シリアルラブ
とぼとぼと歩いて駅に向かった。乗り込んだところで座席が空いて端の席に座る。膝に置いた鞄の上で、心做しかチャームの葉の光がくすんでいる。本を読む気にもなれずに、目を閉じて発車ベルを聞く。
「……っと、間に合った」
鳴り終わる直前で誰かが駆けこんできた。ゆったりとした空気が一度に騒いで、けれど危険がないと分かってまた元に戻っていく。その空気感に顔を上げて、目にしたものに驚く。
「海原さん」
デジャブのように彼が座席の前に立っている。
「乗らないで待っていてよかった。遠くに宝木さんが見えたから走ってきたんです」
先に職場ビルを出たものの、ホームで何本か電車を見送っていたらしい。それは多分貢に会うため。
「さっきはすみませんでした」
黙って考えるうちに詫びられてしまった。
「みんなが自分と同じ考えじゃないって理解しないといけないのに」
「いや、俺が悪かった。俺が対人スキル皆無だから」
なんとか詫びれば彼が眉を下げて笑う。
「皆無じゃないでしょう。スキルがなければ、あんな風に職場で活躍していませんよ」
「活躍? 俺は言われたことを淡々とやっているだけだ」
「それが凄いんですよ」
そこで隣の女性が降りて行って、空いたところに海原が座る。一瞬身体が密着して、何故か妙に慌てて、手すりに精一杯身体を寄せる。そんな謎の挙動不審に、彼の周りの空気がふっと和らぐ。
「常軌を逸した仕事量なのに」
突っ込むことはせず、彼は直前の話を続けた。
「まぁ、普通に帰れるし普通に寝ているしな」
「そんなことを言っているとどんどん麻痺していきますよ。部長が、お前らの定時は八時だろ? といい出したり」
「それはありそうだな。彼自身は五時十分に帰るのに。知っているか? 毎日十分だけ残業するんだ」
「はい。先週気づきました」
入社した週に気づくとは流石高性能イケメンだ。
「あの十分何をするんだろうな」
「先週水曜は印鑑にインクを補充していましたよ」
「残業してすることじゃないな」
「ほんとに」
言い争いがなかったことになっているのは彼のお陰だ。彼は仕事だけでなく、高度な対人スキル保持者。思ったところで、彼の最寄り駅に到着する。
「海原さん」
ホームに入って速度を落とす電車で、ここで言わなければずっと言えないと思って声を上げる。
「授受システムができたら食事に行こう。奢るから」
「無理しなくていいですよ」
貢の精一杯は彼の苦笑に躱された。普段きりりとした眉が下がる。彼はよくそんな風に笑う。もしかしたら、貢がそんな顔をさせてばかりいるのだろうか。
「別に無理じゃ……」
「まず練習しましょ?」
「練習?」
「そう。どうせ月末の祝日は休出でしょうから、昼に一緒に弁当でも食べましょう。俺、買いに行きますから。何を話していいか分からないって言っていたから、そこで話すのは棚橋部長の悪口にしましょう。それなら話せるんじゃないですか?」
何から何まで配慮されていた。気を悪くさせてしまったのに、彼はちゃんと貢の言ったことを考えてくれていた。若いのに凄い。一つ下の彼を尊敬してしまう。
「部長の悪口なら得意だ」
「じゃあ、決まり。そうだ。今度連絡先教えてください」
そのタイミングで開いたドアから、彼は手を振って降りていった。屈託のない男だ。彼のお陰で、仲違いの悩みを一晩持ち越さなくてよくなった。そこは感謝。なんだか後輩に助けられてばかりだ。
連絡先の話は貢が叶えてやろうと思った。電車内で聞けたのに今度と言ったのは、どうするか貢に任せるつもりだったのだろう。内田ともラインを交換していたから、別に海原に知られても問題ない。仕事関係と資料のURLしかない連絡帳だが、彼は同じシス管だから仕事関係だ。別に友人を登録してはいけない訳ではないのに、心でそんな言い訳をする。
「祝日の休日出勤、か」
予想外に休みになるというミラクルはまずない。今はそんなシス管の状況に感謝する。弁当を買いに行くと言うから、そこでせめて代金を払わせてもらえれば今日の失態も薄れる。対人スキルがないなりに、少しずつ後輩との関係を作っていけばいい。ああ、なんだか漸く気が抜けた。目蓋が落ちそうになって、そこで電車が大井町に到着していることに気がつく。
「……っと、危ない」
