恋愛メンタルマネジメント
好きなお店にでも行って機嫌を直してもらおう。自分は執務室に戻って、熊田と今後の作戦を練ればいい。猫が毛を逆立てているような人間からは、一度離れておくのが賢明だ。
「……!」
だがそんな恩田の計画が気に入らないというように、板張りの床に衝撃が走った。一瞬何が起こったのか分からなかったが、どうやら彼がコーヒー缶を叩きつけたらしい。想像以上に激しい男だ。
「紙パックのジュースで同じことをしない方がいいよ。中身が飛び散って片付けが大変だからね」
コーヒーはお気に召さなかったらしいが、生憎飲料缶は丈夫なのだ。さて、次はどんな破天荒な言動を見せる? 拾い上げて悠長に構えていれば、シャツの衿を掴んで自販機に押しつけられた。おっと、これは想定外。小柄だが一応男の身体をしている恩田にそうできるとは意外に力のある男だ。
「俺、あんたが嫌いだ。あんたが言うこと全部苛々する」
「……そう。でも同じ課で働くなら慣れてもらわないと」
怒りも哀しみもないが、物理的に首が苦しいからどうしたらいいだろう。どこまでも呑気に構えていて、次の瞬間、身体が強い力に引き寄せられる。
「何をしている!」
「……冥賀さん?」
気づかなかったが休憩室にいたらしい彼が、抱き寄せて恩田を助けてくれた。王子も声を荒らげたりするのだと思って、直後に彼の胸に抱かれている状況に頬を染める。理不尽や非常識には耐性があるが、幸せハプニングにはどうしていいか分からない。そんな恩田を腕に抱いたまま、王子冥賀が奇人立成と対峙する。
「今日着任の立成くんだね」
そう。自己紹介もされていないが、奇人は立成 統 という名前なのだ。
「途中から話を聞かせてもらったけど、悪いのは完全に立成くんだよ。社員としてという前に、人間としてありえない行動だという自覚はある?」
「人事課の人?」
敵意はあっても、立成の冥賀に対する態度はいくらかマシだった。希望していた人事課のメンバーはざっと把握していたのかもしれない。
「今回の採用は人事課を通さない話だったけど、理由が分かった。僕が採用に携わっていたら、絶対に採用しない」
「人事課の人なら俺をそっちに移してくれない?」
「非常識が過ぎて呆れる」
王子の厳しい言葉に驚いて、小声で詫びて彼の腕から抜け出した。二人の顔に交互に目を遣る。そのうち昼休憩に入るスタッフたちがガヤガヤと休憩室に近づいてくる。
「今のことは熊田さんに報告しておくから」
「あの名ばかり課長に何ができる」
それには流石にカチンときた。だが恩田まで怒って状況を悪くするのはよくない。
「立成さん、お昼にどうぞ。また一時に」
努めて穏やかに言った言葉に返事が返ることはなかった。恩田の言葉を無視して、冥賀には意味ありげな笑みを残して奇人が去っていく。多分、お金には困っていなくて、お高いランチにでも行くのだろう。
「平気? 怪我はない?」
立成の背中を一瞥しただけで、王子が恩田に顔を向けてくれた。眉が下がって、案じてくれていると分かる。それで心は救われる。
「大丈夫です。助けてくれてありがとうございました」
「ちょっと危ういなと思って見ていたんだ。ごめん。もっと早く間に入ればよかったね」
「いえ。ちょっとした脅しで、まさか本気で俺をどうこうしようと思った訳ではないでしょうから」
「うーん、どうかな。とにかく思った以上に厄介な人だね」
本社最年少課長代理で難題もさらりと解決する王子さえ、言葉選びに苦労している。奇人立成恐るべし。そう頭の片隅でどうでもいいことを考えるのは、実はメンタルを保つ方法の一つだったりする。
「採用の報告をされてから、イレギュラーなことはすべきでないって、うちでも揉めたんだよね。結局役員には逆らえないってことになったんだけど、その反発のせいで教育担当課に配属されることになったみたいで、ほんと申し訳ない」
「そんな」
悪いことをしていない王子に謝られるのは本意ではない。
「人事課に配属されて暴挙の人事でもされたら困りますから、うちでよかったですよ。大丈夫。俺は導入研修で何百人もの新人と会ってきているんです。あれより酷い新人も沢山いましたから」
嘘だった。少なくとも新人に胸倉を掴まれたことはない。だがこれは許される嘘だ。
「ありがとう。じゃあ、これあげる」
「え……?」
驚いたのは、王子がフルーツの絵が描かれた可愛らしいグミを差し出してきたからではない。いや、それも驚いたが、そのグミが恩田の好物だったから。特にグレープ味はバケツ一杯食べたいと思うほど好きなお菓子だ。
