目覚めたら傍にいて
今シーズン、直哉は登板数も多く着実に数字を伸ばしていた。チームも今年は惜しいところでクライマックスシリーズ出場を逃し、あとは消化試合を残すだけだが、去年より勝率を上げて来シーズンへの期待を高めているのは、身内の贔屓目だけでなく直哉の貢献が大きかったと思っている。だがその分、同じポジションで別の思いをしている選手がいるのかもしれないと、今更そんなことに気がつく。
「最初は嫌がらせの手紙だったんだ。けどそれはプロなら多かれ少なかれあることだし、気にしてなかった。球団のホームページにコメント欄があるのに、わざわざ切手代を使ってありがたいことだなって、そう思って忘れることにしたんだ」
「そっか」
投手は打たれて負ければ責められるし、逆に抑えれば敵チームから逆恨みされることもある。もちろんその何倍もコメントが届くのだろうが、直哉の性格上いいものも悪いものも全て目を通している気がして、改めて厳しいプロの世界で戦う彼を思い胸が痛んでしまう。
「それであるときふと、試合に出るたびに似たような文面の手紙が届いていることに気づいた。『調子に乗るな』とか『相手のバッターが不調だっただけだ』とかな。筆跡もなんとなく見たことがあるような気がした。けど試合やトレーニングで忙しかったし、たいして気にすることはなかった。今思えば、それも余計に気に障ったんだろうけど」
やりとりを思い出すように、彼が一つ息を吐く。
「相手にされていないと思ったのか、攻撃はさらに酷くなった。古典的なんだけど、俺の写真が破られたものとか、カッターの刃が同封されるようになって」
「え……」
ピッチャーの手を傷つけようとするなんてと、聞いた友聖が青くなってしまう。
「あ、もちろん、そんなのに引っかかるほど無用心じゃないから安心して」
その不安を払うように、彼が明るく言ってくれる。
「あるとき、まだ外部が知る筈のない相手チームの情報が書かれたものが届いて、俺はチームメイトの犯行だと悟った。いや、もっと言えば、信じたくなかったけど、羽田の仕業かもしれないと思った」
「羽田さんの?」
もう一度、自分の中にある羽田という選手の情報をかき集めてみる。プロになってから十年以上同じチームにいる直哉と違って、羽田は三年前に他のチームから移籍してきた筈だ。前のチームでは先発投手だったが、移籍してからは直哉と同じ中継ぎで活躍するようになった。スマートなルックスとインタビューでの気の利いたコメントが受けて、バラエティ番組なんかにもよく出ていたし、それが縁でレポーターをしていた女性と結婚した。友聖には何不自由なく生きている人物に思えてしまう。
「羽田はそれまでと変わらず接してきたし、トレーニングで一緒になることもあった。手紙の数が増えるにつれて、羽田が犯人かもしれないという思いを強くしていったけど、それを口に出すことはできなかった」
「うん。それはそうだよね」
直哉の性格だ。友人を疑うことは苦痛だっただろう。チームメイトである以上、コーチや他の選手にも相談できなかった筈だ。
「そして、ついにというか、『次の試合を欠場しなければ、家族に危害が及ぶ』という手紙が届いた」
「そんな」
出場する選手は監督が決める。仮病でも使えということだったのだろうか。なんにせよ、直哉は自分のこと以上に痛めつけられたに違いない。
表情をなくす友聖を気遣うように、彼がまた柔らかく笑ってみせる。
「実家の方は問題なかった。二四時間セキュリティ会社と契約してるし、父さんもいる。それに、目敏い近所のおばさん連中もいるから、下手なことはできないと思った」
わざと最後を茶化すように言い、それからふと真面目な顔に戻って、直哉がこちらを見据える。
「ゆうが、心配だった」
「兄さん」
「絶対にゆうに危害を加えさせたりしない。最悪、俺は野球を辞めてもいいと思った」
「そんなのダメだよ」
つい大きな声が出てしまい、そんな友聖の頭に直哉が優しく触れてくる。
