恋愛メンタルマネジメント
今度も王子の態度に変化はなかった。
「嫌な奴ですよね、俺も」
「ううん。爽快で面白かったよ。その彼氏さんは怒られて当然だと思うしね」
彼氏さん。その言葉に拘る様子もない。どうやら同性の恋愛に嫌悪感はないらしい。王子だから多様性を学んでいるのかもしれない。そう、王子設定と現実が入り混じったことを考える。
「出ようか。ちょっとこの辺りを歩いてみよう」
「はい」
言われて、教育の行き届いたスタッフに見送られて和食処を出ることになる。先週払ってもらったから今日は払おうと思って来たのに、とても手の出る値段ではなかったので今日も素直にご馳走になる。
「すみません。凄く高いお店で」
「僕が勝手に決めたんだから、謝ることはないでしょう? さっきも言ったけど、恩田さんにいいところを見せたかったんだ。おいしいと思ってもらえたら嬉しい」
「おいしかったです。凄く」
「それならよかった」
そんなやりとりに落ち着いて、さて、これからどうするのだろうと思う。片思いの身で、他愛もない会話をしながらただ散歩するというのは結構なハードルだ。せめて会話のネタになるようなものが欲しい。
「この辺りはなんでもあるけど、映画でも観る? 水族館とか簡易遊園地みたいなものもあるけど」
「水族館がいいです」
選択肢を出されて助かった。水族館なら適度に魚の話を挟みながら会話することができる。
「魚好き?」
「はい。水族館の青も好きです」
「そっか。じゃあ、行こう」
素直に答えただけなのに、王子が嬉しそうで安堵した。食事代にはとても及ばないが、一人二千五百円の料金を出させてもらって、二人で青の空間を散策する。
「凄い。アートだね」
ホテルのビル内にある水族館は『天候に左右されない都市型水族館』をコンセプトにしている大人向けの施設だった。四角い巨大水槽だけでなく円柱の小型水槽が並んで、それを光と音で包み込む癒しの空間が続く。美しい光に照らされるクラゲを眺める非日常が、王子の隣にいる緊張を忘れさせてくれる。
「俺も初めて来たけど、イメージしていた水族館とかなり違いました」
「お気に召した?」
「もちろん」
さっきより少しだけ打ち解けた言葉を交わす二人の前を、大型水槽のエイが横切っていく。
「そうだ。冥賀さんの話したいことってなんですか?」
誰もいないからエイの水槽の前で足を止めて眺める。ずっと恩田の話ばかりで彼の話を聞いていない。
「うん……」
珍しく答えが返るのに間があった。何か言いづらいことことだろうか。まさか、奇人の話かと身構えた恩田に、向けられたのはそれよりももっとおかしな言葉。
「僕と付き合ってくれないかな」
水槽ギリギリまでやってきたエイにびくりとしたタイミングで言われて、なんの話か理解できなかった。
「……なんて言いました?」
「僕の恋人になってほしいなって」
なんとなく水槽を見たまま聞けば、彼が誤解のしようのないように言い直す。
「理由を聞いてもいいですか?」
人は嬉しいことが起こると、夢やどんでん返しを恐れて受け入れられないものらしい。だから意地になって水槽を見続けたまま聞く。王子に視線を移したら、途端に言葉が消えてしまいそうに思えたから。
「人事部に来てからずっと気になっていた」
だが彼の言葉は翻らない。
「よく気がつくし面倒見がいいし、仕事は抜群にできるし。でも色々と一人で背負い込んでいるから、僕が助けになってあげられたらなって思うようになって」
「それは買い被りすぎ……」
「そんなことないよ」
慌てて彼の方を向けば、それで逆に落ち着いたというように、王子の微笑みが戻った。彼の方はとっくに水槽ではなく恩田のことを見ていたらしい。
「これはちょっと申し訳ないんだけど、『じぶん絵日記』は以前偶然休憩室で恩田さんが日記を書いているのを見たんだ。だから恩田さんのページを探せたらいいなと思って、地道に探したら見つけられて」
なるほどと思った。確かに昼休みも書くことがある。それにしても『カイ』というどこにでもありそうなユーザー名をよく探し出せたものだ。そんな気持ちを読んだように、彼がまた眉を下げる。
「今思えばストーカーちっくだったと思うよ。以前恩田さんの絵を見たことはあったから、似たような絵をひたすら探したんだ。快という名前で、素直にカイをユーザーネームにしていてくれたことは幸運だったかな」
日に一人か二人の訪問者はほとんど冥賀だったという訳だ。それを考えると気恥ずかしい。
「それで日記を読むようになったんだけど、日記によく登場する王子は僕のことらしいと気づいてね」
「う……、それはすみません。本当に」
顔から火が出そうだった。メルヘンな日記だけでも恥ずかしいのに彼を王子にしていた。王子。その時点で、ただの上司以上の好意はバレている。
