シリアルラブ

「本当に面白くないですね」
「俺はそういう生活が気に入っているんだ」
 そこで棚橋が目を覚まして、真中がまた彼との話に戻る。どうやら煽てて、今まで食べたことのないメニューを全部奢ってもらおうとしているようだ。庶民の食べ物が珍しいのだろう。棚橋が嫌がっていないから放っておく。
「俺らもなんか食べるか」
「ありがとうございます、宝木さん」
 開いたメニューに隠れるようにして、彼が耳元で言った。
「……ああ」
 顔の近さに驚いて、離れたあとも動揺を出さずにいるのに苦労した。他意はない。誤解してはいけない。妻がいるなら彼はゲイではないのだ。二つ前の世界で当たり前に手にできたものから今は距離を取らなければならない。現実が身に染みて、また苦しくなる。
「ごちそうさまでした。生まれて初めての食べ物を十種類は食べた」
 満足したらしく、真中の海原への攻撃はやんでいた。棚橋も真中に喜ばれて嬉しかったようで、気持ちよく四人分払ってくれる。
「じゃあ、また来週」
 タクシーで帰る棚橋と迎えの車が来た真中を見送って、残った庶民二人は苦笑した。
「電車で帰るか」
「ですね。駅も近いですから」
 仲間意識で並んで帰る。二人で電車に乗り込めば、そのタイミングで端の席が空いた。勧められて宝木が座る。
「海原さんが座ればいいのに」
 ぼやぼやしていれば取られてしまうから座ったが、確保したあとで言ってみる。
「いえ、いいんです。宝木さんが座って、吊革に掴まった俺が上から宝木さんを見る。このシチュエーションが好きで」
 まるで何度か経験したような言い方だ。
「……そんなシチュエーションなかっただろ?」
 だってこの世界では彼と一緒に帰ったことがない。
「そうでしたっけ? でも不思議と、何度もこうして帰った気がするんですよね」
 背中にひやりとしたものが走る。並行世界の移動が貢以外の人間にも少しずつ影響しているのではないか。一つ前の世界でも、彼は恋人の真中をよく言わなくなっていった。今度もまた同じことが起きたら。奥さんが妊娠中なのだ。ダメに決まっている。最後に真中は事故に遭った。同じ目に遭わせていい筈がない。
「思い込みだ」
 冷たく言ってやった。
「俺はお前と帰ったことはないし、元々業務時間以外は人といるのが嫌いなんだ。もうこうして誘わないでくれるか? 電車の中では本を読みたいんだ」
「パラレルワールドの本ですか?」
「え……」
 何故そんなことを言うのだ。この世界の彼の前で、パラレルワールドなんて言葉を出したことはない。それなのに何故?
「なんの話だ?」
 上手くいっているかどうかなんて関係ない。クールな顔を保って否定しなければと思った。一度その話をし出せば、ただの同僚という関係が崩れてしまう。
「俺は非科学的なものに興味はない」
「パラレルワールドは非科学的なものじゃありませんよ。量子力学の分野で……」
「やめろ!」
 思わず声を上げてしまって、周りの乗客に頭を下げる羽目になった。そこで高輪ゲートウェイに到着して、電車が速度を落としていく。
「宝木さん」
 早く扉が開いて、早く下りてくれ。そんな気持ちに反して彼が貢を見下ろす。
「さっきの真中くんの質問」
 公共の場だというのに、身体を屈めて貢の耳に顔を近づける。
「俺は奥さんと仲睦まじくはないですよ。何故結婚したのかも思い出せない」
 心做しか怒りを含んだ声で言って、閉まる直前のドアから降りていく。呆然とする貢に、窓の外の彼が手を振る。その悪戯っぽい笑顔が、本来いるべきだった世界の彼の姿と重なる。
 パラレルワールドの人間は、それぞれその世界の人間として意思を持つ筈だ。それなのに、何故海原はまるで以前貢がいた世界を知っているようなことを言う? 貢が移動を繰り返したことで歪が生じてしまったのか。だとしたら、どう正してやればいい? 自分にそんなことできる筈がないと気づいて怖くなる。代償は貢の火傷だけでは済まない。飛んだ世界の人間を少しずつ狂わせる。
 もう並行世界の移動はしまいと思った。チャームのクローバーには、まだくすんでいない葉が一枚残っている。だが決して使わない。
 何故得永は貢にこんなものをくれたのだろう。責任転嫁と分かっていながら、そう思わずにいられなかった。
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