目覚めたら傍にいて

 翌朝、十時近くになって目を覚ました。
 隣に目を遣れば、いつからそうしていたのか友聖に腕枕した状態の佐々木が、満足そうにこちらを見ている。
「おはようございます」
「おはよう……って、ちょっと!」
 当然のように唇を寄せてくるから、慌てて彼の腕から逃れた。
「キスくらいいいじゃないですか。昨日あれだけ激しく愛し合った……」
「その話はもういい」
 彼の台詞を遮ってしまう。昨夜はテンションが上がっていて感じなかったが、改めて思えば凄いことをしてしまったし、思い出すのも恥ずかしい台詞をいくつも口にした気がする。
「えっと、シャワー浴びてご飯食べようか」
 とりあえずベッドにいるのが恥ずかしくて起き上がろうとした友聖の腕を、佐々木が引き戻す。そのまま当然のように押し倒されてしまう。
「一緒にシャワーを浴びましょうか?」
「一緒には浴びない」
 そもそもこれはバスルームに行く体勢じゃない、と突っ込もうとしたとき、部屋の傍をバイクが走り去る音に気づいた。何かの配達だろうかと思って、そこであっと小さく声が上がる。どうして気づかなかったのだろう。昨夜食事の席で一瞬感じた違和感の正体に今更気づいてしまう。
「どうかしました?」
 佐々木が素早く身体を離して聞いてくる。
「バイク」
「バイク?」
 友聖の身体も起こして、背中に腕を回してくれる彼に告げる。
「野球ボールが投げられた夜、その前におかしな手紙が届いたでしょう? 手紙をポストに入れた犯人はバイクで逃げたのに、その後すぐに違う方向からボールが飛んできた。それに、羽田選手は兄さんを恨んであんなことをしたのに、どうして『部屋の男と別れろ』なんて書いたんだろう。そうだ。玄関にお酒の瓶が割られていた日だって、羽田選手は球場にいた。俺が誰かにつけられていると思った夜だって……」
 一つ気づけば次から次へと疑問が湧いて、思うままに口にする。だが聞いた佐々木が動じることはない。
「簡単ですよ。犯人はもう一人いるんです」
 さらりと返された。
「え?」
 昨日の直哉の話で全て解決ではなかったのか。もう一人の犯人とは誰なのか。ぐるぐると考える友聖と違って、佐々木は落ち着いている。
「今夜分かると思いますよ」
 訳の分からないことを言ったかと思うと、ぽんと友聖の頭に手を置いて立ち上がる。
「先にシャワーを借りますね」
 そう言ってバスルームに入ってしまった。それならバスタオルを出してあげなければと後を追う。巻くものがなかったので、と裸で出てこられたら、その後何をされるか分からない。
 今のうちに洗濯もしてしまおうと考えて、そんな自分の思考の平和さに苦笑した。一瞬で『もう一人の犯人』について忘れている。洗濯機のボタンを押して蓋を閉めながら、恵まれた状況を実感した。佐々木がいるから何も心配せずにいられる。一から十まで甘えるつもりはないが、彼が傍にいてくれれば心が安定して、不測の事態も過度に恐れることはないと思える。もう自分は一人ではない。だがまた彼を危険な目に遭わせてしまうのではないかと、そこはやはり気になってしまう。
「友聖」
「あ」
 振り向けば腰にバスタオルを巻いただけの彼に見下ろされていた。
「怖いですか?」
 彼の手が友聖の頬に触れる。
「ううん、平気。雅紀のこと信じているし」
 その手に自分の手を重ねて笑ってみせる。
「可愛いですね。食べてしまいたい」
 一瞬後には腕の中にいた。
「ちょっと!」
 どうしてそういう話になるんだ、と逃れようとする友聖を、佐々木がますます強い力で抱きしめる。
「心配しなくても、友聖を危ない目に遇わせたりしません。僕も二度同じミスをしたりしませんから、心配はいりません」
「雅紀」
 不思議だ。佐々木には自分の心の中が見えているみたいだ。そう思い、ふっと笑ってしまう。もし心を読む能力があるのなら、自分は彼ほどまっすぐ伝えられるタイプではないから、拗ねたり素っ気ない態度を取ってしまったときにも、本当は好きだという気持ちを読んでくれたらいい。
