シリアルラブ

 そんなところだけきっちりしている棚橋が声を上げて、海原が動きを止める。
「新人研修でもコンプラ研修はやりましたし、今日は不参加で」
「いや、コール部の新人と一緒だから、うちが不参加だと体裁が悪いじゃないか」
 体裁? 部署内は酷い有様だと晒すいいチャンスじゃないか、という内心は口に出さない。元々、先週来たばかりの海原がこれほど戦力になっていることが奇跡なのだ。前から決まっていた研修なら仕方ない。
「海原さん、遅れないように行って」
「でも、他部署から呼び出しがあるかもしれないのに」
「出動しながらこつこつやるから平気。研修担当に怒られちゃうから早く」
 重ねて言えば、珍しく不服そうな顔で彼がデスクを離れる。一瞬だけキッと棚橋に鋭い目を向けるのに気づいて、落ち着いているように見えても、年相応な部分もあるのだなと思った。ごく普通の一面に逆に安堵する。さて、仕事。
 定時までの二時間、事務部から二度呼び出された。必要なメンテをしてやって、行き来して、自席にいる間に今日本来のタスクを片付ける。五時前に終わったから、そこから授受システム作りの続きを始める。
「じゃあ、お先するぞ。お疲れさん」
「お疲れさまでした」
 五時十分に飄々と帰っていく棚橋には、顔を上げることもせず声だけで応じた。上司に対して失礼だと怒れる立場でないことは自覚しているらしく、何も言わずに執務室からいなくなる。
「十分仕事するフリをしないで五時で帰れよ」
 貢もたまにそんな独り言くらいは出てしまう。怒っている訳ではなく、ごく一般的な感情を演じてみる感じ。感情が薄いから、この場合はこんな感じか? と想像して試してみる。だがしっくりこない。普通、こんな場合は怒りに任せて声を上げたりするものだろうか。棚橋の反応はちょっと見てみたいが、貢にそんなことができる筈もない。三秒で妄想を切り上げてパソコンに向かう。社内用授受システム。送付用と受取用で入口を分けた方がスムーズにいきそうだ。日付と送付物を入力したら色が変わるようにしておこう。あとは──。
「すみません、遅くなりました」
 そこに海原が戻ってきた。腕にこの会社のA4封筒を抱えている。研修のついでに人事に呼ばれて、入社手続きの説明を受けていたのだろう。それなのに言い訳しない。感心するほどまっすぐな性格だ。
「二時間も座学で疲れただろ? 少し休んできて」
「いえ、そんな……。あ、でも、じゃあお言葉に甘えて三分だけ」
 デスクに封筒を置いた彼が、素早く執務室を出ていく。素直でよろしい。ふっと気持ちが軽くなって、心做しかキーボードを打つ指先も軽くなる。
「戻りました。これどうぞ」
 急がなくていいのに、二分五十秒で戻ってきた彼はペットボトルを二本抱えていた。
「どっちでも好きな方を」
 デスクに置かれたのは無糖紅茶と烏龍茶。自分の休憩ではなく、廊下の端にある自販機まで行ってきてくれたらしい。
「助かる。いくらだった?」
 紅茶を手にして言えば苦笑される。
「ペットボトルが買えないほどお金に困っていないので、どうぞ貰ってください」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 先週入社したばかりの後輩に気遣われるとは思わなかった。彼にとってはごく当たり前のことなのか、頓着する様子もなくパソコンを起動させる。
「わ、凄い。もうほとんどできているじゃないですか」
 必要なシステムが立ち上がるまでの間に、貢のモニターを覗き込んだ彼が声を上げる。
「ここからが大変だ。社内全体で使うシステムなら、マニュアルを作らないと毎日誰かが破損させる」
「ああ。うっかり名前をつけて保存しちゃったり」
「そう。送付用と受取用を作るけど、一つの部署で同じタイミングで一人しか開けないようにするのが無難だと思っていて、そこも理解してもらわないと」
「ああ、なるほど。処理がダブると不具合が出ますからね」
 やはり理解の早い男だ。
「できた方からチェックして、マニュアルを作りますよ」
「できるか?」
「はい。一通り作りますから細かい部分を修正してください」
 当たり前のように言われて瞬く。
「どの書類をどの部署で処理するか、実は頭に入っていたりする?」
「はい。入社研修の資料に書いてあったので」
9/14ページ
スキ