目覚めたら傍にいて
金曜の夜、何度かラインでやりとりをして、直哉お勧めの和食屋に行くことになった。最寄り駅で合流の筈が佐々木は当たり前のように職場まで迎えに現れて、彼と電車で向かうことになる。
今日はデイゲームで先発投手が完投勝利を収めていて、待ち合わせ場所にリラックスした表情で現れた直哉に、友聖は笑顔で手を振った。
飲むだろうからと駅からタクシーで向かったのは、隠れ家的な風情の店だ。割と大きめなビルの一階の裏に控えめに暖簾が掛かっていて、細い通路を進むとそこが店の入り口になっている。引き戸を開ければすぐに、お待ちしておりましたと迎えられた。
紺色の二部式着物の店員について座敷に向かう間、建物内に作られた小さな日本庭園の様子に驚かされる。真っ白な化粧砂利から綺麗にライトアップされた竹が伸びていて、その奥に花の飾られた手水鉢が配置されている。青いライトが幻想的で、ここが街中のビル内だということを忘れてしまいそうになる。
座敷に落ち着けば、着物に前掛けをした店員が鍋の準備をして酒の注文を取りにきた。直哉の存在には気づいたようだが、特に何か言うこともなく、にこりと笑って障子を閉めていく。教育の行き届いた店だなと思って、すぐに、よく有名人が来る店などこんなものなのかもしれないと思い直す。然程待つこともなく、先に頼んだビールが運ばれてきた。
今夜の和食というチョイスは佐々木で、店の予約を取ってくれたのは直哉だ。ラインで送られてきた店の情報を見ながら佐々木と相談して、品数が多すぎないコース料理をいただくことになっている。
「どうした、ゆう?」
ビールの詮を抜いて、直哉はまず佐々木のグラスに注いだ。その後に瓶を向けられてもぼんやりしていた友聖に、彼が心配そうに聞いてくる。
「ああ、ごめん。立派なお店でびっくりしちゃって。……ありがと」
自分のグラスが満たされて、友聖も直哉のグラスに返す。
「そんな大層な店じゃない、って言ったら店の人に失礼か。まぁ、とにかく味は保証する。沢山食えよ」
直哉が友聖に笑いかけるのを、佐々木が優しく見守る。そのまま三人で小さく乾杯をして、和やかな食事の席が始まった。
「第二戦の登板、素晴らしかったです」
一人に一つ小さな鍋のついたコース料理を楽しみながら、佐々木と直哉が野球トークで盛り上がる。
「いや。上手く抑えられたからよかったですけど、正直1アウト1、3塁で送られたときは監督を恨みましたよ」
直哉が冗談めかして言うのに友聖も笑う。佐々木と直哉は、依頼主と探偵というより友人のように見えた。互いにさりげなく気を遣い合いながら、楽しんで話を続ける。
「ほら、ゆうももっと食べないと大きくならないぞ」
「そうですよ。お仕事も大変なんですから」
そして二人は共通して友聖の世話を焼きたがった。
「大きくって、俺をいくつだと思ってるの」
コースだというのに、隙あらば友聖の器に肉や野菜を放り込もうとする直哉に膨れてみせる。佐々木は佐々木で飲みものや鍋の様子に気を配ってくれて、なんだか自分だけが幼い子どもになったような気がする。
「いくつになっても弟は可愛いもんだよ」
「なんか親子みたいな言い方するけど、二つしか離れてないんだからね」
「友聖みたいな人は特にそう思うんでしょうね」
「もう。どんな人だよ」
膨れながら内心は幸せを感じていた。考えてみれば、直哉と食事をするのも数ヵ月ぶりだ。店員が一通り食材を運び終えるまでは念のため例の話をしないらしいと知って、それならそれまでこの穏やかな時間に浸ってしまおうと決める。
二人のやりとりに充分楽しませてもらって、落ち着いた頃直哉がグラスを置いた。彼はかなりアルコールに強いが、今夜はビールだけで量も抑えていることに気づいていた。佐々木も、普段を知る訳ではないが抑えているのだろう。
「それでな、ゆう」
「うん」
少しだけ姿勢を正して彼の顔を見つめる。
「羽田武人 って聞き覚えあるか?」
「あるけど」
突然なんだと思いながら、テレビでよく直哉といるのを目にする選手を思い浮かべる。
「兄さんのチームメイトだよね? 歳も同じで、確か去年、テレビのレポーターさんと結婚したとか」
「うん、そいつ」
直哉が言いづらいことを言うように、一度言葉を止める。
「彼なんだ。この間のボールの犯人」
「え?」
驚いて目を遣れば、佐々木の表情は静かなままだった。直哉が言ったことは事実で、佐々木も真偽を確かめたということなのだろう。
「成績のことで少し追い詰められてたみたいなんだ。それで、魔が差したっていうか」
彼の言葉に生々しいものを感じて、何も言えなくなってしまった。勝負の世界には色々ドロドロした部分もあるのだろうと思っていたが、まさかこうも分かりやすい形で現れるとは思わない。
