シリアルラブ

 思った以上に高性能だ。はったりではなく、本当に貢の説明なしでマニュアルを作り上げてしまいそうだ。業務と所属人数のバランスが破壊的なシス管には天の助け。
「俺、一度見たり聞いたりしたものは覚えてしまうんです。嘘だろって言われますけど」
 横顔の眉が下がって、高性能すぎて嫌な思いもしてきたのだろうなと思った。貢は信じる。感情論ではなく、彼がここで嘘を吐く理由がないから。そして一度観ただけのテレビ番組で、量子力学とパラレルワールドの関係を理解していたから。とにかく仕事は遠慮なく任せていい男。
「じゃあ、まず送付用から見てくれる? 入力済みは色が変わるようにしてみたけど、海原さんの方がセンスがよさそうだから、目に優しそうな色に修正してくれていいから」
「色はこのままでいきましょうよ。俺、この色好きなので」
 言い切られてちらりと目を向ければ、ふっと目を細めて返された。マズい。何がマズいか分からないがそう思って、すぐに視線を逸らす。そうだ。忘れていたが、彼は高性能なだけでなくイケメンなのだ。イケメンはちょっと表情を変えるだけで人の心を掻き乱す。そうどこかの伝説で言っていた。妖怪、高性能イケメン。うかうかしていると貢の身体ごと取り込まれてしまう。貢を取り込んでメリットがあるかどうかは謎だけれど。謎の思考は置いておいて、二人でカタカタと進めれば八時前にはひと段落ついてしまう。送付用はほぼ完成。マニュアルも一通り形になった。
「あとは明日からにしようか。他部署の役席にデモを使ってもらって、改善点を聞かないといけないし」
「ですね。帰りましょう」
 もう執務室には誰もいないから、堂々と伸びをする彼が清々しい。入社一週目は大人しいタイプかと思っていたが、どうやら彼はあっさり、きっぱり、分かりやすい男らしい。無表情で喋らない先輩社員に怯えることもない。貢にとって非常にやりやすい。
「ここって自社ビルですけど、各部屋の施錠はどうしているんですか?」
 彼がデスクの片付けをしながら聞いてきた。さりげなく棚橋のパソコンまで見てくれるのがありがたい。
「十時に警備室の人が閉めてくれる。コール部は九時までだから、彼らが少し残業になってもいいように」
「なるほど。九時って大変ですけど、でもコールはシフト制なんですよね」
「うん。朝から来て夜まで残業するのはうちくらい」
 そうこう言ううちに二人とも帰り支度を終えてしまう。
「……じゃあ、また明日」
「一緒に帰りませんか?」
 逃れようとしたのに、彼は予想通りのことを言った。
「どうせ電車も一緒ですし。よければ食事でも」
「悪い。食事は無理だ」
 普通の人間には困ったように笑って誤魔化すスキルくらいあるだろうが、それがないのが貢だ。
「あ、そうですよね。こんなに仕事をしていたら食欲もなくなって当然です」
「いや」
 誤解してくれたのだから誤解に乗っておけばいいのに、何故か否定してしまう。
「誰かと一緒に食事をするのが苦手なんだ。何を話していいか分からないし」
「えっと、それは」
 ほら見ろ、彼が困惑している。そのことにやけに焦って、焦りのまま一度閉じた鞄を開けてしまう。
「そうだ。さっきの紅茶のお礼に食事代を出すよ。これで好きな店で……」
「……何言ってるんですか」
 また失態だったらしい。一万円札を差し出したところでキレられた。
「俺はそういう意味で言ったんじゃないし、さっきのお茶も、単に宝木さんに一息ついてほしくて買っただけです」
 分かっていた。分かっていてもおかしな行動をしてしまうのが貢だ。システムのメンテはできても、破壊的な対人スキルの修正はできない。拒否されて下げた手が滑稽に思えて、無駄にお札を握り潰す。
「そんなに俺と関わりたくないならストレートに言えばいいのに」
「そんなことは……」
「お疲れさまでした。明日もよろしくお願いします」
 きちんと頭を下げて彼が駆けていった。走って追いついて謝るのが正しいのかもしれない。けれど貢にはハードルが高すぎて、そうこうするうちに追いつけないほど時間が過ぎてしまう。
「……帰るか」
 帰って寝ないと明日仕事ができない。まだ月曜なのだ。今週あと四日海原に会わなければならない。というか、これから先何十年も一緒に仕事をするかもしれないのだ。明日朝一で謝って食事に誘うか。少なくてもここ五年は誰かと食事をすることはなかったが、別に発作が出る訳でもない。ただ苦手なのだ。苦手だが仕方ない。先輩が嫌な奴だからと、辞められては堪らない。それより、貢を気遣って飲み物をくれた彼に、悪いことをしたと思っている。自分にそんな感情は珍しい。
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