シリアルラブ

 なのに彼は貢の心を乱して降りていった。恋人がいるのに何が可愛いだ。いや、別に貢に言った訳ではない。そもそも何故あとから出た彼と同じ電車になるのだ。貢と話したくて追ってくれた?
「ダメだ」
 それはいけない。この世界で彼の恋人は真中だ。真中にだって感情がある。奪おうなんて思っていない。青い炎の空間で願ったのは、静かな気持ちで彼の傍にいること。初めから真中の恋人なら苦しむことはない。そう思っていたのに苦しい。漸く後悔を認める。選んだ道は間違っていた。初めから恋人だろうと苦しいものは苦しい。分かったところでどうしようもない。
 海原はもちろん、真中も不幸にするのはやめようと思った。大丈夫。不愛想な自分を貫けばいい。何を言っても無反応な貢を見ていれば、彼の気持ちも真中に戻っていく。海原は恋人がいるのに別の人間を好きになるような男ではない。彼の性格を歪めたくない。
 だが上手くいかなかった。真中は仕事でミスを繰り返し、次第に海原の彼への態度も変わっていく。ただの同僚ならミスを繰り返されても不機嫌になる男ではないが、恋人だからというのがあるのだろう。真中のミスを棚橋が庇って、海原の纏う空気が荒んでいく。まるで前の世界の貢のようだ。悪い方へ悪い方へと落ちていく。
「宝木さんと残業している時間が一番落ち着く」
 そう言われて、すぐに言葉が出なかった。
「……随分疲れているな。限界なら帰れ。仕事なら引き受けてやる」
「いつも俺の言葉をはぐらかすのはどうしてですか? 何を怖がっているんですか?」
 思わず顔を向けて、その強い視線から逃れるように席を立つ。
「飲み物を買ってきてやるから、あとは黙って仕事をしろ」
 前と同じ、一日中販売中の自販機に向かって、全く好みじゃなさそうなメロンソーダでも買っていこうかと思う。だが結局彼の好きな烏龍茶を選んだ。真中から奪う気はない。彼の気を引くようなこともしない。けれど嫌われたくない。決して明かしてはいけない気持ちを抱えて無表情を貫く。
 そんな日々を過ごして、七月の台風の日がやってきた。前と同じように棚橋が一番に帰っていく。
「宝木さん、アプリでタクシーを予約したので一緒に帰りませんか?」
「俺は仕事するから真中くんと帰れ」
「穏なら家の人が迎えに来て帰りましたよ」
「え?」
 肝心なところで現実は変わる。
「恋人なんだからお前も乗っていけばよかったのに」
「やめてくださいよ。穏の家の両親も運転手もやたらとフレンドリーで押しが強いんです。一度夜に送っていったら泊っていけと煩くて、朝食までご馳走になって漸く解放ってことがあったんですから」
 眉を下げて笑いながら言われて、ぎゅっと胸が締めつけられる。貢が苛立って海原の話を聞かなかった飲み会の晩も、同じようなことがあっただけではないのか。一足飛びに海原が真中の家族公認の恋人になった気がしていじけていたが、もっと海原の話を聞くべきだったのではないか。気づいたところで遅い。だって自分はあのときとは違う世界に飛んでしまった。
「穏はあんな感じだから友達ができにくいみたいで。だから両親も彼が連れてきた友達が嬉しかったんでしょうね。可愛い末っ子ですし。……ってそれより、こんな日くらい仕事は諦めて帰りましょう?」
「いや、いい」
 ここで突っぱねてはいけないと思った。素っ気ない態度で別れれば、彼が車で探しに来る未来が繰り返される。だから穏やかに言う。
「仕事を多く残すのは落ち着かないんだ。雨風の様子を見て俺もタクシーで帰るから心配するな」
「じゃあ、タクシーをキャンセルして俺も」
「運転手に迷惑をかけるな。それに俺もたまには一人で仕事をしたい。お疲れさま。また明日」
 やや強引に話を終えれば、諦めた彼が頭を下げて帰っていく。
 これでいい。これで今日もう一度彼に会うことにはならない。その展開が怖くて、前と違う行動を選んでいる。仕事はさっさと切り上げて、人事部の上司がやってくる前にビルを出てしまう。
 風は強いが雨はやんでいた。大通りでタクシーを捕まえようと思ったのに、空車に出会えないから、仕方なく徒歩で帰っていく。一度歩いているからスマホも見ずに歩いた。線路沿いの道は人一人歩いていなくて、シンと冷えた思考で歩いていく。
 大丈夫。前より二時間も早い。そう思ううちに田町まで来て、スマホでその先のルートを調べようと思う。足を止めて鞄を探る。そこでいつものチャームがきらりと光る。
「宝木さん!」
 声を掛けられて目を閉じた。
「よかった、会えて」
「……海原さん、どうして」
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