石にもう慣れた。もう傷ついたりしない。心でそう繰り返す。
気分を変えるために、何度かリモコンのボタンを押して、一番くだらなそうなバラエティー番組に切り替えた。テレビの音声がなくなれば、隣の彼に余計なことまで喋ってしまいそうだったから。
「そうだ」
佐々木もそれ以上聞かず、代わりにコンビニのビニール袋を広げてみせた。
「ご飯まだですよね。色々買ってきました」