目覚めたら傍にいて

 悪びれもなく言いながら、その口元に手を遣る仕種が綺麗で、性懲りもなく鼓動が速くなる。見た目も声も普段から充分素敵男子だよと、心の中で自棄気味に言い返してしまう。
「帰る」
「あ、待ってください。家までご一緒します。今日はお土産もあって」
「何?」
 お土産に釣られるフリをして歩く速度を緩めれば、彼もにこにこと隣を歩き始める。
「これ、この間のひよこの仲間なんですけど」
 差し出されたのは、青色のひよこのボールだった。受け取れば前と同じ丸い形に、可愛らしい目とくちばしが描かれている。よく見れば背中の部分についた小さなタグに非売品と書かれていて、彼の職業柄まさか裏ルートで手に入れた品か、などとおかしなことを考えてしまう。
「一羽じゃ可哀想かと。というか前のが友聖なら、僕のものも隣に置いておかないと心配だと思って」
 相変わらず言っていることの意味が分からないが、とりあえずひよこは可愛いので貰っておく。そういえば以前も急な残業で疲れていたときに彼がひよこをくれた。彼には友聖の気持ちを予期する能力でもあるのだろうか。佐々木ならそうだと言われても驚かないだろうなと、彼に毒された思考でそんなことを思う。
 その流れで結局家まで送られる羽目になった。寒くはないが、そろそろ夏の夜とは質の違う風を感じる時期だ。うっすらと見え始めた月がまだ頼りなくて、女性ならここで腕を組んだりしてしまうのかもしれないと思ったりする。
「では、今夜はこれで。寝る前に一度電話をしますが、きちんと戸締りをしてくださいね」
「予定がないなら、ご飯でも食べていけば?」
 今夜も紳士のフリをして帰ろうとする彼を、つい引き止めてしまった。彼のためではなく、友聖がもう少し誰かといたい気分だったから。
「いいんですか?」
「期待していたんじゃないの?」
「ええ。お許しが出れば毎日でもお邪魔したいです」
 彼はいつも本音を返してくれるからやりやすい。
「相変わらず正直だね」
 小さく笑って、今日はいなければいいと思ったことなど忘れてしまう。
 二人で部屋に入り、冷蔵庫にあったもので親子丼を作ってやれば、彼が以前のバウンドケーキ以上に感動してくれた。佐々木がベッドのヘッドボードに並べてしまったひよこたちに見つめられながら、平和で幸せな夕食時間になっている。
「世の中にこれほど嬉しい食事があるものなのですね」
「大袈裟だって」
「僕がこういう和食が好きだと知っていてくれたとは」
「いや、知らない。たまたま残りもので作っただけだし。俺におかしな設定をつけるのはやめて」
 食べ終わった丼とお味噌汁のお椀を下げながら苦笑した。佐々木は食事の間ずっと料理を褒めてくれて、もう恥ずかしさを通り越して、一体この人は普段何を食べているのだろうと心配になってしまう。
「それより佐々木さん。他にも仕事あるだろうに、こんなに俺に掛かりっきりでいい訳?」
 ふと思ったことを聞いてみれば、彼が意外そうに瞬いた。
「あれ? 言っていませんでしたっけ」
「何を?」
「僕、今週から友聖の件に専念しているんですよ」
「え」
 思わずソファーの彼に詰め寄ってしまう。
「どうしてそんな無茶するの」
「別に無茶ではないですよ。先週抱えていた案件が一つ片付いて、それから新しい依頼を受けていないだけですから」
「そんな……」
 まさか沢山あった依頼を断ったのでは。そう思えばまた申し訳なくなる。佐々木がこれまでどれほどの仕事を熟してきたか知らないが、自分の護衛はどう考えても割のいい仕事には思えない。
 なんと言っていいか分からず黙れば、佐々木が友聖の腕を引いて胸に抱き込んできた。油断していた身体が簡単に彼の腕に収まってしまう。
「ちょっと」
「友聖が依頼主という訳ではないんですから、気にすることはないのに」
 逃れようとするが、いつもながら彼の存外強い力に封じられて、気がつけばソファーに押し倒されている。
