目覚めたら傍にいて
「これといった理由はなかったみたいだな。同じ中継ぎで、年間通して出場してた俺がたまたま近くにいたからって感じで」
「そんな理不尽な」
それで友聖のところにまで脅しに来たのかと思えば、ため息の一つも零れてしまう。
「まぁ、強いて言えば俺は目立つタイプじゃないし、試合以外のテレビに出ることも滅多になかったから、羽田に比べたら点を取られて負けてもバッシングが少なかったってのも気に障ったのかもしれない」
直哉が苦笑するのに合わせて、佐々木も静かに口を開く。
「あとは奥様のことですね」
「奥さん?」
「ええ。熱烈なファンの中には、結婚して成績が落ちると奥様当てに嫌がらせをする人間もいるみたいで」
「そんな……」
有名な選手が引退後に、新婚の妻に嫌がらせをされたと暴露したテレビ番組を思い出す。家の電話で罵声を浴びせたり、酷い手紙を妻宛てに送ったりとそんなことが続いて、彼は一時ファンを恨んでしまうほどになったらしい。結局最後にはファンへの感謝の気持ちを伝えるのだが、長く苦しんできたことには変わりない。いくらチームの勝利を望んでいるとはいえ、どうしてそんなことができるのだろう。過激なファンの気持ちなど、自分はこれから先も理解することはないと思う。
「高月さんが浮ついた噂の一つもなく、淡々と成績を伸ばしているのが堪らなくなったんでしょうね。俺はこんなに苦労しているのにって。的外れで八つ当たりもいいところなんですけど」
そんな羽田の気持ちも分からないではなかった。だが直哉にしてみれば堪ったものではない。
「それで段々と精神的に追い詰められて、俺にも『家族を狙う』みたいなことを言い出したって訳。でも俺には妻どころか恋人もいなかったから、それでゆうがターゲットになったんだ」
「よく俺の住所なんて分かったね。兄さんに弟がいることだって知られていないと思っていたのに」
「今はその気になればなんだって調べることのできる時代なんですよ。それこそ、探偵なんかいらないくらいにね」
佐々木がしみじみと言う。確かに、今は多くのことがスマホ一つで解決してしまう。本物の探偵の佐々木が言うのだから言葉に重みを感じてしまう。それでも、もし機械が全てを解決していたら、友聖が彼と会うことはなかった。
「とにかく、羽田と話はついた。それで」
直哉が申し訳なさそうに友聖の顔を見る。
「怖い思いをしたゆうには悪いんだけど、警察にもチームにも言わないことにした。チーム内の不祥事なんて、ばれたらマスコミの格好のネタになるし。それに何より、羽田の仕事や家族を奪いたくないと思ってな。もちろん、次にゆうに何かしたら容赦しないって釘は刺してきたから」
「兄さん」
やはり優しい、大好きな兄だと思った。友聖だって、不祥事で野球を辞めた選手がその後普通の生活を送れるとは思わない。事件を表沙汰にするのは酷だと思う。
「俺はそれで全然問題ないよ。でも、それは怪我をした佐々木さんが決めるべきでしょう?」
「僕は友聖が無事なら問題ありません。今考えれば、彼は脅してやろうと思っただけで、友聖に当てる気なんてなかったと思いますしね。コントロール抜群のピッチャーなんですから。あ、凹んだ玄関のドアの修理代だけは、羽田さんにきちんと請求しておきましたから安心して下さい」
法律家の口調で言って佐々木が微笑む。そういえば直さないといけなかったなと、まるで他人事のように感じて、そこで、あれ? と引っ掛かるものを感じた。
「羽田は来シーズンからメジャーに挑戦するらしい」
「メジャーリーグ?」
引っ掛かりの正体を掴めないまま、直哉の言葉に引き寄せられる。
「そう。傘下のマイナーリーグのトライアルを受けたりとか、そういうところからのスタートになると思うし、上手くいくとは限らなくて大変だろうけど。でも奥さんも英語堪能な人だし、いいんじゃないかなって思う。悪かったって、環境を変えてまた一から頑張りたいって言ってたよ」
「兄さんは?」
