目覚めたら傍にいて

 二人で大井町駅に降りる頃には二時を過ぎていた。駅前のシティホテルのビル内に和食屋を見つけて、そこで遅い朝食兼昼食になる。
 上がホテルの客室、下が食品館という建物の二階は、堅苦しくないのにオシャレな造りになっていた。昼時は混んだのだろうが、この時間は落ち着いていて、窓際のテーブル席に案内される。
「そういえば雅紀、今日は用事があるんじゃなかったっけ」
 テーブルに料理の盆が運ばれてきたところで、ふと昨夜の彼の台詞を思い出して聞いた。明日は用事があって来られないと言っていたが、まさか自分のために仕事をキャンセルしたりしていないだろうかと不安になってしまう。
「ああ、あれは嘘ですから」
 だが焼き魚定食の盆から顔を上げた彼は、なんでもないことのように言った。
「嘘? どうして」
「それも今夜分かるんですけどね。まぁ、でも昨日のあれはヤキモチというか、牽制の意味が強かったというか」
 独り言のように言う台詞の意味が、友聖にはさっぱり分からない。
「一体、どういうこと?」
「まぁ、気にしないでください」
 いや、気にならない訳がないだろうと思うが、彼の武器である極上の微笑みを見せられれば、それ以上言えなくなる。
「……なんか、狡い」
「気分を害してしまったのなら、お詫びをしなければなりませんね。何か欲しいものはありますか?」
「意味が分からない」
「僕は友聖を甘やかしたくて仕方がないんですよ。きちんと恋人になったことですし、記念に何かプレゼントします。もちろん、身体で支給でも構いませんけど」
「……お気持ちだけいただきます」
 平和な会話をしながら食事を終えれば、佐々木が素早く伝票を手にしてしまう。
「あ……」
「夕方までデートしましょう」
 しまった、今日も伝票を取り損ねたと思ったが、彼がどこからどう見ても楽しそうにしているので、まぁいいかという気持ちになる。考えてみれば、昼間からデートなんて最後がいつだったか覚えていないくらい久しぶりだ。友聖だって、佐々木と二人でいて楽しくない訳がない。今夜何があるのか分からないが、彼を信じてここは楽しんでしまおう。そう決めて、できたばかりの恋人と並んで歩いていく。
 もう午後のいい時間だから、更に電車で移動するのはやめて近場で楽しむことにした。駅ビルの本屋で新刊を探し、近くの家電量販店で最新家電を眺めて回る。たったそれだけのことが、佐々木が隣にいるだけできらきらとした時間になるのだから、恋のパワーは偉大だと思う。もちろん彼の前では言えないけれど。
「ちょっとそこに寄っていきましょうか」
「うん。って、ゲームセンター?」
 ショッピングセンターの五階で彼に指されて見れば、プリントシール作成機やガチャガチャの並ぶゲームコーナーがあった。
「そう。ふふ。これを見てください」
 奥に進んで見れば、そこには丸いものが詰まったクレーンゲームが置かれている。
「あ、ひよこ」
 気づいて思わず声を上げた。ガラスの向こうに、カラフルなひよこたちが積み上がっている。
「クレーンゲームの景品だったんだ」
 非売品というタグはこういう意味だったらしい。裏ルートの商品などとおかしなことを考えた自分に笑ってしまう。
「ええ。お金が掛かっていなくて申し訳ないですけど」
「そんなの関係ない。俺、このひよこ好きだし」
 つい必死になってしまって頬を染める。だが本心だった。友聖はもらったひよこが好きだし、あのひよこに救われた。今も友聖のベッドにいるひよこたちを、佐々木との関係と同じくらい大事にしていこうと思っていたりするのだ。
「雅紀はクレーンゲームまでできるんだね」
「嗜む程度ですけど」
「嗜むって」
 やはり、知れば知るほど凄い男だと思う。もう、彼がひよこ鑑定士の免許を持っていると言い出しても驚かないだろう。
「他の色も取りましょうか?」
 聞かれて、それには迷ってしまった。
「うーん。嬉しいけど、ひよこは二羽でいいかな。だって」
「だって?」
「えっと」
 詰め寄られて困ってしまう。あのひよこたちが佐々木と友聖なら、他のひよこを連れ帰って佐々木のひよこが浮気心を起こしたら妬いてしまう。なんて。恋人ができた途端にそんな乙女思考になる自分は、ちょっと浮かれすぎだろうか。
「僕は浮気なんてしませんよ。でも、二人きりの方がいいですからね」
 また佐々木が友聖の心を読んだように言う。優しく頭に触れられて、男同士で甘い空気に浸っていたところで、佐々木が何かに気づいて目元を和らげる。振り向いて彼の視線の先に目を遣れば、頭にピンクのリボンをした女の子が何か言いたげにこちらを見ていた。
「ちょっと待っていてください」
 友聖に言って、佐々木がクレーンゲームにお金を入れてしまう。
「わ、凄い」
 ガラスの中を見ていれば、佐々木はタグを狙って簡単にピンクのひよこをゲットしてしまった。取り出し口から出したひよこを手にして、佐々木が女の子のもとに向かう。
「よかったらどうぞ。お嬢さん」
「いいの? ありがとう」
「どういたしまして」
 微笑んで友聖の傍に戻る彼を、こちらも柔らかな気持ちで迎える。
「小さな女の子ですから。妬かないでくださいね」
「ううん。ダメ。浮気は浮気だから。もう怒った」
 ゲームコーナーを出ながらそんなことを言い合うのが、楽しくて仕方なかった。
「では今夜は身体で奉仕を。お許しが出るまで朝まででも」
「……どうしてそんな話になるかな」
 さらりとそんなことを言う佐々木に、ごく普通の人間の友聖は頬を染める。
「隣の建物に珍しい文具のお店があるみたいですよ。ちょっと覗いてみましょうか」
「うん」
 彼といると何を見ても楽しい気がして、弾んだ声を返した。通勤ルートの乗り換え駅で、飽きるほど来ている場所だというのに、彼が傍にいるだけで周りの景色が違って見える。
「友聖」
「ん?」
「愛していますよ」
「ちょっと!」
 隙あらばそんな言葉を口にする彼が、何度も友聖を慌てさせる。そうして充分にデートを楽しみ、自宅の最寄り駅に戻る頃には六時を過ぎていた。
 昼間は暑い日が続いているが、九月になって流石に日は短くなっている。商店街から折れた細い路を歩きながら、紺色に染まりかかった空に実感する。時々思い出したように肌を掠める風が気持ちいい。どこまでも平和だ。
 だがマンションが見えて、さて今夜は夕食に何を作ろうかと考え始めたところで、突然佐々木に腕を引かれた。
「え、何?」
「まだ部屋には戻らないでください」
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