恋愛メンタルマネジメント
「もちろん行きます」
行かない訳がなかった。奇人との仲を疑ったことを後悔する。なんだ、なんの心配もなかったではないか。王子は二人で旅行をしようと言ってくれる。どんな宿でも嬉しいが、王子が行きたいというのはどんな宿だろう。そう、傷口が手当されたみたいな気分で彼のスマホに顔を近づける。
「わ! ごめんなさい!」
だがそこで何故か頭から水を被った。
「恩田さん!」
本人より先に王子が立ち上がって、抱き寄せて髪にハンカチを当ててくれる。どうやら女性スタッフがうっかりコップの水をぶちまけたらしい。
「すみません! ごめんなさい!」
「いえ。大丈夫」
可哀そうになるほど詫びる彼女に目を遣ればコールのスタッフだ。二年目でフルスキルの松島。コール部門は大所帯だが、恩田が導入研修をしたスタッフはみな把握している。
「水なら乾くから問題ないよ」
そう言ってやれば、もう一度頭を下げた彼女が去っていった。
「そうだ、スマホ! 冥賀さんのスマホは無事でしたか?」
ハッとして聞けば、ぽんぽんと恩田のシャツを拭きながら彼が笑う。
「人の心配している場合じゃないでしょう? やっぱり恩田さんは優しいね」
いや、シャツは乾くからいいが、スマホは故障したら取り返しがつかないことになるだろう。
「大丈夫。こんなこともあろうかと防水だから」
旅館のページを表示したままのスマホを見せられて安堵する。
「とにかく今夜はゆっくり休んで。旅行楽しみにしているから」
そんな言葉に送られて、コールの仕事に戻ることになった。王子と旅行。厳しい日々のご褒美だ。そう、現金にも心を回復させてヘルプ業務に戻っていく。
だがその気持ちは一週間持たずに無残に散った。水曜に、予約が取れなくて旅行はダメになったとラインが入ったのだ。王子が悪い訳ではないと分かっているのに、取れない予約を取れると言ったことが彼らしくないと思う。不満ではなく、本当に取れなかったのだろうかと、よくない想像をしてしまう。一緒に行く相手を変えたのではないか。いや、きっと旅館の事情が変わったのだ。そう思おうとするのに、嫌な予感を確かなものにするように、空いた週末も彼は部屋に呼んでくれない。
悩む土、日を過ごせば、月曜に決定的なことが待っていた。
「ねぇ、恩田さん、これ見てよ」
コール部門に向かう前に教育担当課のデスクに向かった恩田に、奇人が話しかけてくる。恩田さんと呼んでくれるのは珍しい。それが逆に怖くて近づきたくない。だが無視をする訳にもいかない。気が進まないまま、彼がこちらに向けてくれたスマートフォンに目を遣る。
「……っ」
一目見ただけで分かった。
「いい宿でしょう? 冥賀さんが連れていってくれたんだ」
そこに、何故か王子と行く筈だった旅館の写真が並んでいる。
「温泉に入って、二人で夜遅くまで仲良く過ごしたんだ。夜っていうより朝までかな。くっついてばかりで観光できなかったけど、彼がそうしたいならいいかなって」
流石にすぐに言葉が出なかった。二人の姿はどこにも映っていない。こんな写真、ネットからいくらでも引っ張れる。彼の話は嘘だと思いたいのに、それなら何故彼がこの旅館のことを知っている? という疑問が晴らせない。
「有意義な休日で何より」
そう言って、デスクの確認もしないままコール部門に逃げてしまった。これじゃまるで本当にコールに異動が決まった人間のようだ。勝負していた訳ではないが、奇人に完全に負けたようで、振り向いて彼の顔を見ることができない。
その後の一週間は地獄だった。会議や外出が続く王子と会えない。不安にさせてごめん。落ち着いたらまた遊びに行こう。そんなラインが入るが、それが却って悪い想像を搔き立てる。そうやって恩田の心を落ち着けて自然消滅を狙っているのではないか。そう思えて仕方ない。社内でも実は恩田を避けているのではないか。彼は人事課の課長代理だ。立成にねだられて、恩田のコール部門行きを現実にしようとしていたら。ありえないことを考えてしまうのは、奇人が時々コール部門まで偵察に来るようになったからだ。恩田が教育担当課に顔を出さないのが面白くないのだろう。そこまでするかと呆れるが、彼の思惑通りメンタルを弱らせてしまう。日に一、二度コールの執務室に現れて、何をするでもなく帰っていくだけなのだが、うっかり見つけてしまったときには胸が重くなる。コール部門ならいいが、別のビルの関連会社に飛ばされたらどうしよう。そういえば以前彼はそんなことを言っていた。馬鹿な想像までしてしまう。