「そう言うと思った」
彼の視線が佐々木へと移る。
「それで探偵事務所に頼むことにしたんだ。最初はとにかく犯人と動かぬ証拠を掴んでほしいってね」
「依頼に来たとき、高月さんがあまりにも友聖のことを心配していたので、でしたら護衛も引き受けましょうかと、僕の方から申し出たんですよ」
「そう。一緒にいる時間は俺が羽田の動きを見ていられるけど、それ以外は難しいからな。お言葉に甘えて、可能な限りゆうの護衛をお願いしてたんだ。羽田はプロスポーツ選手で鍛えてるけど、佐々木さんもその辺の人間に負けないくらい強いって自己申告されたからさ」
なるほど。本来の依頼は犯人探しだったのだ。加えて佐々木が今は護衛だプライベートだと言い分けていた理由も分かった。確かに試合中は仕掛けようがない。
「ゆうに言わなかったのは、余計な心配をさせたくなかったのと、ちゃんと分かるまでは羽田を犯人だと決めつけて話を進めたくなかったからだ」
「でもこの間のボールで認めさせることができた。今日お兄さんと一緒に、羽田選手のところに行ってきたんですよ」
「え」
驚いて二人の顔を交互に見る。
「こないだのボールと今まで送られてきた手紙、何より隣に弁護士がいたことで俺が本気だと分かったんだろうな。特に言い逃れもせず話してくれたよ」
「……そう」
「バッジをつけたのなんて久しぶりで、緊張しましたよ」
重くなった空気を和ませるように佐々木が言う。
「そういえば初めて見たかも」
言われて目を遣れば、佐々木のスーツの衿に向日葵のバッジが留められていた。弁護士の名刺を貰った時点で疑ってはいなかったが、やはり凄い人なのだと実感してしまう。
「話し合いの場で、顔色一つ変えずに羽田にものを言う佐々木さんを見て、失礼なんだけど、ちょっとびっくりした。弁護士の先生だったんだなって実感したよ」
「そう。実は超敏腕弁護士なんです」
軽口で返す佐々木に直哉も表情を緩める。
「羽田は全部認めたよ。彼はシーズン前半、肘を痛めて一時登録抹消になってたんだ。六月から復帰してたし、成績も悪くなかった筈なんだけど、本人としては納得できなかったんだろうな」
「でも、だからってどうして兄さんに?」
「最初は嫌がらせの手紙だったんだ。けどそれはプロなら多かれ少なかれあることだし、気にしてなかった。球団のホームページにコメント欄があるのに、わざわざ切手代を使ってありがたいことだなって、そう思って忘れることにしたんだ」
「そっか」
投手は打たれて負ければ責められるし、逆に抑えれば敵チームから逆恨みされることもある。もちろんその何倍もコメントが届くのだろうが、直哉の性格上いいものも悪いものも全て目を通している気がして、改めて厳しいプロの世界で戦う彼を思い胸が痛んでしまう。
「それであるときふと、試合に出るたびに似たような文面の手紙が届いていることに気づいた。『調子に乗るな』とか『相手のバッターが不調だっただけだ』とかな。筆跡もなんとなく見たことがあるような気がした。けど試合やトレーニングで忙しかったし、たいして気にすることはなかった。今思えば、それも余計に気に障ったんだろうけど」
やりとりを思い出すように、彼が一つ息を吐く。
「相手にされていないと思ったのか、攻撃はさらに酷くなった。古典的なんだけど、俺の写真が破られたものとか、カッターの刃が同封されるようになって」
「え……」
ピッチャーの手を傷つけようとするなんてと、聞いた友聖が青くなってしまう。
「あ、もちろん、そんなのに引っかかるほど無用心じゃないから安心して」
その不安を払うように、彼が明るく言ってくれる。
「あるとき、まだ外部が知る筈のない相手チームの情報が書かれたものが届いて、俺はチームメイトの犯行だと悟った。いや、もっと言えば、信じたくなかったけど、羽田の仕業かもしれないと思った」
「羽田さんの?」