「俺は今の球団に骨を埋めるつもり。今はまだ三年契約の途中だし、頑張れるところまで頑張って、いずれ現役を引退しても、ピッチングコーチとかトレーナーができたらいいと思ってる」
「そっか」
彼らしい答えに安堵して、友聖は目の前のグラスを口に運ぶ。その横で、直哉が正面の佐々木に頭を下げる。
「佐々木さん、友聖を護ってくれてありがとうございました」
「いえ。憧れの高月投手に会うことができましたし、友聖に出会うこともできた。逆にお礼を言いたいくらいです」
ね、と佐々木に微笑まれて、噎せそうになってしまう。その様子に直哉が笑う。
「すっかり仲よくなったみたいだな。実は佐々木さんの事務所に決めたのは、探偵なのに弁護士の資格も持っていることと、ネットのプロフィール欄に高月直哉のファンだと書かれていたからだったんだけど。でもそんな理由で決めてよかった」
「ふふ。不思議な縁ですけど。僕も高月さんの依頼を担当することができてよかった。依頼は解決しましたので、これからはプラーベートで、僕は友聖を護っていきたいと思います」
「ちょっ……! 佐々木さん!」
突然の言葉に慌ててしまう。今のはどう考えても友人に向ける言葉ではない。
「是非そうしてやってください」
酒の入った頭でどこまで理解したか分からないが、直哉は穏やかに佐々木に応じた。そうして、また和やかに三人の楽しい食事は進んでいく。
帰りは三人でタクシーに乗り、先に直哉のマンションに寄ってから友聖の部屋に戻ることになった。
「佐々木さんも品川方面だから」
直哉が降りる前にそう誤魔化してみたが、彼は佐々木が今日も友聖の家に泊まると言っても咎めることはない気がした。それが単に馬の合う護衛と思ってか、それ以上を見抜いているのかまでは分からなかったけれど。
「……兄さん」
タクシーの窓の外の夜空は珍しいほどに澄んでいた。月明かりに光るアスファルトを眺めながら、身体を後部座席に沈める。
「疲れました?」
隣に座る佐々木に気遣われて、小さく首を振った。
「ううん。色々聞いてびっくりしたけど、とにかく兄さんが無事って分かってよかった。安心したらちょっと気が抜けたみたい」
「そんな理不尽な」
それで友聖のところにまで脅しに来たのかと思えば、ため息の一つも零れてしまう。
「まぁ、強いて言えば俺は目立つタイプじゃないし、試合以外のテレビに出ることも滅多になかったから、羽田に比べたら点を取られて負けてもバッシングが少なかったってのも気に障ったのかもしれない」
直哉が苦笑するのに合わせて、佐々木も静かに口を開く。
「あとは奥様のことですね」
「奥さん?」
「ええ。熱烈なファンの中には、結婚して成績が落ちると奥様当てに嫌がらせをする人間もいるみたいで」
「そんな……」
有名な選手が引退後に、新婚の妻に嫌がらせをされたと暴露したテレビ番組を思い出す。家の電話で罵声を浴びせたり、酷い手紙を妻宛てに送ったりとそんなことが続いて、彼は一時ファンを恨んでしまうほどになったらしい。結局最後にはファンへの感謝の気持ちを伝えるのだが、長く苦しんできたことには変わりない。いくらチームの勝利を望んでいるとはいえ、どうしてそんなことができるのだろう。過激なファンの気持ちなど、自分はこれから先も理解することはないと思う。
「高月さんが浮ついた噂の一つもなく、淡々と成績を伸ばしているのが堪らなくなったんでしょうね。俺はこんなに苦労しているのにって。的外れで八つ当たりもいいところなんですけど」
そんな羽田の気持ちも分からないではなかった。だが直哉にしてみれば堪ったものではない。
「それで段々と精神的に追い詰められて、俺にも『家族を狙う』みたいなことを言い出したって訳。でも俺には妻どころか恋人もいなかったから、それでゆうがターゲットになったんだ」
「よく俺の住所なんて分かったね。兄さんに弟がいることだって知られていないと思っていたのに」
「今はその気になればなんだって調べることのできる時代なんですよ。それこそ、探偵なんかいらないくらいにね」
