シリアルラブ

 土日を挟んで冷静さが戻ってきた。酔っていたのだ。飲み会の朝妻と喧嘩でもしたのだろう。それで貢の前で愚痴が出てしまった。案外、家に着いた途端によろしくやっているかもしれない。夫婦なんてそんなものだ。結婚などできない貢が言うのもおかしな話だが。とにかく海原に法律上の妻がいて、その妻が妊娠中というのは事実なのだ。彼とどうにかなろうとは思わない。
「部長、金曜はごちそうさまでした」
 一番に声を上げた真中に続いて、貢と海原も棚橋に礼を言いに行く。その後はデスクに着いて、話しかけるなオーラを振りまいて仕事をした。ビジネスライクに徹する。貢からは話さないし、彼のプライベートも聞かない。真中がいるから難しいかもしれないが。
「コーヒーでも淹れてきますね」
 まだ二時間も働いていないというのに真中が給湯室に立つ。窘めたいところだが、彼のコーヒーは棚橋を上機嫌にさせるから難しい。余計なことを言ってキレさせれば面倒だ。初めから雑務だけのバイトと言われていたが、任せられる雑務も半分程度で、最早棚橋のご機嫌取りが仕事。棚橋が機嫌よくいてくれるのはいいが貢たちの仕事は楽にならない。この世界の真中は前より仕事ができると思ったが、そうでもなかった。
「今日は家から持ってきたスリランカのコーヒーです」
 それはかなり希少なものなのでは? と思ううちに、棚橋と海原に配り終えた彼が背後にやってきていた。
「宝木さんもどうぞ」
「……どうも」
 大人しく貰っておくのが一番害がないと知っているから、デスクの端を空けてスペースを作る。
「わ……!」
「熱……っ」
 何かに気を取られた彼が手元を狂わせて、肩からコーヒーを被る羽目になった。これで三度目。咄嗟に庇ったからキーボードに被害はない。
「宝木さん!」
 海原が立ち上がって、真中を押しのけるようにして近づいた。
「火傷しているかも。早くシャツを脱がないと」
「いや、大丈夫」
 ハンカチでざっと拭いて立ち上がる。
「大丈夫だけど、ちょっとロッカーで着替えてくる」
「はい。デスクは綺麗にしておきますので」
「助かる」
 おろおろする真中にはとりあえず座るように言って、なるべく惨事に気づかれないように執務室を出た。階段で一つ下の階に下りてロッカー室に向かう。メンテで汗をかいたとき着替えるために、いくつか着替えが入っている。
「宝木さん、いますか?」
 シャツを脱いで上半身裸になったところで海原の声がした。
「あ、いた。俺、デスクにタオルを沢山入れているので、よかったら……」
 傍に来た彼が、目にした貢に動きを止める。
「宝木さん、それ……」
 珍しく言葉が見つからない様子で困惑している。
「これ? 火傷の痕だな。凄いだろ」
 よかった。この世界の海原はこの火傷のことを知らない。酷い状態の肌を見られたことより、そっちに安堵する。今、貢の身体には両腕と背中に火傷の痕がある。
「どうしたらそんな風に火傷するんですか。背中も腕もなんて」
「子どもの頃ちょっとな」
 それだけ言ってあとは黙った。並行世界を移動するたびに青い炎に焼かれてきたなんて言える筈がない。別に知られてもいいが、それがきっかけで海原がまたおかしなことを言い出すのが怖い。以前いた世界のことは貢しか知らない筈なのに、海原は時々、前の世界を知っていたような言い方をする。
「それ、くれるんならくれ」
 フリーズしていた彼に手のひらを差し出す。
「……!」
 途端にその手を引いて抱き寄せられた。
「おい、お前も汚れる」
 貢の言葉が聞こえていないかのように、素肌のままの背を強く抱きしめられる。
「ごめんなさい。俺のせいで」
「……え?」
「俺が不安にさせたからこんな」
「おい、なんの話だ」
 バクバクと心臓が鳴る。まさか。まさか彼の中に移動前の世界の記憶があるのでは。いや、そんな筈はない。でもそれならどうして。考えなければならないのに、彼との関係がこれほど複雑に歪む前の、ただ恋人だった時を思い出して、取り戻せない時間が恋しくなる。貢も彼の背に腕を回せば、ますます強く抱きしめられる。
「宝木さん、俺らどうして……」
 言葉が続かない彼に顔を上げれば、見上げる形で視線が合う。
「どうしてこんなことになったんだろうな」
48/53ページ
スキ