「僕は一緒にいられる時間が増えて嬉しいんですけど、友聖は違うんですか?」
「公私混同」
 隙あらば唇を寄せてこようとする相手をなんとか阻止していたところで、運よく友聖の携帯が鳴った。佐々木がすっと身体を起こして、何事もなかったようにテーブルの上の携帯を差し出してくる。
「はい、電話ですよ」
「うん。ありがと」
 全く、この切り替えの早さは尊敬に値する。そう思いながら受け取り、通話ボタンに触れる。
「もしもし」
「高月さんですか? あの、夜分にすみません。販促の三田です」
「三田くん? こんばんは。どうかした?」
 相手は今年四月に入社したばかりの販促部の社員だった。声のトーンから話の内容を察してしまう。遠野とのやりとりといい、重なる日は重なるものだ。だが先輩社員なのだし、頼ってくれるのなら力を貸してやればいいと思う。
 彼の緊張を解くために雑談をしていれば、そのうち予想通り、彼は会社を辞めたいと言い出した。
「販促の主任とか課長には話した?」
「いえ。まだ」
「そっか」
 長くなるだろうなと思ったから、テーブルの上のリモコンを指して、佐々木にジェスチャーでテレビでも観ていてと伝えた。彼が口の動きだけで了解と返してくる。
 ベッドに移動して座り直し、友聖は少しずつ彼の話を聞いた。彼は今の仕事が向いていないようなので辞めたいと言う。どうやら大きめのミスをして、フォローしてくれた社員に迷惑を掛けてしまったことに落ち込んでいるらしい。
「その先輩は別に怒ってはいないんでしょう?」
「そうなんですけど。実は二度目なので」
 少し落ち着いたらしい彼が今度は一度目のミスについて話してくれるから、友聖はまた口を挟まずに聞く。
 普通、仕事を辞めたいなら自分の部署の上司や先輩に相談すればいいのだが、友聖の職場では特に新入社員の間で、辞めたくなったら総務の高月に相談するといいという話が広まっている。
 きっかけは四年程前。当時漸く一人前の仕事が出来るようになっていた友聖のもとに、新入社員が退職後の健康保健や年金の手続きについて聞きにきたことだった。一通り質問に答えて、あとは必要書類を渡して事務的に処理をしてもよかったのだが、なんとなく飲みに誘ってしまった。彼に新人時代の自分を重ねてしまったのだろうし、その日は定時で終わるという偶然も重なった。
 どこにでもあるチェーン店の居酒屋で、二時間彼の話を聞いた。入社してからずっと総務の友聖は、他の部署の様子が興味深くて、言葉通りただ静かに話を聞いていただけだ。だが彼は話し終えると気が晴れたらしく、また明日から頑張りますと言い出した。
 結局、さして高くもない飲み代を負担してやっただけなのだが、彼はどこをどう間違ったのか、仕事を辞めなかったのは友聖のお陰だと思い込んだ。そしてあろうことか、周りの社員にそのことを大袈裟に語って聞かせたらしい。
 翌年二人の新入社員から相談を受け、更に翌年には、軽い愚痴程度のものも含めれば四人の話を聞いた。去年と今年は新入社員以外からも相談を受けて、辞めたくなったら総務の高月という噂は会社中に広まってしまった。友聖は特に助言する訳でもなくただ話を聞いているだけなのだが、何故かみな、話し終えると辞職を思い留まる。
「みんな、自分の話を聞いて欲しいんだよ。でも誰でもいいって訳じゃない。お前の人柄だな」
 広瀬はそう言ってくれる。お前が悩んだときは俺に相談してくれたら嬉しいけどな。そう付け加えられた台詞に、いい上司を持ったものだと幸運を噛み締めたものだ。
 直属の上司たちが気を悪くしないかとも考えたが、広瀬曰く「そんな心の狭い役付はこの会社にはいない」だそうで、そんな訳で、自分のところに来る社員の話は聞くようにしているのだ。
「すみません。こんな時間に長々と」
 三十分程話を聞けば、三田は照れたようにそう言った。
