目覚めたら傍にいて

 それから佐々木は何事もなかったように、本当にちょくちょく友聖の前に現れた。
 流石に例のキスから初めて顔を合わせたときには気まずさで挙動不審に陥ったが、次第に彼の嘘とも本当ともつかない態度に一人意識するのも馬鹿らしくなり、少し冗談が過ぎる珍しい友人として、普通に接するようになっていた。傍にいる頻度が高すぎて、彼がいない時間も彼のことを考えてしまう。最早中毒のようだ。
 その日も仕事を終えて乗り換え駅のホームを歩きながら、友聖はぼんやりと、休日に現れた彼の様子を思い返していた。日曜日に食料品の買い出しに出たら、出向いたスーパーに彼がいたのだ。彼は何故か、友聖の活動範囲にタイミングよく現れる。仕方がないのでカートを押してくれる彼と並んで買いものをすることになったのだ。
「今日のメニューは何ですか?」
 いつもながら上機嫌な彼が、恋人か夫婦のような言葉を向けてくる。
「……焼き魚とほうれん草のおひたしかな。あとは豆腐のお味噌汁」
「いいですね。家庭の味という感じで。羨ましい限りです」
「そんなたいそうなものじゃないって」
 日曜だというのにきちんとスーツを着た佐々木は、姿形のよさもあって、ごく庶民的なスーパーではちょっと目立ってしまっている。そんな彼に余所見もせず構われていれば、心がむずむずと落ち着かない。
「ところで、今日は何しに来たの? 佐々木さん、家はこの辺りじゃないでしょう?」
「何って、友聖に会いに来たに決まっているじゃないですか」
「……もういい」
 いっそ爽やかに言い放った佐々木に、どうしても赤くなってしまう頬を見られたくなくて、友聖はふいと野菜売場に逃げた。そんなこちらの態度に気を悪くすることもなく、待って下さいよと笑って彼がついてくる。
 もう、護衛かプライベートかなどとどうでもよくなっていた。どちらにしろ彼が傍にいることに変わりはない。
「このまま家まで来るつもりなら、佐々木さんの分もご飯作るけど。どうする?」
 また隣を歩き出した彼を見上げて聞いてみる。
「いいんですか?」
「そのつもりだったんじゃないの?」
「実は期待していました」
 子どもっぽい表情になった彼に降参して、友聖もふっと笑ってしまう。彼の言葉はいつもどこまでもまっすぐだ。
 そこでふと、奥の冷凍食品売り場で佐々木を見ながら内緒話をする女性二人に気づいた。それはそうだろう。この容姿なら女性が放っておかない。少し変わってはいるが、性格までいいのだ。それを思えば密かに落ち込んでしまう。そしてすぐにはっとして、違う、違うと、心で誰にだか分からない訂正をする。
 何を考えているんだ。これじゃまるで。
「どうかしました?」
 綺麗な顔に不思議そうに覗き込まれて、ドキリとする。
「なんでもない。それより好き嫌いある?」
「いいえ」
「だと思った」
 動揺を悟られたくなくて素っ気なく言った友聖に、佐々木がまるで何もかもお見通しというように目を細める。
「楽しみです、友聖のご飯」
「普通だから。あまりハードル上げないでよ」
「大丈夫。万が一おいしくなくても、それはそれで僕は幸せですから」
「何それ」
 そんなやりとりの途中で、突然佐々木が足を止めた。胸ポケットから携帯を取り出し、友聖にすみませんと謝る仕草をしてから画面に触れる。
「もしもし。いえ、大丈夫です。何かありました?」
 口調はいつものように柔らかだが、表情が少しだけ険しい。他の客の邪魔にならないようにカートを身体に寄せて見上げる友聖に、彼が心配させまいとの気遣いか、にっこり笑ってみせる。
「……それは少し厄介ですね。分かりました、これから戻ります。……いいえ。それはお互いさまですよ」
 穏やかに電話を終えた彼だが、どうやら仕事に戻らなくてはならなくなったらしい。仕事の話を聞くのは失礼かもしれない。さて、なんと声を掛けようかと迷っていた友聖に、佐々木が亡霊のような顔で告げた。
「事務所に戻らなくてはならなくなりました」
「みたいだね……って、そんなに凹まなくても」
 どこからどうみても落ち込んでいる彼に、思わず慰めの言葉を掛けてしまう。
「凹みますよ。さっきあれだけ喜んだのに」
 そんなに自分とご飯が食べたかったのかと思えば、放っておけない気持ちになった。やはり忙しくてチョコを食事代わりにするようなこともあるのだろうか。友聖のような庶民のご飯でも、家庭の味というものに飢えていたりするのだろうか。そう、思考が勝手に進んでしまう。
「ご飯くらい、家に来てくれればいつでもご馳走するし」
 つい言ってしまった。途端に彼が目を輝かせる。
「本当ですか?」
「あ、いや、またそんな機会があったらってことで」
 慌てて訂正するが、瞬時に立ち直った彼には聞こえていない。いつにしようかと手帳まで確認し出す姿を見ていれば、友聖もまぁ、いいかという気分になった。どうせ一人分作るのも二人分作るのも変わらない。それで喜んでもらえるならいいことだ。いくらなんでも部屋で襲われはしまい。そう思う友聖に、だが彼は危険極まりない台詞を口にする。
「二人で食事をして、その後存分に愛を深め合いましょうね」
「……やっぱり来ないで下さい」
 音声だけ消せばまるで聖職者のような笑顔に危うく引き摺られそうになりながら、友聖はカートを奪って一人レジに向かう。
「軽いジョークじゃないですか」
 懲りない佐々木が笑いながら友聖の後を追い、何故か当たり前のように支払いをされて、漸くスーパーを出たのだった。
『戸越公園です。お出口は左側です。お降りのお客さまは──』
 電車が自宅最寄り駅に到着して、物思いから返った。
 あの日スーパーを出た後、マンションまで荷物を持つと言い張る佐々木をなんとか宥めて、この駅まで見送った。すぐにやってきた電車に乗り込み、窓から手を振る彼の姿に、二人でご飯が食べられなくて落ち込んでいるのは自分の方かもしれないと思ってしまった。すぐに『また、会いに行きます』とメッセージが入って、こちらもいそいそと返信してしまったのだ。
 会う頻度が高すぎるからなのか、どうも彼は友聖の心におかしな感情を連れてくる。いや、単に自分も一人暮らしが長すぎて寂しいのだろうか。そんなことを思いながら改札を抜ける。
 明日は休みだから少し飲もうかと、漸く思考が現実に戻った。いつものコンビニに立ち寄る。今夜はケース買いするほどでもないと、缶ビールを二本手にして会計に向かい、そこでレジの上の時計を目にしてはっとする。今日はナイトゲームだ。姿を見ることができるかもしれない。
 急いで会計を済ますと、今日は紺野ではなく若い女の子が袋詰めしてくれたビールを手に、友聖はマンションへと急いだ。
 事故でもあったのか、そう遠くない場所でパトカーのサイレンの音がする。だが自分は興味本位で見に行くようなタイプではない。赤色灯も見えるが、それよりテレビだ。
 今日は出番はあるだろうか。ベンチに座る様子でもいい。彼の姿が見たい。逸る気持ちで足を進め、部屋の少し前で鞄から鍵を出す。
 そこで異変に気づいた。
「え……」
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