らしくもなく乗り過ごしそうになってバタバタと降りる。それでも不思議と、たまにはそんな自分もいいと思えた。
「……っと、間に合った」
鳴り終わる直前で誰かが駆けこんできた。ゆったりとした空気が一度に騒いで、けれど危険がないと分かってまた元に戻っていく。その空気感に顔を上げて、目にしたものに驚く。
「海原さん」
デジャブのように彼が座席の前に立っている。
「乗らないで待っていてよかった。遠くに宝木さんが見えたから走ってきたんです」
先に職場ビルを出たものの、ホームで何本か電車を見送っていたらしい。それは多分貢に会うため。
「さっきはすみませんでした」
黙って考えるうちに詫びられてしまった。
「みんなが自分と同じ考えじゃないって理解しないといけないのに」
「いや、俺が悪かった。俺が対人スキル皆無だから」
なんとか詫びれば彼が眉を下げて笑う。
「皆無じゃないでしょう。スキルがなければ、あんな風に職場で活躍していませんよ」
「活躍? 俺は言われたことを淡々とやっているだけだ」
「それが凄いんですよ」
そこで隣の女性が降りて行って、空いたところに海原が座る。一瞬身体が密着して、何故か妙に慌てて、手すりに精一杯身体を寄せる。そんな謎の挙動不審に、彼の周りの空気がふっと和らぐ。
「常軌を逸した仕事量なのに」
突っ込むことはせず、彼は直前の話を続けた。
「まぁ、普通に帰れるし普通に寝ているしな」
「そんなことを言っているとどんどん麻痺していきますよ。部長が、お前らの定時は八時だろ? といい出したり」
「それはありそうだな。彼自身は五時十分に帰るのに。知っているか? 毎日十分だけ残業するんだ」
「はい。先週気づきました」
入社した週に気づくとは流石高性能イケメンだ。
「あの十分何をするんだろうな」
「先週水曜は印鑑にインクを補充していましたよ」
「残業してすることじゃないな」
「ほんとに」
言い争いがなかったことになっているのは彼のお陰だ。彼は仕事だけでなく、高度な対人スキル保持者。思ったところで、彼の最寄り駅に到着する。
「海原さん」
ホームに入って速度を落とす電車で、ここで言わなければずっと言えないと思って声を上げる。
「授受システムができたら食事に行こう。奢るから」
「無理しなくていいですよ」
貢の精一杯は彼の苦笑に躱された。普段きりりとした眉が下がる。彼はよくそんな風に笑う。もしかしたら、貢がそんな顔をさせてばかりいるのだろうか。
「別に無理じゃ……」
「まず練習しましょ?」
「練習?」
「そう。どうせ月末の祝日は休出でしょうから、昼に一緒に弁当でも食べましょう。俺、買いに行きますから。何を話していいか分からないって言っていたから、そこで話すのは棚橋部長の悪口にしましょう。それなら話せるんじゃないですか?」
何から何まで配慮されていた。気を悪くさせてしまったのに、彼はちゃんと貢の言ったことを考えてくれていた。若いのに凄い。一つ下の彼を尊敬してしまう。
「部長の悪口なら得意だ」
「じゃあ、決まり。そうだ。今度連絡先教えてください」
そのタイミングで開いたドアから、彼は手を振って降りていった。屈託のない男だ。彼のお陰で、仲違いの悩みを一晩持ち越さなくてよくなった。そこは感謝。なんだか後輩に助けられてばかりだ。
連絡先の話は貢が叶えてやろうと思った。電車内で聞けたのに今度と言ったのは、どうするか貢に任せるつもりだったのだろう。内田ともラインを交換していたから、別に海原に知られても問題ない。仕事関係と資料のURLしかない連絡帳だが、彼は同じシス管だから仕事関係だ。別に友人を登録してはいけない訳ではないのに、心でそんな言い訳をする。
「祝日の休日出勤、か」
予想外に休みになるというミラクルはまずない。今はそんなシス管の状況に感謝する。弁当を買いに行くと言うから、そこでせめて代金を払わせてもらえれば今日の失態も薄れる。対人スキルがないなりに、少しずつ後輩との関係を作っていけばいい。ああ、なんだか漸く気が抜けた。目蓋が落ちそうになって、そこで電車が大井町に到着していることに気がつく。
「……っと、危ない」
らしくもなく乗り過ごしそうになってバタバタと降りる。それでも不思議と、たまにはそんな自分もいいと思えた。