行かない訳がなかった。奇人との仲を疑ったことを後悔する。なんだ、なんの心配もなかったではないか。王子は二人で旅行をしようと言ってくれる。どんな宿でも嬉しいが、王子が行きたいというのはどんな宿だろう。そう、傷口が手当されたみたいな気分で彼のスマホに顔を近づける。
「わ! ごめんなさい!」
だがそこで何故か頭から水を被った。
「恩田さん!」
本人より先に王子が立ち上がって、抱き寄せて髪にハンカチを当ててくれる。どうやら女性スタッフがうっかりコップの水をぶちまけたらしい。
「すみません! ごめんなさい!」
「いえ。大丈夫」
可哀そうになるほど詫びる彼女に目を遣ればコールのスタッフだ。二年目でフルスキルの松島。コール部門は大所帯だが、恩田が導入研修をしたスタッフはみな把握している。
「水なら乾くから問題ないよ」
そう言ってやれば、もう一度頭を下げた彼女が去っていった。
「そうだ、スマホ! 冥賀さんのスマホは無事でしたか?」
ハッとして聞けば、ぽんぽんと恩田のシャツを拭きながら彼が笑う。
「人の心配している場合じゃないでしょう? やっぱり恩田さんは優しいね」
いや、シャツは乾くからいいが、スマホは故障したら取り返しがつかないことになるだろう。
「大丈夫。こんなこともあろうかと防水だから」
旅館のページを表示したままのスマホを見せられて安堵する。
「とにかく今夜はゆっくり休んで。旅行楽しみにしているから」
そんな言葉に送られて、コールの仕事に戻ることになった。王子と旅行。厳しい日々のご褒美だ。そう、現金にも心を回復させてヘルプ業務に戻っていく。
だがその気持ちは一週間持たずに無残に散った。水曜に、予約が取れなくて旅行はダメになったとラインが入ったのだ。王子が悪い訳ではないと分かっているのに、取れない予約を取れると言ったことが彼らしくないと思う。不満ではなく、本当に取れなかったのだろうかと、よくない想像をしてしまう。一緒に行く相手を変えたのではないか。いや、きっと旅館の事情が変わったのだ。そう思おうとするのに、嫌な予感を確かなものにするように、空いた週末も彼は部屋に呼んでくれない。
悩む土、日を過ごせば、月曜に決定的なことが待っていた。
「ねぇ、恩田さん、これ見てよ」
コール部門に向かう前に教育担当課のデスクに向かった恩田に、奇人が話しかけてくる。恩田さんと呼んでくれるのは珍しい。それが逆に怖くて近づきたくない。だが無視をする訳にもいかない。気が進まないまま、彼がこちらに向けてくれたスマートフォンに目を遣る。
「……っ」
一目見ただけで分かった。
「いい宿でしょう? 冥賀さんが連れていってくれたんだ」
そこに、何故か王子と行く筈だった旅館の写真が並んでいる。
「温泉に入って、二人で夜遅くまで仲良く過ごしたんだ。夜っていうより朝までかな。くっついてばかりで観光できなかったけど、彼がそうしたいならいいかなって」
流石にすぐに言葉が出なかった。二人の姿はどこにも映っていない。こんな写真、ネットからいくらでも引っ張れる。彼の話は嘘だと思いたいのに、それなら何故彼がこの旅館のことを知っている? という疑問が晴らせない。
「有意義な休日で何より」
そう言って、デスクの確認もしないままコール部門に逃げてしまった。これじゃまるで本当にコールに異動が決まった人間のようだ。勝負していた訳ではないが、奇人に完全に負けたようで、振り向いて彼の顔を見ることができない。
その後の一週間は地獄だった。会議や外出が続く王子と会えない。不安にさせてごめん。落ち着いたらまた遊びに行こう。そんなラインが入るが、それが却って悪い想像を搔き立てる。そうやって恩田の心を落ち着けて自然消滅を狙っているのではないか。そう思えて仕方ない。社内でも実は恩田を避けているのではないか。彼は人事課の課長代理だ。立成にねだられて、恩田のコール部門行きを現実にしようとしていたら。ありえないことを考えてしまうのは、奇人が時々コール部門まで偵察に来るようになったからだ。恩田が教育担当課に顔を出さないのが面白くないのだろう。そこまでするかと呆れるが、彼の思惑通りメンタルを弱らせてしまう。日に一、二度コールの執務室に現れて、何をするでもなく帰っていくだけなのだが、うっかり見つけてしまったときには胸が重くなる。コール部門ならいいが、別のビルの関連会社に飛ばされたらどうしよう。そういえば以前彼はそんなことを言っていた。馬鹿な想像までしてしまう。