「俺の配慮が足りない部分もあったのかもしれないんだけど」
友聖の反応を見ながら直哉の話は続く。
今日はデイゲームで先発投手が完投勝利を収めていて、待ち合わせ場所にリラックスした表情で現れた直哉に、友聖は笑顔で手を振った。
飲むだろうからと駅からタクシーで向かったのは、隠れ家的な風情の店だ。割と大きめなビルの一階の裏に控えめに暖簾が掛かっていて、細い通路を進むとそこが店の入り口になっている。引き戸を開ければすぐに、お待ちしておりましたと迎えられた。
紺色の二部式着物の店員について座敷に向かう間、建物内に作られた小さな日本庭園の様子に驚かされる。真っ白な化粧砂利から綺麗にライトアップされた竹が伸びていて、その奥に花の飾られた手水鉢が配置されている。青いライトが幻想的で、ここが街中のビル内だということを忘れてしまいそうになる。
座敷に落ち着けば、着物に前掛けをした店員が鍋の準備をして酒の注文を取りにきた。直哉の存在には気づいたようだが、特に何か言うこともなく、にこりと笑って障子を閉めていく。教育の行き届いた店だなと思って、すぐに、よく有名人が来る店などこんなものなのかもしれないと思い直す。然程待つこともなく、先に頼んだビールが運ばれてきた。
今夜の和食というチョイスは佐々木で、店の予約を取ってくれたのは直哉だ。ラインで送られてきた店の情報を見ながら佐々木と相談して、品数が多すぎないコース料理をいただくことになっている。
「どうした、ゆう?」
ビールの詮を抜いて、直哉はまず佐々木のグラスに注いだ。その後に瓶を向けられてもぼんやりしていた友聖に、彼が心配そうに聞いてくる。
「ああ、ごめん。立派なお店でびっくりしちゃって。……ありがと」
自分のグラスが満たされて、友聖も直哉のグラスに返す。
「そんな大層な店じゃない、って言ったら店の人に失礼か。まぁ、とにかく味は保証する。沢山食えよ」
直哉が友聖に笑いかけるのを、佐々木が優しく見守る。そのまま三人で小さく乾杯をして、和やかな食事の席が始まった。
「第二戦の登板、素晴らしかったです」
一人に一つ小さな鍋のついたコース料理を楽しみながら、佐々木と直哉が野球トークで盛り上がる。
「いや。上手く抑えられたからよかったですけど、正直1アウト1、3塁で送られたときは監督を恨みましたよ」
直哉が冗談めかして言うのに友聖も笑う。佐々木と直哉は、依頼主と探偵というより友人のように見えた。互いにさりげなく気を遣い合いながら、楽しんで話を続ける。
「ほら、ゆうももっと食べないと大きくならないぞ」
「そうですよ。お仕事も大変なんですから」
そして二人は共通して友聖の世話を焼きたがった。
「大きくって、俺をいくつだと思ってるの」
コースだというのに、隙あらば友聖の器に肉や野菜を放り込もうとする直哉に膨れてみせる。佐々木は佐々木で飲みものや鍋の様子に気を配ってくれて、なんだか自分だけが幼い子どもになったような気がする。
「いくつになっても弟は可愛いもんだよ」
「なんか親子みたいな言い方するけど、二つしか離れてないんだからね」
「友聖みたいな人は特にそう思うんでしょうね」
「もう。どんな人だよ」
膨れながら内心は幸せを感じていた。考えてみれば、直哉と食事をするのも数ヵ月ぶりだ。店員が一通り食材を運び終えるまでは念のため例の話をしないらしいと知って、それならそれまでこの穏やかな時間に浸ってしまおうと決める。
二人のやりとりに充分楽しませてもらって、落ち着いた頃直哉がグラスを置いた。彼はかなりアルコールに強いが、今夜はビールだけで量も抑えていることに気づいていた。佐々木も、普段を知る訳ではないが抑えているのだろう。
「それでな、ゆう」
「うん」
少しだけ姿勢を正して彼の顔を見つめる。
「
「あるけど」
突然なんだと思いながら、テレビでよく直哉といるのを目にする選手を思い浮かべる。
「兄さんのチームメイトだよね? 歳も同じで、確か去年、テレビのレポーターさんと結婚したとか」
「うん、そいつ」
直哉が言いづらいことを言うように、一度言葉を止める。
「彼なんだ。この間のボールの犯人」
「え?」
驚いて目を遣れば、佐々木の表情は静かなままだった。直哉が言ったことは事実で、佐々木も真偽を確かめたということなのだろう。
「成績のことで少し追い詰められてたみたいなんだ。それで、魔が差したっていうか」
彼の言葉に生々しいものを感じて、何も言えなくなってしまった。勝負の世界には色々ドロドロした部分もあるのだろうと思っていたが、まさかこうも分かりやすい形で現れるとは思わない。
「俺の配慮が足りない部分もあったのかもしれないんだけど」
友聖の反応を見ながら直哉の話は続く。