もう一度、自分の中にある羽田という選手の情報をかき集めてみる。プロになってから十年以上同じチームにいる直哉と違って、羽田は三年前に他のチームから移籍してきた筈だ。前のチームでは先発投手だったが、移籍してからは直哉と同じ中継ぎで活躍するようになった。スマートなルックスとインタビューでの気の利いたコメントが受けて、バラエティ番組なんかにもよく出ていたし、それが縁でレポーターをしていた女性と結婚した。友聖には何不自由なく生きている人物に思えてしまう。
「羽田はそれまでと変わらず接してきたし、トレーニングで一緒になることもあった。手紙の数が増えるにつれて、羽田が犯人かもしれないという思いを強くしていったけど、それを口に出すことはできなかった」
「うん。それはそうだよね」
直哉の性格だ。友人を疑うことは苦痛だっただろう。チームメイトである以上、コーチや他の選手にも相談できなかった筈だ。
「そして、ついにというか、『次の試合を欠場しなければ、家族に危害が及ぶ』という手紙が届いた」
「そんな」
出場する選手は監督が決める。仮病でも使えということだったのだろうか。なんにせよ、直哉は自分のこと以上に痛めつけられたに違いない。
表情をなくす友聖を気遣うように、彼がまた柔らかく笑ってみせる。
「実家の方は問題なかった。二四時間セキュリティ会社と契約してるし、父さんもいる。それに、目敏い近所のおばさん連中もいるから、下手なことはできないと思った」
わざと最後を茶化すように言い、それからふと真面目な顔に戻って、直哉がこちらを見据える。
「ゆうが、心配だった」
「兄さん」
「絶対にゆうに危害を加えさせたりしない。最悪、俺は野球を辞めてもいいと思った」
「そんなのダメだよ」
つい大きな声が出てしまい、そんな友聖の頭に直哉が優しく触れてくる。
「そう言うと思った」
彼の視線が佐々木へと移る。
「それで探偵事務所に頼むことにしたんだ。最初はとにかく犯人と動かぬ証拠を掴んでほしいってね」
「依頼に来たとき、高月さんがあまりにも友聖のことを心配していたので、でしたら護衛も引き受けましょうかと、僕の方から申し出たんですよ」
「そう。一緒にいる時間は俺が羽田の動きを見ていられるけど、それ以外は難しいからな。お言葉に甘えて、可能な限りゆうの護衛をお願いしてたんだ。羽田はプロスポーツ選手で鍛えてるけど、佐々木さんもその辺の人間に負けないくらい強いって自己申告されたからさ」
なるほど。本来の依頼は犯人探しだったのだ。加えて佐々木が今は護衛だプライベートだと言い分けていた理由も分かった。確かに試合中は仕掛けようがない。
「ゆうに言わなかったのは、余計な心配をさせたくなかったのと、ちゃんと分かるまでは羽田を犯人だと決めつけて話を進めたくなかったからだ」
「でもこの間のボールで認めさせることができた。今日お兄さんと一緒に、羽田選手のところに行ってきたんですよ」
「え」
驚いて二人の顔を交互に見る。
「こないだのボールと今まで送られてきた手紙、何より隣に弁護士がいたことで俺が本気だと分かったんだろうな。特に言い逃れもせず話してくれたよ」
「……そう」
「バッジをつけたのなんて久しぶりで、緊張しましたよ」
重くなった空気を和ませるように佐々木が言う。
「そういえば初めて見たかも」
言われて目を遣れば、佐々木のスーツの衿に向日葵のバッジが留められていた。弁護士の名刺を貰った時点で疑ってはいなかったが、やはり凄い人なのだと実感してしまう。
「話し合いの場で、顔色一つ変えずに羽田にものを言う佐々木さんを見て、失礼なんだけど、ちょっとびっくりした。弁護士の先生だったんだなって実感したよ」
「そう。実は超敏腕弁護士なんです」
軽口で返す佐々木に直哉も表情を緩める。
「羽田は全部認めたよ。彼はシーズン前半、肘を痛めて一時登録抹消になってたんだ。六月から復帰してたし、成績も悪くなかった筈なんだけど、本人としては納得できなかったんだろうな」
「でも、だからってどうして兄さんに?」