「ううん。相手先がある部署は大変だよね。いつも凄いなって思うよ」
「いえ」
 もう大丈夫だろうなと思ったから、余計なことを言うのはやめる。
「明日、お昼一緒に出ようか。そっちの時間に合わせるから。販促の課長さんたちには全然敵わないと思うけど、何かご馳走するよ」
 そう言うと、三田はこちらが恐縮するくらい何度も礼を言い、また明日と電話を切った。
「また明日、か」
 その言葉にふっと笑ってしまう。
「ごめん。遠慮なく長電話しちゃって」
 ソファーに戻れば、そこでいきなり抱きしめられた。そのまま押し倒されてしまう。
「ちょっと、冗談はやめてって」
「冗談じゃないと言ったら?」
「追い出します」
 精一杯怖い顔を作って言えば、佐々木がふふと笑って少しだけ身体を離してくれる。
「後輩からの相談ですか?」
「……うん。そうだね」
 だがすぐに今度は耳元で問われて、どぎまぎしてしまう。
「ヤキモチを妬いてしまいました」
「ヤキモチ?」
 抱きしめて満足したのか、彼が友聖の腕を引いて身体を起こしてくれた。ソファーの隣に座って、肩を抱いて友聖の髪を撫でる。これくらいは許してあげないともっと凄いことをされそうだからと、友聖はされるがままでいる。
「友聖の優しさは、僕にだけ特別向けられるものじゃないんだなって」
「何それ」
「周りのみんなに優しい友聖が好きですけど、でも優しくされた誰かが友聖を好きになってしまったらと思うと、気が気ではないんですよ」
「はいはい。分かったから離して」
 だいぶ彼の扱いにも慣れてきた。食事の後片付けをしようと立ち上がって、そこできちんと片付けられたテーブルとシンクを目にする。
「後片付け、やってくれたの?」
「それくらいはしないとね」
「……ありがと」
 お礼を言って、その後どうしていいか分からなくなった。部屋で誰かと食事をして、後片付けをしてもらうなんて何年振りだろう。立ち尽くす友聖に、佐々木がまた何もかもお見通しという顔で笑う。
「シャワーを浴びて寝ましょうか」
「……うん」
 いや、ここは俺の家だし、という突っ込みも出ないまま、友聖はシャワーを浴びてベッドに横になった。後からシャワーを使った佐々木が隣に入ってきて、ごく自然に額に唇を寄せる。
「もう。またそういうことを」
「いいじゃないですか、これくらい」
 不満を口にしながら、友聖はそれが本心でないことに気づいていた。彼に触れられると穏やかな気持ちになる。同じベッドに入られてしまったが、勘のいい彼だ。今少しだけ複雑な気持ちでいる友聖を無理に抱いたりしない。そんな信頼もある。
 佐々木が友聖の目に掛かった前髪を除けて、そのまま髪を梳く。
「本当は今日も襲う予定だったんですけど」
「……」
 自分の人を見る目は狂っていたのか。そう、身の危険を感じて離れようとする友聖を、佐々木がふっと笑って抱き寄せる。
「今日はやめておきます」
「それはどうも」
 ではお言葉に甘えて、彼の気が変わらないうちに寝てしまおうと目を閉じる。だが眠ってしまうのが惜しいような気がしていた。その気持ちを見透かすように、彼は髪に触れるのをやめない。
「佐々木さん」
「なんです?」
 諦めて目を開けた。
「明日は忙しくない?」
「ええ。友聖が仕事に行っている間は暇ですよ」
 話してみようかと思った。遠野と三田の話を聞いたからかもしれない。佐々木が後片付けをしてくれたからかもしれない。自分も誰かに話を聞いてもらいたいと思った。今まで誰にも話したことのない話を、今夜は彼に打ち明けてみたい。
「少し、俺のことを話してもいい?」
「もちろん」
 予想通りの反応に勇気づけられる。
「別に面白い話でもないんだけど」
 天井を見上げて、友聖はそう話し始めた。
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