呪い師は半年後皇后になる。
そんな風に言う彼に見送られて夜道を帰ることになったのだ。
三日後、透尽は約束通り現れた。夕刻と言っていたがだいぶ早い。まだ西日が力を落とさないうちに、牛車と牛車を引く従者を連れてやってくる。架夭が断ると思っていない出で立ちに苦笑する。大袈裟かと思っていたが、逃げれば本気で追うつもりだったようだ。燦汪の気持ちは軽いものではない。それがまた少し架夭の気持ちを強くする。
ともかく昨日までに全ての支度は終えていた。数枚の衣を大布に包み、母の形見の鏡だけは大事に胸元にしまい込む。残していく家も村の民への説明も、みな共が引き受けてくれた。架夭の家の井戸を使うという彼女に安堵して、昨夜のうちに別れの挨拶も済ませている。
「燦汪様が心待ちにしています。架夭様、どうぞお乗りください」
透尽が牛舎の後ろを開けて榻を置いてくれれば、その周りに従者が跪いた。大仰だがここで彼らの態度に何か言っても仕方がない。とにかく踏板に足を乗せて乗り込んでしまう。牛舎に乗ることも初めてだが、辛うじて見苦しい姿を見せずに済んだ筈だ。
「皇宮に向かいます。気になることがあれば何なりとお申しつけください」
「あの、透尽様は乗らないのでしょうか?」
「陛下の奥様になる方と同席するなどとんでもない。どうぞごゆるりと」
そう言って彼が後ろの布を下ろしてしまう。彼は敵ではない。架夭の勘が、燦汪の次に頼りになる人物だと告げている。だがどうやら彼は、慣れないものに驚く架夭を幼い子どものように見て楽しんでいる。微笑ましくと言った方がいいか。とにかく嫌な感じはしないが、色々と物を知らない自分が恥ずかしい。側近相手にこれでは、燦汪の前に出たらどうなってしまうのか。恋の相手故の気持ちを抱えたところで、緩やかに車が進み出す。
まぁ、辺鄙な村の男を妻にしたいと言う時点で、高貴な人間と同じ作法ができるとは思っていないだろう。道を行くうちにそんな開き直りの境地になった。切り替えの早さは架夭の長所だ。そもそも皇帝とは思えない身形で鎮呪の村にやってきて、匿った男の家で一晩過ごしていったのは彼なのだ。彼も充分無作法。過去を思い返せばまた彼が恋しくなる。
布が降ろされた窓から、それでも心地いい風が入ってきた。一年中穏やかな気候の国だが、あとふた月もすればそれなりに暑さが厳しくなる。時期を選んで迎えを寄越してくれたのかもしれない。そう思うのは自惚れが過ぎるだろうか。とりとめのない物思いに耽るうちに陽が落ちていくのを感じる。
「改果に入りました。もうすぐ到着します」
透尽の言葉に、少しだけ窓の外を眺めた。改果はこの国の首都で、国一番の文化を持っている。訪れるのはもちろん初めてで、朱色に塗られた柱や、屋根から下がる珍しい灯具を目にしただけで異国に来たようだ。陽が落ちて人々の多くは家に入っている。昼間はさぞ賑やかだろうと想像するだけで、気持ちが華やぐ。皇宮が恐ろしい場所かもしれないと思っていたのに、人の気持ちというものは勝手なものだ。そんな勝手が美しい文化を生み出すのかもしれない。
「まだ極秘の妾という扱いですから、今日は裏口からお通しすることをお許しください」
そう言われて逆に安堵した。極秘の妾。漸く想像通りの展開になったというものだ。燦汪は男の妾を披露するような浅はかな男ではない。
くねくねと何度も折れ曲がった廊下の先の部屋に辿り着けば、そこで一人の女官が頭を下げていた。
「香 と申します。架夭様の身の回りのお世話をさせていただきます」
「えっと、私は男で」
男の世話をするのは嫌ではないのかと思って聞くが、顔を上げた彼女は大らかに微笑んでみせるだけだ。
「存じております。陛下が愛した方に違いはありませんから、精一杯お仕えさせていただきます」
なんだか申し訳ないが、もう一度頭を下げられれば嫌とは言えない。
「香はもうここで三十年も働いています。皇宮のことはなんでも知っていますし、滅多なことでは動じませんからご安心を」
透尽に言われて、なるほどと思う。とにかく燦汪の他に、この二人の前では男であることを隠さなくてもいいということだ。
