恋愛メンタルマネジメント
アプリを終了するとき、現実の時間に合わせて『お休みなさい』と挨拶の言葉が出てくる演出に、「お休み」と返してスマホをテーブルに置く。入浴をして、寝る前にまた少し弄ろう。好きな動画を流しながら寝落ちもいい。そんな、叶わない恋がたまに胸にチクリとくる程度で、他は大きな悩みもない気楽な一人暮らし。
来週末から新しい同僚ができる。同い年なら非常識な新人でも厄介な年上の部下でもないからやりやすい。女性相手と違って言動に神経を尖らせる必要もない。役員の親戚らしいが、ありがたい人材ではないか。着任は来週の金曜だが、パソコンの設定をしてデスクの掃除をしておこう。綺麗なデスクが用意されて嫌な人間はいない。つらつらと仕事のことを考えていて、そのうち寝落ちの用の動画を流すこともなく眠りに落ちる。いつもと変わらない平和な夜。
だが人生は甘くなかった。
厄介ではないだろうと思っていた新しい同僚は、会って二時間で断言できるほど厄介な男だった。
「人事の仕事ができると言っていたのに、教育担当課なんて話が違う」
アイドルのように華やかな容姿の彼が熊田に放った第一声がそれだ。まだ一日目の午前中で、総務で貸与物の説明を受けてやってきだばかりだ。普通はこんなとき、嘘でも「よろしくお願いします」と言うものではないだろうか。
「えっと、教育担当課も人事部であることに変わりはないから」
役員との関係も上手くやらなければならない熊田を悪者にするのは気の毒だ。そう思って助け舟を出した恩田は蔑むように一瞥された。
「とにかく人事課に異動させてください」
そのまま恩田を無視して熊田に詰め寄る彼に、怒りよりも先に胃痛に襲われる気分だった。仲よくなって熊田と三人で歓迎会でもできたらいいと、のほほんと考えていた自分の甘さを痛感する。次を決めないままの退職。親戚に任せた仕事先。それでいて人事の仕事を希望する傲慢さ。考えないようにしていたが引っ掛かる点はあったのだ。一般的な社会人ではないから、いや、はっきり言って社会不適合者だから親戚が再就職先の世話をした。とにかくこのままでは、熊のアニメのキャラクターみたいな熊田が大粒の涙を零しそうで、それを避けるために再アタックする。
「来たばかりで異動は無理だよ。三年くらいコツコツやれば次の希望を出せるようになるから」
「は? 馬鹿なのか?」
よかった。台詞はともかく振り向いてくれた。
「この課が嫌だと言っているのに三年も待てる訳ないだろ?」
そんな刺しかない言い方をする彼は、それでも惚れ惚れするほど見た目のいい男だった。若干ドレスコード違反なのでは? と思うほどのブラウンに染められた髪。それが意思の強そうな目やふっくらした唇と合っている。唇の下のほくろも色気があって、やはりどこかのアイドルグループにいそうだと思う。
「ああ、うんざり。同僚までこんなレベルが低いなんて。俺が一体何をしたって言うんだ」
次を決めないまま前職を辞めただろうと言ってやりたいが、そんなことをしても更に不機嫌にさせるだけだ。
「まぁ、もう配属されてしまったことだし、とりあえずロッカーや食堂を案内するから一緒にこのビルを回ろう」
こんなときは館内を回って落ち着いてもらうのがいい。
「こんなダサいビルの食堂なんか使うかよ」
「じゃあ、休憩室に案内するよ。自販機でこのビル限定のコーヒーが売っているんだ」
「……あんた、ほんとに馬鹿なのか?」
「教育担当を足掛け六年も任せてもらえるほどには馬鹿じゃないかな。じゃあ、行こうか」
後ろで熊田が「すまん」と謝る仕種をしている。苦笑で応えながら、とにかく柳に風作戦で彼を執務室から連れ出してしまう。他部課の人間も仕事をしている執務室で騒がせておくより、廊下に出てしまった方がいい。
「あんた、同い年って聞いたけど、二八にもなってそんなへらへらしていて悔しくないの?」
休憩室に案内しようと歩く恩田に向けられるのは、それが先輩に向ける言葉かと突っ込みたくなる言葉の数々。だが伊達に六年も新人スタッフの相手をしていない。感情を乱せば状況は悪化する。
「穏やかな職場生活も悪くないよ。身体にもいいし、上司と波風を立てることもない。まぁ、熊さんはいい人だけどね」
言いながら、自販機でこのビル限定の缶コーヒーを一つ買う。この会社の社長と仲のいい飲料メーカーの社長が、ほとんど趣味で作っているコーヒーをお遊びで販売している。廃番寸前という割に味はいいので、社員たちの間で密かにブームになっているのだ。
