恋愛メンタルマネジメント

 覚えのある感覚が身体の奥から湧き上がる。もうやめにしたいと思っていたが、今度も避けられなかった。だが不満はない。この怒りは今の自分に必要なものだ。
「人の気持ちを弄んで、人生を狂わせて楽しいか? 何が人事課だ。自分の器すら分からない人間が人事課で働ける訳がないだろ?」
「偉そうに」
「偉そう? 少なくてもお前よりは偉いな。メンタルを制御して二ヵ月も戯言に付き合ってやったんだからな。けどもう終わりだ」
 いつもと様子の違う恩田に眉を寄せた奇人が、それでも言葉を続ける。
「いいのかな? 俺は冥賀さんに告白されたんだ。あんたの言ったこと全部バラしてやる。そうすれば嫌われる。哀しいだろ?」
 小馬鹿にするような言い方に逆に冷静になった。こっちが嘲笑って、まっすぐ視線を向けてやる。
「嫌うなら嫌えばいい。お前みたいな奇人を好きだというならその程度だ。そんな男、くれてやるよ!」
 流石に想定外だったのか彼が言葉を失くす。
「……奇人ってなんだよ」
「奇人は奇人だ。いや、奇人に失礼だ。自己評価のできないクズだ。せいぜい親戚の役員とやらに護ってもらえばいい。俺はそんなものに負けない。退職者を出して喜ぶ社員なんてこの会社にはいらない。出ていけ。もう二度と来るな。奇人に謝れ!」
 ここ二ヵ月、胸に溜まっていたものが漸く言葉になった。言葉にしてみればなんてことはない。一体何に怯えていたのだろうと不思議な気持ちになる。
「お前、いきなりべらべらと喋りやがって」
「……!」
 言葉で怯まなくなった恩田に腹を立てたのか、彼が拳を振り上げる。既の所で躱したが、壁に追い詰められた身体に続けざまに拳がやってくる。
「……っ」
 こうなれば殴られてやる。殴られて暴力の証拠でも作ってやる。そんな気になって目を閉じるが、痛みも衝撃もやってこない。なんだ? と思って目を開ければ、そこに十五センチの身長差の彼が立っている。スーツの背中だけで分かる。王子だ。
「よかった、間に合って。恩田さんに当たっていたら、我を忘れて立成くんをボコボコにするところだった」
 いつかと同じように恩田を庇って、奇人に穏やかな声を向ける。
「冥賀さん、どうして……」
 聞かずにいられなかった。定時で帰ったのではなかったのか。奇人と一緒にディナーではなかったのか。奇人を恋人にするのではないのかと疑問が巡る。
「ディナーを拒否したら、それなら会社に戻って恩田さんを苛めてくるって言うから、追わずにいられなくなった。上がってくる途中で松島さんに会って話も聞いたよ。まぁ、もう大体調べはついていたんだけど」
 奇人と対峙したまま語られる台詞が意外で拍子抜けした。王子は恩田を護るために戻ってきてくれた。奇人を恋人にしたいなどと思っていないし、恩田を嫌ってもいない。よく考えれば分かることなのに、何故ここまで奇人の言葉に惑わされていたのだろう。
「コールのスタッフの証言ももう集まっているんだ。色恋を餌に随分と勝手なことをしてくれたみたいだね」
「付き合いたいから言うことを聞くという人間を使って何が悪い」
「情報の不正入手は違法だね。見張りを頼んで、恩田さんのデスクを探ろうとしたこともあったよね。僕が止めるために近づいたら、何か誤解して喜んでいたようだけど」
 そこでハッとする。デスクの上が乱れていたのは落ち込んでいたせいではなく、奇人が弄っていたからだ。そしてもう一つ気がつく。王子と奇人が仲よくしているように見えたのは、王子が恩田のデスク周りの情報を護ってくれたからだ。逆上しないように王子の微笑みで彼の気持ちを逸らしていた。奇人は恩田から王子の気持ちを奪えたと思って喜んだのだろう。二人の関係はその程度で、旅行だの告白だのは全て噓だ。
「もう大方報告書もできあがっているんだ。松島さんの話を追加して提出するから覚悟しておいて。十月一日の辞令にする予定だったけど、少し早くなりそうだね」
「は? なんの辞令だ。課長代理ごときに俺が処分できると思っているのか」
「残念ながら、君を処分するのは僕ではないよ」
「じゃあ、誰が」
「それは明日のお楽しみだね」
 歌うように言って、王子がそれまで後ろにいた恩田を隣に抱き寄せる。
「快を攻撃しないように甘い態度を取ってきたけど、それももう終わりだよ。随分と自分に自信があるみたいで、盛大に勘違いしてくれたけど」
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