「あの、燦汪様は?」
「既に私室でお待ちです。すぐにお支度をいたしましょう」
三日後、透尽は約束通り現れた。夕刻と言っていたがだいぶ早い。まだ西日が力を落とさないうちに、牛車と牛車を引く従者を連れてやってくる。架夭が断ると思っていない出で立ちに苦笑する。大袈裟かと思っていたが、逃げれば本気で追うつもりだったようだ。燦汪の気持ちは軽いものではない。それがまた少し架夭の気持ちを強くする。
ともかく昨日までに全ての支度は終えていた。数枚の衣を大布に包み、母の形見の鏡だけは大事に胸元にしまい込む。残していく家も村の民への説明も、みな共が引き受けてくれた。架夭の家の井戸を使うという彼女に安堵して、昨夜のうちに別れの挨拶も済ませている。
「燦汪様が心待ちにしています。架夭様、どうぞお乗りください」
透尽が牛舎の後ろを開けて榻を置いてくれれば、その周りに従者が跪いた。大仰だがここで彼らの態度に何か言っても仕方がない。とにかく踏板に足を乗せて乗り込んでしまう。牛舎に乗ることも初めてだが、辛うじて見苦しい姿を見せずに済んだ筈だ。
「皇宮に向かいます。気になることがあれば何なりとお申しつけください」
「あの、透尽様は乗らないのでしょうか?」
「陛下の奥様になる方と同席するなどとんでもない。どうぞごゆるりと」
そう言って彼が後ろの布を下ろしてしまう。彼は敵ではない。架夭の勘が、燦汪の次に頼りになる人物だと告げている。だがどうやら彼は、慣れないものに驚く架夭を幼い子どものように見て楽しんでいる。微笑ましくと言った方がいいか。とにかく嫌な感じはしないが、色々と物を知らない自分が恥ずかしい。側近相手にこれでは、燦汪の前に出たらどうなってしまうのか。恋の相手故の気持ちを抱えたところで、緩やかに車が進み出す。
まぁ、辺鄙な村の男を妻にしたいと言う時点で、高貴な人間と同じ作法ができるとは思っていないだろう。道を行くうちにそんな開き直りの境地になった。切り替えの早さは架夭の長所だ。そもそも皇帝とは思えない身形で鎮呪の村にやってきて、匿った男の家で一晩過ごしていったのは彼なのだ。彼も充分無作法。過去を思い返せばまた彼が恋しくなる。
布が降ろされた窓から、それでも心地いい風が入ってきた。一年中穏やかな気候の国だが、あとふた月もすればそれなりに暑さが厳しくなる。時期を選んで迎えを寄越してくれたのかもしれない。そう思うのは自惚れが過ぎるだろうか。とりとめのない物思いに耽るうちに陽が落ちていくのを感じる。
「改果に入りました。もうすぐ到着します」
透尽の言葉に、少しだけ窓の外を眺めた。改果はこの国の首都で、国一番の文化を持っている。訪れるのはもちろん初めてで、朱色に塗られた柱や、屋根から下がる珍しい灯具を目にしただけで異国に来たようだ。陽が落ちて人々の多くは家に入っている。昼間はさぞ賑やかだろうと想像するだけで、気持ちが華やぐ。皇宮が恐ろしい場所かもしれないと思っていたのに、人の気持ちというものは勝手なものだ。そんな勝手が美しい文化を生み出すのかもしれない。
「まだ極秘の妾という扱いですから、今日は裏口からお通しすることをお許しください」
そう言われて逆に安堵した。極秘の妾。漸く想像通りの展開になったというものだ。燦汪は男の妾を披露するような浅はかな男ではない。
くねくねと何度も折れ曲がった廊下の先の部屋に辿り着けば、そこで一人の女官が頭を下げていた。
「
「えっと、私は男で」
男の世話をするのは嫌ではないのかと思って聞くが、顔を上げた彼女は大らかに微笑んでみせるだけだ。
「存じております。陛下が愛した方に違いはありませんから、精一杯お仕えさせていただきます」
なんだか申し訳ないが、もう一度頭を下げられれば嫌とは言えない。
「香はもうここで三十年も働いています。皇宮のことはなんでも知っていますし、滅多なことでは動じませんからご安心を」
透尽に言われて、なるほどと思う。とにかく燦汪の他に、この二人の前では男であることを隠さなくてもいいということだ。
「あの、燦汪様は?」
「既に私室でお待ちです。すぐにお支度をいたしましょう」