「はい、これあげる。少し早いけど昼休憩にして。食堂を使わないならランチは外に食べに行くんでしょう? 午後は一時までに戻ってきて」
来週末から新しい同僚ができる。同い年なら非常識な新人でも厄介な年上の部下でもないからやりやすい。女性相手と違って言動に神経を尖らせる必要もない。役員の親戚らしいが、ありがたい人材ではないか。着任は来週の金曜だが、パソコンの設定をしてデスクの掃除をしておこう。綺麗なデスクが用意されて嫌な人間はいない。つらつらと仕事のことを考えていて、そのうち寝落ちの用の動画を流すこともなく眠りに落ちる。いつもと変わらない平和な夜。
だが人生は甘くなかった。
厄介ではないだろうと思っていた新しい同僚は、会って二時間で断言できるほど厄介な男だった。
「人事の仕事ができると言っていたのに、教育担当課なんて話が違う」
アイドルのように華やかな容姿の彼が熊田に放った第一声がそれだ。まだ一日目の午前中で、総務で貸与物の説明を受けてやってきだばかりだ。普通はこんなとき、嘘でも「よろしくお願いします」と言うものではないだろうか。
「えっと、教育担当課も人事部であることに変わりはないから」
役員との関係も上手くやらなければならない熊田を悪者にするのは気の毒だ。そう思って助け舟を出した恩田は蔑むように一瞥された。
「とにかく人事課に異動させてください」
そのまま恩田を無視して熊田に詰め寄る彼に、怒りよりも先に胃痛に襲われる気分だった。仲よくなって熊田と三人で歓迎会でもできたらいいと、のほほんと考えていた自分の甘さを痛感する。次を決めないままの退職。親戚に任せた仕事先。それでいて人事の仕事を希望する傲慢さ。考えないようにしていたが引っ掛かる点はあったのだ。一般的な社会人ではないから、いや、はっきり言って社会不適合者だから親戚が再就職先の世話をした。とにかくこのままでは、熊のアニメのキャラクターみたいな熊田が大粒の涙を零しそうで、それを避けるために再アタックする。
「来たばかりで異動は無理だよ。三年くらいコツコツやれば次の希望を出せるようになるから」
「は? 馬鹿なのか?」
よかった。台詞はともかく振り向いてくれた。
「この課が嫌だと言っているのに三年も待てる訳ないだろ?」
そんな刺しかない言い方をする彼は、それでも惚れ惚れするほど見た目のいい男だった。若干ドレスコード違反なのでは? と思うほどのブラウンに染められた髪。それが意思の強そうな目やふっくらした唇と合っている。唇の下のほくろも色気があって、やはりどこかのアイドルグループにいそうだと思う。
「ああ、うんざり。同僚までこんなレベルが低いなんて。俺が一体何をしたって言うんだ」
次を決めないまま前職を辞めただろうと言ってやりたいが、そんなことをしても更に不機嫌にさせるだけだ。
「まぁ、もう配属されてしまったことだし、とりあえずロッカーや食堂を案内するから一緒にこのビルを回ろう」
こんなときは館内を回って落ち着いてもらうのがいい。
「こんなダサいビルの食堂なんか使うかよ」
「じゃあ、休憩室に案内するよ。自販機でこのビル限定のコーヒーが売っているんだ」
「……あんた、ほんとに馬鹿なのか?」
「教育担当を足掛け六年も任せてもらえるほどには馬鹿じゃないかな。じゃあ、行こうか」
後ろで熊田が「すまん」と謝る仕種をしている。苦笑で応えながら、とにかく柳に風作戦で彼を執務室から連れ出してしまう。他部課の人間も仕事をしている執務室で騒がせておくより、廊下に出てしまった方がいい。
「あんた、同い年って聞いたけど、二八にもなってそんなへらへらしていて悔しくないの?」
休憩室に案内しようと歩く恩田に向けられるのは、それが先輩に向ける言葉かと突っ込みたくなる言葉の数々。だが伊達に六年も新人スタッフの相手をしていない。感情を乱せば状況は悪化する。
「穏やかな職場生活も悪くないよ。身体にもいいし、上司と波風を立てることもない。まぁ、熊さんはいい人だけどね」
言いながら、自販機でこのビル限定の缶コーヒーを一つ買う。この会社の社長と仲のいい飲料メーカーの社長が、ほとんど趣味で作っているコーヒーをお遊びで販売している。廃番寸前という割に味はいいので、社員たちの間で密かにブームになっているのだ。
「はい、これあげる。少し早いけど昼休憩にして。食堂を使わないならランチは外に食べに行くんでしょう? 午後は一時までに戻ってきて」