目覚めたら傍にいて

 素直にベッドに向かったかと思えば、佐々木はパジャマ代わりのTシャツに戻った友聖に手を伸ばしてきた。
「ダメ。俺はソファーで寝るから。狭いところでおかしな姿勢で寝たら、怪我が悪化するかもしれないでしょう?」
 セミダブルとはいえ、友聖のベッドは男二人が身体を伸ばして寝るのに充分とは言えない。彼に左腕を楽にして眠ってほしかった。
「もし怪我が痛むようだったら言って。鎮痛剤とか氷とかあるから」
 窘めるように彼の腕を下ろし、薄手の毛布で肩まで覆ってやる。
「じゃあ、お休み」
 だがベッドを離れようとすれば強引に腕を引かれた。
「ちょっと、佐々木さん!」
 胸に倒れ込むような形になって、慌てて身体を起こそうとする。それをますます強い力で抱きしめられる。
「佐々木さん、怪我に障るから」
「もう大丈夫ですって」
 無茶をしているのは彼なのに、佐々木は聞き分けのない子ども相手のように笑う。
「隣にいてください。その方が早く治りますから」
「どんな理屈?」
 苦笑して、それでも結局は彼の隣に横になった。すぐに指を絡めるように手を握られて、また胸が小さく波打つ。本音は自分も離れたくないのだと、漸く認めることができる。
「お兄さん、やっぱり素敵な人ですね」
 ふと、佐々木がそんなことを言った。
「うん。小さい頃から大好きだったけど。それがどうかした?」
 声になんとなく彼らしくないものを感じて問えば、いつもの調子に戻った彼に背中から腕を回される。
「もう。あまり身体動かしちゃダメだって」
「大丈夫ですって」
 器用に友聖に顔を寄せて、軽く触れるだけのキスをする。
「まだまだお兄さんには敵わないなって思いました」
「敵わないって何が?」
 ごく近い距離で顔だけを動かして見つめる。近すぎて合わなかった焦点が合えば、暗がりで恋人のようなシチュエーションにドキドキしてしまう。
「どれだけ友聖のことを知っているか、ですかね」
「それは兄弟だし、ずっと一緒に暮らしていたし」
「ええ。そうなんですけど。でもさっきの車の中で、お兄さんがどんなに友聖のことを考えているのかを改めて思い知らされた気分です。あ、もちろん友聖を好きな気持ちは負けていないつもりですけど」
「そう」
 彼の言いたいことは分かった。例えば、夜更かしをすると練習に遅れてしまうというのは、直哉の友聖を気遣った嘘だ。彼は自己管理に徹底していて、プロの世界に入ってからは何があっても練習に遅刻したことがない。それはファンの間でも有名な話だ。寝不足で体調を崩さないように、けれど直接の言葉は友聖のプライドを傷つけるからと、話を自分のことにすり替えたのだ。直哉になら何を言われても気を悪くすることはないのにと思うが、彼はいつも細かな気遣いをくれる。申し訳ないと思っていた時期もあったが、今は素直に感謝していたりする。
 友聖にとって直哉は大切で、やはり自分を誰よりも知る存在だ。だが佐々木はもう彼と同じくらい、いや、直哉とは全く別の種類の気持ちでどうしようもなく大切な存在なのだ。
「あのね、佐々木さん」
 上手く言葉が見つからないもどかしさを感じながら、今夜感じた想いの一欠片でも伝えたくて、懸命に言葉を探す。
「なんです?」
 優しく笑って問う彼の顔が、何を聞いても驚かないと言っている。
「あの……」
 助けてくれてありがとう。怪我をさせてごめんなさい。これからもずっと傍にいてほしい。言いたいことは沢山あるのに、彼になら何を話しても大丈夫だと分かっているのに、言葉にならない。
 佐々木の傍にいると心が落ち着く。傍にいて、誰よりも心地いい。でも、自分がどうしたいのかはまだはっきりしない。自分だって男だ。甘えてばかりいる訳にはいかない。男性同士の関係に進んでしまっていいのかという戸惑いだってある。
 けれど。ここで答えを出さなければ佐々木がいなくなってしまうとしたら、それは寂しい。ずっと一人でも寂しくないと思って生きてきた。だが今佐々木を失って一人に戻るのはどうしようもなく辛い。またちゃんと生きていけるだろうかと、不安になってしまう。
「……今日、ありがとう」
 考えすぎて、結局出てきたのはそれだけだった。
「どういたしまして」
 心と言葉が一致しない。そんな自分の不器用さに涙が落ちそうになるのを、佐々木が抱き直して落ち着かせてくれる。
「大丈夫。何も心配することはありません。明日も明後日もその次も、僕は友聖の傍にいるんですから」
「ほんとに?」
「ええ。もちろん」
 不思議だ。やはり佐々木には友聖の心の中が見えているみたいだ。背中を撫でられて、彼の胸に頬を寄せて、友聖は子どもみたいに甘えてしまう。
「明日、後輩くんとお昼ご飯を食べるんでしょう? 早く寝ないと」
「あ、そうだ」
 なんだかそんな約束をしたのはずっと前のことのような気がした。
「万が一口説かれでもしたら、即携帯を鳴らしてくださいね。殴りに行きますので」
「殴るって物騒だなぁ。というか佐々木さんのキャラじゃない」
「社会的抹殺の方がいいですか?」
「シャレにならないって」
 直前のどうしようもない気持ちも忘れて笑ってしまう。
 佐々木の傍にいたいという気持ちを、もう否定する気はなかった。逆に自分が彼の傍にいていい人間かという迷いを抱えてしまった。
 気持ちのまま進んでいいのか。彼の傍にいるために、自分は一体どうすればいいのか。それは彼に甘えず、自分自身で答えを出さなければならないと思う。
 もし、何一つ迷いのない幸せな未来があるとしたら、それを願って努力してもいいだろうか。納得ができたとき、迷いなく佐々木の傍にいられるだろうか。
「お休みなさい」
「うん」
 いつもと変わらない佐々木の声に安堵して、友聖は眠りの世界に落ちていった。
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