佐々木がしみじみと言う。確かに、今は多くのことがスマホ一つで解決してしまう。本物の探偵の佐々木が言うのだから言葉に重みを感じてしまう。それでも、もし機械が全てを解決していたら、友聖が彼と会うことはなかった。
「とにかく、羽田と話はついた。それで」
直哉が申し訳なさそうに友聖の顔を見る。
「怖い思いをしたゆうには悪いんだけど、警察にもチームにも言わないことにした。チーム内の不祥事なんて、ばれたらマスコミの格好のネタになるし。それに何より、羽田の仕事や家族を奪いたくないと思ってな。もちろん、次にゆうに何かしたら容赦しないって釘は刺してきたから」
「兄さん」
やはり優しい、大好きな兄だと思った。友聖だって、不祥事で野球を辞めた選手がその後普通の生活を送れるとは思わない。事件を表沙汰にするのは酷だと思う。
「俺はそれで全然問題ないよ。でも、それは怪我をした佐々木さんが決めるべきでしょう?」
「僕は友聖が無事なら問題ありません。今考えれば、彼は脅してやろうと思っただけで、友聖に当てる気なんてなかったと思いますしね。コントロール抜群のピッチャーなんですから。あ、凹んだ玄関のドアの修理代だけは、羽田さんにきちんと請求しておきましたから安心して下さい」
法律家の口調で言って佐々木が微笑む。そういえば直さないといけなかったなと、まるで他人事のように感じて、そこで、あれ? と引っ掛かるものを感じた。
「羽田は来シーズンからメジャーに挑戦するらしい」
「メジャーリーグ?」
引っ掛かりの正体を掴めないまま、直哉の言葉に引き寄せられる。
「そう。傘下のマイナーリーグのトライアルを受けたりとか、そういうところからのスタートになると思うし、上手くいくとは限らなくて大変だろうけど。でも奥さんも英語堪能な人だし、いいんじゃないかなって思う。悪かったって、環境を変えてまた一から頑張りたいって言ってたよ」
「兄さんは?」
「俺は今の球団に骨を埋めるつもり。今はまだ三年契約の途中だし、頑張れるところまで頑張って、いずれ現役を引退しても、ピッチングコーチとかトレーナーができたらいいと思ってる」
「そっか」
彼らしい答えに安堵して、友聖は目の前のグラスを口に運ぶ。その横で、直哉が正面の佐々木に頭を下げる。
「佐々木さん、友聖を護ってくれてありがとうございました」
「いえ。憧れの高月投手に会うことができましたし、友聖に出会うこともできた。逆にお礼を言いたいくらいです」
ね、と佐々木に微笑まれて、噎せそうになってしまう。その様子に直哉が笑う。
「すっかり仲よくなったみたいだな。実は佐々木さんの事務所に決めたのは、探偵なのに弁護士の資格も持っていることと、ネットのプロフィール欄に高月直哉のファンだと書かれていたからだったんだけど。でもそんな理由で決めてよかった」
「ふふ。不思議な縁ですけど。僕も高月さんの依頼を担当することができてよかった。依頼は解決しましたので、これからはプラーベートで、僕は友聖を護っていきたいと思います」
「ちょっ……! 佐々木さん!」
突然の言葉に慌ててしまう。今のはどう考えても友人に向ける言葉ではない。
「是非そうしてやってください」
酒の入った頭でどこまで理解したか分からないが、直哉は穏やかに佐々木に応じた。そうして、また和やかに三人の楽しい食事は進んでいく。
帰りは三人でタクシーに乗り、先に直哉のマンションに寄ってから友聖の部屋に戻ることになった。
「佐々木さんも品川方面だから」
直哉が降りる前にそう誤魔化してみたが、彼は佐々木が今日も友聖の家に泊まると言っても咎めることはない気がした。それが単に馬の合う護衛と思ってか、それ以上を見抜いているのかまでは分からなかったけれど。
「……兄さん」
タクシーの窓の外の夜空は珍しいほどに澄んでいた。月明かりに光るアスファルトを眺めながら、身体を後部座席に沈める。
「疲れました?」
隣に座る佐々木に気遣われて、小さく首を振った。
「ううん。色々聞いてびっくりしたけど、とにかく兄さんが無事って分かってよかった。安心したらちょっと気が抜けたみたい」