シリアルラブ

「承知しました」
 棚橋の横暴のお陰で海原と普通に話せていることが複雑だった。彼は貢に恋人になってほしいと言う。バタバタが落ち着いたら答えを出さなければならないだろうか。その前に次のバタバタがやってきそうな気もする。ずっと忙しければ、そのうち告白はなかったことになって、知らん顔で同僚をやるのだろうか。それは嬉しくない。しがらみが嫌いで人間関係を極限まで切ってきた貢も、彼との関係は切りたくない。いや、同僚として切れないのだが、そうではない。二人で出掛けるのが苦痛ではなかった男。その事実をもう少し育ててみたい。
「ちょっとリモート研修室のパソコンを見てくる」
 目の前の仕事が一段落したところで立ち上がった。
「リモート研修室?」
「最近ただの会議室に成り下がって誰も使わないから、パソコンの調子が謎なんだ」
「ああ。A室とB室がある部屋ですね。俺が片方行きましょうか?」
 作業中だというのに、手を止めて顔を向けてくれるのがありがたい。
「いや、いい。ざっとメンテして、調子のいい方を研修で使うから」
「シス管の特権ですね」
「これくらいはな」
 悪戯っぽい笑顔に送られて、危うくこっちも笑って返しそうになった。別にそれでいいのだが、無表情に慣れているから戸惑ってしまう。内田とは別の感覚で、彼の傍は心地いい。苦手な雑談というものが、彼相手だとできてしまう。その彼に仕事を押しつける訳にはいかない。さっさとチェックして執務室に戻ろう。
「わ、埃っぽい」
 どちらもリモート機器のデスクに埃が溜まっていて、一度掃除用具を取りに戻る羽目になった。掃除をして配線を直して、二部屋ともリモート作業ができる状態にする。
「……思ったよりロス」
 十分で戻る予定が二十分過ぎていた。さっさと再開しないと仕事は溜まる。海原のマニュアルも見ておきたい。途中の自販機で飲み物を買って執務室に戻る。どんなに遅くまでいようと、いつもちゃんと稼働している自販機は偉大だ。
「悪い、一人にして。これ、この間と同じ紅茶……」
 話しながら近づいて、デスクの前で気づいた。海原が突っ伏している。どうやら眠っているらしい。この短時間で眠れるとは流石若者。いや、歳の差は一つだ。って、それも違う。
「海原さん、疲れたなら今日は先に……っ」
 帰れと言う前に彼が振り返った。
「寝てません! ちょっと長い瞬きです!」
「海原さん?」
「あと五時間やれば終わります!」
 寝ぼけてブラック時代に戻っているらしい。退職した人間まで支配するとはなんて恐ろしい会社。とにかく正気に戻ってもらおう。
「おい、しっかりしろ。ここは逆井保険だ」
 割とブラックだが、海原の前職よりだいぶマシな場所。とりあえず日付を越える残業はない。
「……逆井保険?」
「そう。だから今日は帰っても……っ」
 最後まで言えなかったのは言葉を封じられたからだ。屈んだ体勢の貢に顔を寄せて、彼の唇が触れている。おい、これは一体なんだ。
「起きろ!」
 しっかり三秒固まったくせに、強気で彼を突き放した。
「あれ、宝木さん、いつのまに。もしかして俺、寝てました?」
「……そうだな。ついでに前の会社と錯覚して騒いでいた」
 直前の暴挙の記憶がないようだから、わざわざ言うのはやめた。錯乱してキスをしたなんて、その後隣のデスクでどう働けというのだ。気まずい雰囲気など醸し出している場合ではない。忙しいのだ。
「疲れているなら今日はもう帰れ」
 忙しいが極限状態の人間を働かせるほど鬼ではない。
「いえ。少し寝て全回復です」
「じゃあ、好きにしろ」
「何か怒ってます?」
「怒っていない。ほら、これ飲め」
「ありがとうございます」
 人を動揺させておいて、無邪気に喜ぶ彼が憎らしかった。だが下手なことを言えば藪蛇で、知らん顔するしかない。ああ、無表情がデフォルトでよかった。全回復と言うのは本当らしく、キーボードを打つ彼の指が軽い。思ったほど残業しなくていいかもしれない。
 予感通り九時前にとりあえずのノルマは終わって、並んで駅まで帰ることになった。一度一緒に帰ると、その後の拒絶に罪悪感を覚えるのは何故だろう? 貢にとって、そんな気持ちも初めてのものだ。考えるのが面倒だからと自身に言い訳をして、乞われるまま二人で歩く。彼といるのにも慣れた。もう雑談も苦ではない。
「最後の方、ありがとうございました。マニュアルも進めてもらっちゃって」
「疲れてそうだったからな」
「疲れている訳じゃないんです。ただ昨日ちょっと寝不足で」
「それを疲れているというんじゃないのか?」
「違いますよ。だって寝不足は宝木さんのことを考えていたからですし」
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