シリアルラブ

「六月からバイトが一人入るから」
 棚橋が思い出したように言ったとき、また無理難題がやってきたと思った自分は毒されている。
「バイト? バイトって、一人増えるってことですか?」
 海原も同じ状態のようで、シンプルな日本語の意味を聞き返している。
「他にどんな意味があるんだよ」
 珍しくいいことをしているというのに、その苦々しい顔はなんなのだ。渋々といった様子で語られた話を要約すると、貢が新システムの研修で出向いた支部の役席が、社員二人では壊れてしまうと本店人事部に掛け合ってくれたらしい。支部にいるが棚橋より地位が上の男の言葉で、検討の結果、社員は無理だが直雇用のバイトを一人増やそうということになった。
「ありがとうございます」
 棚橋に本心で礼を言うのは初めてかもしれない。激務の合間を縫って支部まで出向いた甲斐があったというものだ。
「言っておくがシス管の仕事を任せられる訳じゃないぞ。電話の取次ぎとか、掃除とか書類の整理とか、その程度だ」
 それでも充分ありがたい。箱一杯の書類から一枚探してくれと言われる事態はもう起こらないでほしいが、万一発生した場合はお願いしてもいいだろうか。とにかくバイトでもなんでも人手が増えるのはありがたい。
「第一週は人事でがっつり研修で、ここに来るのは二週目からだな」
「承知しました」
 支部まで組み込んだ新システム使用開始の週。そこを乗り越えればバイトも入って、スケジュールが楽になるということだ。恋人になったはいいが、なかなか恋人らしいことができずにいる彼との時間も作れる。
「バイトが入ったら今より早く帰れそうですね。帰りにご飯行きましょう。どっちかの家に寄り道するのもいい」
「気が早いって」
 呆れたように言いながら、同じことを思ってくれていた彼に気持ちも上がる。人間らしい感情。自分にも恋愛というものができるらしい。そう能天気に考えていた頃が幸せのピークだったのかもしれない。
真中まなかおんといいます」
 予定通り六月第二週から現れた彼は、一目で育ちがいいと分かる男だった。小さな身体に猫のような目。背は低いが顔も小さいから、全体的にすらりと整って見える。残業禁止のバイトながら、その辺の社員よりいいものを身につけていて、女子社員から王子のようだと噂が立つ。
「これ、父が海外に行ったときのお土産なんです。家に沢山あるのでどうぞ」
 話し方や些細な仕種も、社会の毒に晒されている社員とは違っていた。デスクに綺麗な個包装のお菓子を置かれて、とりあえず小さく頭を下げる。恋人ができたからといって、貢の対人スキルは底上げされたりしない。初対面の人間には普通にぎこちなくなる。
「凄い。これ高いやつじゃん。お父さん、何している人?」
 貢の代わりに海原が言う。
「会社経営です。海外からナッツを輸入する会社で、日本のチョコレート会社に卸しているんです」
「へぇ。じゃあ、真中さんは後継ぎ? ここの仕事は他業種の経験を積むためとか?」
 踏み込んだ質問も海原が聞けば嫌な感じにならない。
「いえ。会社は兄が継ぐことになっています。三兄弟の末っ子なので僕に回ってくることはないでしょうし、僕はオブジェ作家になりたくて」
「オブジェ作家?」
 つい聞いてしまえば彼がにっこり笑う。
「今は針金アートを中心にやっています。時々買い手がつくし、実家に住んでいるので生活には困らないんですけど、父が一度くらい普通の会社で働いてみろと言うので」
 そこまで素直に言われれば突っ込む気にもなれなかった。嫉妬も馬鹿らしくなるほどのご令息。マンガにでも出てきそうな暮らしぶりだ。
「父がこの会社の社長と親しくしていて、息子に社会勉強をさせてやってくれとお願いしたみたいなんです。大事な息子さんを保険会社なんて殺伐としたところで働かせられないって言われていたみたいですけど、ちょうど雑務のバイトが空いたってことで父が押し込んだんです。僕も制作のスケジュールが空く時期だったので」
「……」
 社長と人事部でどんなやりとりがあったか知らないが、随分な言い方だ。そしてそれをそのまま話してしまう彼に一抹の不安を覚える。いや、初日からその感情はよろしくない。元々人間関係が苦手な貢だ。仕事に必要な最低限の会話ができればいい。雑務のバイトがいれば単純に助かる。
「って訳で、今日一日は宝木に仕事を任せて、海原は真中くんの研修に入ってくれ。そこのデスク二台使っていいから」
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