目覚めたら傍にいて

 カタンッ──。
 うとうとしたところで、郵便受けに何かが投げ込まれる音がした。夜の時間は音がよく通って、外付けの郵便受けの音でも耳に届いてしまう。
 こんな時間にチラシのポスティングだろうか。そう思い特に気にせず眠ろうとする友聖の横で、佐々木が素早く身体を起こす。
「佐々木さん?」
 ベッドを降りて、彼は明かりを点けないまま玄関に向かった。友聖の声に振り向くと、唇に人差し指を当ててみせる。
「友聖はそこにいてください」
 静かに言った彼がドアを開けると同時に、玄関前からバイクが走り去る音がした。流石にただならぬものを感じて友聖も部屋を出れば、郵便受けの前に厳しい表情をした佐々木が立っている。その手に薄いグリーンの封筒が握られている。
「それ……」
「僕が開けてもいいですか?」
 問われて頷けば、彼がその場で封を開けた。常夜灯の下で覗き込めば、一枚の便箋の中央に一文だけパソコン打ちされた文字が見える。
『部屋にいる男と別れろ』
「え……」
 思わず佐々木の顔を見た。彼も更に表情を険しくさせる。部屋にいる男とは佐々木のことだろう。この部屋が見られている? 誰に、なんのために?
「部屋に入りましょう」
 混乱する友聖の肩を抱いて、佐々木が優しく言ってくれる。
「大丈夫。僕がいますから」
「……うん」
 佐々木がいてくれてよかった。情けないがそう思って、玄関を開けようとしたときだった。
「危ない!」
 突然叫んだ彼が、友聖の頭を抱き込んできた。瞬間、物凄い勢いで何かがドアにぶつかり、鈍い音を立てる。
「佐々木さん!」
 起きたことが理解できなかった。だが肩を押さえてドアに寄りかかる佐々木の姿に血の気が引く。
「佐々木さん、大丈夫ですか!? 待って、すぐ救急車を……」
 パニックで、とにかく電話を探そうと慌てる友聖の腕を引いて、佐々木が右手で友聖を抱き寄せた。
「大丈夫です。ちょっと掠っただけですから」
 友聖を安心させるように言い、すぐに身体を離した彼が玄関前の路から何かを拾ってくる。
「思った通りです」
「何?」
 近づいて見れば、彼の手に縫い目の入った野球ボールが握られていた。お遊びで使うようなものではない。プロが使うボールだ。
「これ、何?」
 脳裏に悪い想像が浮かんだ。直哉が何かトラブルに巻き込まれているのではと考えてしまう。
「入りましょう? もう心配いりませんから」
 促されて、不安な気持ちのまま部屋に入る。
「そうだ、佐々木さん、肩! 病院に行かないと」
 事件の真相など後だ。自分のせいで彼が怪我をしてしまったことは確かなのだ。
「大丈夫ですって。腕は動きますし」
「ダメ。この近くに夜も診てくれる病院があるから。お願い」
「……分かりました」
 必死で言えば、慈しむように見下ろす彼が、こちらの気持ちを解すように額に唇を寄せてくる。
「……待ってて。すぐ着替えるから」
 そんなことをしている場合ではないと、咎める余裕が今はなかった。
 また人に迷惑をかけてしまった。自分はやはり必要以上に人に近づいてはいけない人種なのかもしれない。そう思えて泣きたくなるのを悟られないように、佐々木に背を向けてクローゼットを開ける。
「友聖」
 そこで腕を引かれて、彼の右腕に収まった。
「佐々木さ……」
「馬鹿なことを考えないで下さいね」
「馬鹿なこと?」
「全部自分のせいだ、とか」
 図星を指されて俯けば、視線の先に下げられたままの左腕があって、また胸が痛んでしまう。
「僕の顔を見て」
 痛む筈の腕を上げて、彼が頬に触れてくる。無理をしないで、と思わず顔を上げれば、彼が諭すように言う。
「もし友聖に怪我をさせていたら、僕は今の何倍も傷ついていました」
「佐々木さん、あの」
「こんなことで、僕から離れようなんて思わないでくださいね」
 もう護衛はしなくていい。何かトラブルが起きているのなら、危険な目に遭うのは自分だけでいい。そう告げようとする友聖の言葉を、佐々木が先回りで封じてしまう。
「というか、僕が離れませんから」
 言い切る彼にまた抱き寄せられて、ごく自然に唇を奪われる。こんなことをしている場合ではないと分かっていて、拒むことができない。キスの合間に強く抱かれて、胸に込み上げるものがある。自分も、本音は彼と別れたくなどない。
 事件の混乱は続いていた。それでも彼の体温から離れがたくて、されるがまま身体を預ける。友聖が落ち着くように背中を撫でて、彼が頬や額にキスをくれる。
 結局、二人を引き離したのは佐々木の携帯の呼び出し音だった。
「邪魔が入りましたね」
 鳴りやまない電子音に苦笑して、彼がテーブルに向かう。
 不規則に鳴る胸の音を静めるのに苦労しながら、友聖も病院に向かうために手早く着替えを済ませた。診察を受ける佐々木はワイシャツに着替え直す訳にもいかないだろうと、クローゼットから彼も着られそうな大きめのパーカーを出してくる。
「ええ。思った通りです。証拠も掴みましたし、ご希望でしたら明日にでも。もちろん同席しますよ」
 ベッドの傍にいる佐々木に目を遣れば、所々電話のやりとりが聞こえてきた。証拠とは裁判か何かの話だろうか。混乱を引き摺る頭でそんなことを考えて、すぐに、今彼が自分の件に専念していることを思い出す。では一体誰と話しているのだろう。
「……これからちょっと病院に。いえ、それは安心してください。僕がちょっとうっかりしただけですから。いえ、全然たいしたことではなくて」
 彼の会話を深く考える余裕もないまま、タクシーを呼ぶために自分も携帯を操作する。
 すぐにマンション前まで来てくれたタクシーで、彼と病院に向かうことになった。十分で到着したのは、整形外科とリハビリテーション科がメインの中堅病院だ。今夜は暇だったらしく、佐々木はすぐに当直の医師に診てもらえることになった。彼と医師が診察室に入り、友聖は受付前の椅子に座って待つことにする。
 タクシーを待つ間に応急処置をしようとTシャツを脱がせたとき、彼の肩から首にかけて酷い内出血が広がっていた。僕を脱がせてどうする気ですか? などとふざけていたが、実際かなりの痛みがあったに違いない。せめて骨に異常がなければいいと、診察室のドアを見つめて、やきもきとした時間を過ごす。
 そこでふと、自動ドアの開く音がした。
 自分たちと同じような患者だろうか。そう何気なく目を遣れば、夜間で必要最小限に照明を落としている入口のドアから、長身の男性が入ってくる。
「え……」
 その姿に目を疑った。
「どうして」
 彼も友聖を見つけて、躊躇いなく近づいてくる。
「久しぶり。ゆう」
「兄さん」
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