呪い師は半年後皇后になる。

 夢心地に引き込む香りのお陰で、痛みも違和感も消えていた。彼を心地よくするために、この身体がどこまでも解けていけばいいと思う。
「あの夜はただの傷薬を使ったからな。香りのいいものを取り寄せたんだ」
 その言葉に、彼と初めて会った晩のことが甦る。
 初めて会ったとき、彼は敵に追われて怪我をしていた。即位した者が短命になるという噂は、皇帝の命を狙う者が次の標的を待っているからかもしれない。皇帝だというだけで、命を奪わなければならないと思う輩がいる。今はそう思うが、そのときは何がなんだか分からないまま、家に逃げ込んできた彼を匿ったのだ。
「……悪い。極秘で出掛けたところを狙われた。座って過ごさせてもらうだけでいい。しばらく俺をここに置いてくれないか?」
 正体も分からない男に言われて、当然恐ろしいと思った。架夭はまだ十六で、母親を亡くしているから物事の判断は自分でしなければならない。近くに住む共(きょう)に助言を求めに行こうかと思ったが、見れば男は弱っていた。架夭が家を離れている間に敵がやってきてもいけない。それなら心を決めよう。幸い架夭の勘が、この男は自分にとって害はないと告げている。ならばまず手当だ。
「上がってください。水を汲んできますから横になって」
 どこまでも質素に暮しているが布団くらいはあった。そこに彼を寝かせて井戸で水を汲んでくる。濡らした布で傷を綺麗にしていく間、男は動かなかった。高貴な身分には違いないが、護られるだけのひ弱な男という印象でもない。一体何者だろう? 気にはなるが、別に知らなくてもいい。話すかどうかは彼の気持ちに任せよう。
「寝にくいでしょう。少し髪に触れますね」
 高い位置に一つに縛っていた髪を前に流すように下ろしてやれば、彼が微かに笑った。
「俺の髪に触れるなんて、普段なら無礼だと怒るところなんだがな」
「怪我をして寝ているのだから仕方がないでしょう? 怒るなら追い出しますよ」
「いや、感謝する。俺のことを知らない者に触れられるのは心地いい」
 よく分からない言葉だ。まるで多くの人間が自分を知っていると言っているような。だが家に籠もって静かに暮している架夭は知らない。それで彼が心地よくいられるならよかったというものだ。
「見てわかる通り、この村の中でも一、二を争うほど質素な家です」
 傷を綺麗にし終えたところで、目を閉じたままの彼に言った。
「薬なんて高価なものはありません。ここから半里程いったところに知り合いがおりますから、そこで分けてもらってきましょう。少しだけ一人で……」
「いや、いい。薬ならある」
 そう言って彼が懐から小さな入れ物を取り出す。手のひらに乗る大きさの光沢のある入れ物。上から蓋が嵌るように作られた高級品だった。街でも売られているのを見たことがない。
「塗りましょうか?」
 入れ物はともかく、そう聞けば彼が首を振る。
「いや、まだいい。ところでお前はここに一人で住んでいるのか?」
 手負いなら寝ておけばいいのに、彼は架夭のことを聞いてきた。物好きな男だと思って、すぐに、逆に眠らないようにかもしれないと思い直す。敵がやってくる可能性があるのだろう。武術の心得はないから敵に来られたら困るが、それでも彼を一人置いて逃げようとは思わない。
「四年前に母が亡くなってから一人で暮らしております」
 隠すことでもないから素直に答えた。
「父親は?」
「産まれたときからおりません。幼い頃は無邪気に母に聞いたものですが、何も語らない母に、聞いてはいけないことなのだと察しました。そんな訳で父親については何も知りません」
「そうか。悪いことを聞いた」
 辛くはないのに詫びられて困ってしまった。高貴な身分だが傲慢な男ではない。傷が痛むのか僅かに顔を顰めて、男が話を変える。
「俺がもしここで命を落としたら、数日中に部下の者たちがやってくる。世話をしてやったと言えば幾らか金が貰える筈だ」
「滅多なことを言うものではありません」
 ずっと年上であろう男を生意気にも諫めていた。
「私は呪い(まじない)で生計を立てております。私の勘が、あなたは若くして死ぬような男ではないと言っています」
 嘘ではなかった。普段陽の光と鏡を使って呪うが、先程から、それがなくても意識に直接働きかけてくるように強い勘が動いている。
「そうか」
「信じていませんね。私はこの村で評判の呪い師なのですよ」
15/20ページ
スキ