「ふふ。だから王子は謝ることじゃないって」
「嫌な奴ですよね、俺も」
「ううん。爽快で面白かったよ。その彼氏さんは怒られて当然だと思うしね」
彼氏さん。その言葉に拘る様子もない。どうやら同性の恋愛に嫌悪感はないらしい。王子だから多様性を学んでいるのかもしれない。そう、王子設定と現実が入り混じったことを考える。
「出ようか。ちょっとこの辺りを歩いてみよう」
「はい」
言われて、教育の行き届いたスタッフに見送られて和食処を出ることになる。先週払ってもらったから今日は払おうと思って来たのに、とても手の出る値段ではなかったので今日も素直にご馳走になる。
「すみません。凄く高いお店で」
「僕が勝手に決めたんだから、謝ることはないでしょう? さっきも言ったけど、恩田さんにいいところを見せたかったんだ。おいしいと思ってもらえたら嬉しい」
「おいしかったです。凄く」
「それならよかった」
そんなやりとりに落ち着いて、さて、これからどうするのだろうと思う。片思いの身で、他愛もない会話をしながらただ散歩するというのは結構なハードルだ。せめて会話のネタになるようなものが欲しい。
「この辺りはなんでもあるけど、映画でも観る? 水族館とか簡易遊園地みたいなものもあるけど」
「水族館がいいです」
選択肢を出されて助かった。水族館なら適度に魚の話を挟みながら会話することができる。
「魚好き?」
「はい。水族館の青も好きです」
「そっか。じゃあ、行こう」
素直に答えただけなのに、王子が嬉しそうで安堵した。食事代にはとても及ばないが、一人二千五百円の料金を出させてもらって、二人で青の空間を散策する。
「凄い。アートだね」
ホテルのビル内にある水族館は『天候に左右されない都市型水族館』をコンセプトにしている大人向けの施設だった。四角い巨大水槽だけでなく円柱の小型水槽が並んで、それを光と音で包み込む癒しの空間が続く。美しい光に照らされるクラゲを眺める非日常が、王子の隣にいる緊張を忘れさせてくれる。
「俺も初めて来たけど、イメージしていた水族館とかなり違いました」
「お気に召した?」
「もちろん」
さっきより少しだけ打ち解けた言葉を交わす二人の前を、大型水槽のエイが横切っていく。
「そうだ。冥賀さんの話したいことってなんですか?」
誰もいないからエイの水槽の前で足を止めて眺める。ずっと恩田の話ばかりで彼の話を聞いていない。
「うん……」
珍しく答えが返るのに間があった。何か言いづらいことことだろうか。まさか、奇人の話かと身構えた恩田に、向けられたのはそれよりももっとおかしな言葉。
「僕と付き合ってくれないかな」
水槽ギリギリまでやってきたエイにびくりとしたタイミングで言われて、なんの話か理解できなかった。
「……なんて言いました?」
「僕の恋人になってほしいなって」
なんとなく水槽を見たまま聞けば、彼が誤解のしようのないように言い直す。
「理由を聞いてもいいですか?」
人は嬉しいことが起こると、夢やどんでん返しを恐れて受け入れられないものらしい。だから意地になって水槽を見続けたまま聞く。王子に視線を移したら、途端に言葉が消えてしまいそうに思えたから。
「人事部に来てからずっと気になっていた」
だが彼の言葉は翻らない。
「よく気がつくし面倒見がいいし、仕事は抜群にできるし。でも色々と一人で背負い込んでいるから、僕が助けになってあげられたらなって思うようになって」
「それは買い被りすぎ……」
「そんなことないよ」
慌てて彼の方を向けば、それで逆に落ち着いたというように、王子の微笑みが戻った。彼の方はとっくに水槽ではなく恩田のことを見ていたらしい。
「これはちょっと申し訳ないんだけど、『じぶん絵日記』は以前偶然休憩室で恩田さんが日記を書いているのを見たんだ。だから恩田さんのページを探せたらいいなと思って、地道に探したら見つけられて」
なるほどと思った。確かに昼休みも書くことがある。それにしても『カイ』というどこにでもありそうなユーザー名をよく探し出せたものだ。そんな気持ちを読んだように、彼がまた眉を下げる。
「今思えばストーカーちっくだったと思うよ。以前恩田さんの絵を見たことはあったから、似たような絵をひたすら探したんだ。快という名前で、素直にカイをユーザーネームにしていてくれたことは幸運だったかな」
日に一人か二人の訪問者はほとんど冥賀だったという訳だ。それを考えると気恥ずかしい。
「それで日記を読むようになったんだけど、日記によく登場する王子は僕のことらしいと気づいてね」
「う……、それはすみません。本当に」
顔から火が出そうだった。メルヘンな日記だけでも恥ずかしいのに彼を王子にしていた。王子。その時点で、ただの上司以上の好意はバレている。
「ふふ。だから王子は謝ることじゃないって」