「えっと、助けてもらってお菓子まで貰う訳には」
「……!」
だがそんな恩田の計画が気に入らないというように、板張りの床に衝撃が走った。一瞬何が起こったのか分からなかったが、どうやら彼がコーヒー缶を叩きつけたらしい。想像以上に激しい男だ。
「紙パックのジュースで同じことをしない方がいいよ。中身が飛び散って片付けが大変だからね」
コーヒーはお気に召さなかったらしいが、生憎飲料缶は丈夫なのだ。さて、次はどんな破天荒な言動を見せる? 拾い上げて悠長に構えていれば、シャツの衿を掴んで自販機に押しつけられた。おっと、これは想定外。小柄だが一応男の身体をしている恩田にそうできるとは意外に力のある男だ。
「俺、あんたが嫌いだ。あんたが言うこと全部苛々する」
「……そう。でも同じ課で働くなら慣れてもらわないと」
怒りも哀しみもないが、物理的に首が苦しいからどうしたらいいだろう。どこまでも呑気に構えていて、次の瞬間、身体が強い力に引き寄せられる。
「何をしている!」
「……冥賀さん?」
気づかなかったが休憩室にいたらしい彼が、抱き寄せて恩田を助けてくれた。王子も声を荒らげたりするのだと思って、直後に彼の胸に抱かれている状況に頬を染める。理不尽や非常識には耐性があるが、幸せハプニングにはどうしていいか分からない。そんな恩田を腕に抱いたまま、王子冥賀が奇人立成と対峙する。
「今日着任の立成くんだね」
そう。自己紹介もされていないが、奇人は
「途中から話を聞かせてもらったけど、悪いのは完全に立成くんだよ。社員としてという前に、人間としてありえない行動だという自覚はある?」
「人事課の人?」
敵意はあっても、立成の冥賀に対する態度はいくらかマシだった。希望していた人事課のメンバーはざっと把握していたのかもしれない。
「今回の採用は人事課を通さない話だったけど、理由が分かった。僕が採用に携わっていたら、絶対に採用しない」
「人事課の人なら俺をそっちに移してくれない?」
「非常識が過ぎて呆れる」
王子の厳しい言葉に驚いて、小声で詫びて彼の腕から抜け出した。二人の顔に交互に目を遣る。そのうち昼休憩に入るスタッフたちがガヤガヤと休憩室に近づいてくる。
「今のことは熊田さんに報告しておくから」
「あの名ばかり課長に何ができる」
それには流石にカチンときた。だが恩田まで怒って状況を悪くするのはよくない。
「立成さん、お昼にどうぞ。また一時に」
努めて穏やかに言った言葉に返事が返ることはなかった。恩田の言葉を無視して、冥賀には意味ありげな笑みを残して奇人が去っていく。多分、お金には困っていなくて、お高いランチにでも行くのだろう。
「平気? 怪我はない?」
立成の背中を一瞥しただけで、王子が恩田に顔を向けてくれた。眉が下がって、案じてくれていると分かる。それで心は救われる。
「大丈夫です。助けてくれてありがとうございました」
「ちょっと危ういなと思って見ていたんだ。ごめん。もっと早く間に入ればよかったね」
「いえ。ちょっとした脅しで、まさか本気で俺をどうこうしようと思った訳ではないでしょうから」
「うーん、どうかな。とにかく思った以上に厄介な人だね」
本社最年少課長代理で難題もさらりと解決する王子さえ、言葉選びに苦労している。奇人立成恐るべし。そう頭の片隅でどうでもいいことを考えるのは、実はメンタルを保つ方法の一つだったりする。
「採用の報告をされてから、イレギュラーなことはすべきでないって、うちでも揉めたんだよね。結局役員には逆らえないってことになったんだけど、その反発のせいで教育担当課に配属されることになったみたいで、ほんと申し訳ない」
「そんな」
悪いことをしていない王子に謝られるのは本意ではない。
「人事課に配属されて暴挙の人事でもされたら困りますから、うちでよかったですよ。大丈夫。俺は導入研修で何百人もの新人と会ってきているんです。あれより酷い新人も沢山いましたから」
嘘だった。少なくとも新人に胸倉を掴まれたことはない。だがこれは許される嘘だ。
「ありがとう。じゃあ、これあげる」
「え……?」
驚いたのは、王子がフルーツの絵が描かれた可愛らしいグミを差し出してきたからではない。いや、それも驚いたが、そのグミが恩田の好物だったから。特にグレープ味はバケツ一杯食べたいと思うほど好きなお菓子だ。
「えっと、助けてもらってお菓子まで貰う訳には」