「どうしたんです? いきなり笑ったりして」
「ううん。俺もシャワー浴びてくるよ」
 だから離してと言ったつもりだったのに、佐々木は気づかないフリで耳元に唇を寄せてくる。
「ねぇ、友聖」
 艶っぽい声に身体が震える。
「……何?」
 これはまずい展開かなと、流石の友聖にも予想できてしまう。
「……シャワーを浴びたいんだけど」
「僕は今、物凄く幸せです」
 噛み合わない会話に危険信号が灯る。
「朝起きたら愛する人が隣にいて、彼が可愛らしい顔を見せてくれて」
「それは、よかったね」
 躱すように返すが、それでめげるような彼ではない。
「今日はお休みで。僕は今裸で」
 え、と思うより先に身体が宙に浮いた。佐々木が友聖を横抱きにして運び、下ろされたのはつい先程までいたベッドの上だ。
「ちょっと、雅紀、こんな朝から」
「愛する者同士に、時間なんて関係ありません」
 友聖の制止に怯むことなく、彼がシャツの中に手を入れてくる。
「雅紀、……んっ」
 敏感な部分に触れられ声が零れる。律儀に反応してしまう身体が憎い。バスタオルを取れば彼はもう全裸だ。
「友聖に出会って、僕は理性が上手く働かなくなったみたいです」
「弁護士さんには、致命的なんじゃ……」
 全部言う前に唇が落とされる。
「本業は探偵ですから、問題ありません」
 にっこり笑った彼と、既に自分も余裕をなくしている友聖は、その後昨夜の続きのような密度の濃い時間を過ごす羽目になった。
 いい大人が覚えたての少年みたいだと恥ずかしくなったのは一瞬で、そのうち彼の愛撫を感じることで一杯になる。求められて、こちらも抱き返して、いつのまにか意識を落としてしまう。
 二度目の眠りから覚めて、見回せばそこに隣に佐々木の姿がなかった。
「雅紀……?」
 帰ってしまったのだろうかと上手く働かない頭で考えていれば、ミネラルウォーターのボトルを手にした彼が戻ってくる。どうやら二度目のシャワーを浴びたあとらしい。
「ごめん。僕がいなくて心細くなってしまいました?」
 ベッドに腰掛けた佐々木が、小さな子どもに向けるように言う。
「そんなことない」
 全く、言っていることが的外れでないところが厄介なのだ。気恥ずかしさを誤魔化す意味もあって、友聖は小さく伸びをする。
「はい。お水です」
「ありがと」
 蓋を開けて差し出されたミネラルウォーターを口にして、部屋の中を見回してみる。最初に起きたのが十時頃だから、もう一時くらいだろうか。強い日差しが差し込む窓の外に目を向けて、そこにきちんと干された洗濯物を見つける。
「まさか、洗濯物干してくれたの?」
「ええ。友聖が可愛らしくぐっすり眠っていたので」
 そんなに驚くことですか? と佐々木が逆に不思議そうな顔になる。
「……助かる。ありがと」
「どういたしまして。料理以外の家事は人並みにできるんですよ」
 なんでもないことのように言って、佐々木がごく自然に友聖の唇に触れてくる。
「もう、また」
「ふふ。なんだかまた襲いたくなってしまったんですけど。エンドレスになりそうなのでやめておきます」
「そうしてもらえると助かる」
 どこまでタフなのだろうと、呆れを通り越して感心してしまった。スーツを着て黙れば頭脳派の仕事人間に見えるのに。そうぼんやり考える友聖の横で、彼は立ち上がって着替えを済ませてしまう。
「起きられそうだったら、お昼ご飯、大井町の方まで出てみましょうか」
「あ、うん」
 そういえば朝ご飯もまだ食べていない。そう気づいて、友聖もベッドから起き上がる。もう一度窓の外に目を遣れば、きちんとシワを伸ばされた洗濯物がはためいていて、ああ、恋人というものができたのだなと、一人頬を染めてしまう。
 どうやら今日も一緒にいてくれるらしいから、その幸せに浸ってしまおう。密かにそんなことを思いながら、友聖も漸くバスルームに向かうのだった。
24/28ページ
スキ