恋愛メンタルマネジメント
「はい。恋は盲目というか」
部屋も電話もNGなら普通に考えて他に相手がいたのだろう。当時の恩田はそれをわざと考えないようにしていた。現実を見なければ、穏やかな恋人関係が続くと思っていたのだ。
「でも一度酷く叱られてしまって」
「どんなことで?」
「……俺がたまたまネットで指輪の広告を見ていて」
ネットショッピングの画面に無作為に出てくるような広告だった。サージカルステンレスリング。医療用メスと同じ素材で作られているので、錆びず、アレルギーも起こりません。そんな広告の謳い文句に興味を引かれた。ステンレスでアクセサリーを作るという発想が新しいと思った。医療用メスならそれは錆びないだろう。シルバーより安くて錆びないなら、いい素材ではないか。そう思っただけなのに、見つかって激怒された。
「お前まさか、指輪が欲しいなんて言うんじゃないだろうな」
初め、彼の言葉の意味が分からなかった。
「お前俺のなんのつもりでいる? 勘違いするなよ」
そう言って帰られてしまった夜。一人になって考えれば彼の言いたいことは分かった。お前は恋人ではないし、それを隠すつもりもない。恋人面は気に食わない。黙って俺の都合のいい存在でいろ。間違ってもペアリングをねだるような真似はするな。そう言いたかった。
「酷いね」
王子が恩田のガラスの器にお茶を注いでくれる。その気遣いに救われる。
「はい。でも俺はそれでも別れられなくて」
今考えればおかしな話だが、指輪の件はすみませんでしたと詫びて、彼と続けることになった。彼の都合のいい存在でい続けた。だが恩田も馬鹿ではないから怒りのゲージは溜まっていく。
きっかけはある夜かかってきた電話だった。今から行って泊まりたい。自分は電話すら拒否するくせに、彼は突然そんなことを言う。いつもは受け入れるが、その日恩田は体調がよくなかった。だが体調がよくないと言えば病弱ぶるなと叱られることは分かっていた。
「ごめんなさい。今日は眠いので無理です」
だからそう返した。酷い返しではなかった筈だ。だって彼の家もすぐ近くにあるから。けれど彼は激怒した。
『分かった。もういい。眠いという理由で拒否する奴なんて知らない』
そんなラインを見たとき、ああ、そうかと思った。それなら仕方ない。そう、彼の連絡先をブロックした。もういい。こんな男と無理に付き合う必要はない。そう、すっきりと眠りに就いたのだ。
恩田がいつものように泣きついてくると思っていた彼は、恩田の拒絶を知って怒った。怒って家までやってきたが、もういらないと思った恩田に怖いものはない。
「お前、馬鹿か? 何も言わずにブロックするって非常識だとは思わないのか?」
いつものように脅せば折れると思ったのだろう。だがここで折れる義理はないし、もう二度と部屋に入れるつもりもなかった。ここは恩田が自分の給料で家賃を払って暮らしている部屋だ。お前に好き勝手に使われる謂れはない。
「非常識? そうか?」
恩田が詫びて、また好きに振る舞えると思っていたらしい彼が、そこで漸くいつもと違う空気を察する。
「だって俺は恋人じゃないんだろ? 別れようと言う必要なんてない。お前、馬鹿じゃないか」
ブーメラン。恋人面するなと言った彼の言葉を返してやった。恩田の言い分が正しいと分かった彼が言葉を失くす様子が滑稽だった。賢い男だと思ってきたが、そんなことはなかった。寧ろ何故この程度の男に縋ってきたのだろう。
「お前は俺に従っていればいいんだよ!」
反論できずに殴りかかってきたのを躱したところで満足した。買い被ってきたが、どうやら運動神経もそれほどではなかった。そう知ってまた愉快になる。
「二度と俺の前に現れるな。次現れたらお前の会社に全部バラしてやる」
彼の会社の連絡先など知らないし、『全部』がなんなのかも分からないが、その脅しが効いたようで、その後彼が恩田の前に現れることはなかった。コンビニやスーパーで会うこともなくなったのは、彼の方が避けているからだろう。ずっと顔色を窺ってきた立場が逆転して笑ってしまった。悪いことなどしていないから、恩田は今いる場所から引越すつもりはない。不満があるならお前がどこかに行けばいい。マンションを買ってしまっているから、そう簡単に住まいを変えられない彼に思う。今はもう、近所にいるかどうかすら知らない。
「それはまた凄い話だね」
部屋も電話もNGなら普通に考えて他に相手がいたのだろう。当時の恩田はそれをわざと考えないようにしていた。現実を見なければ、穏やかな恋人関係が続くと思っていたのだ。
「でも一度酷く叱られてしまって」
「どんなことで?」
「……俺がたまたまネットで指輪の広告を見ていて」
ネットショッピングの画面に無作為に出てくるような広告だった。サージカルステンレスリング。医療用メスと同じ素材で作られているので、錆びず、アレルギーも起こりません。そんな広告の謳い文句に興味を引かれた。ステンレスでアクセサリーを作るという発想が新しいと思った。医療用メスならそれは錆びないだろう。シルバーより安くて錆びないなら、いい素材ではないか。そう思っただけなのに、見つかって激怒された。
「お前まさか、指輪が欲しいなんて言うんじゃないだろうな」
初め、彼の言葉の意味が分からなかった。
「お前俺のなんのつもりでいる? 勘違いするなよ」
そう言って帰られてしまった夜。一人になって考えれば彼の言いたいことは分かった。お前は恋人ではないし、それを隠すつもりもない。恋人面は気に食わない。黙って俺の都合のいい存在でいろ。間違ってもペアリングをねだるような真似はするな。そう言いたかった。
「酷いね」
王子が恩田のガラスの器にお茶を注いでくれる。その気遣いに救われる。
「はい。でも俺はそれでも別れられなくて」
今考えればおかしな話だが、指輪の件はすみませんでしたと詫びて、彼と続けることになった。彼の都合のいい存在でい続けた。だが恩田も馬鹿ではないから怒りのゲージは溜まっていく。
きっかけはある夜かかってきた電話だった。今から行って泊まりたい。自分は電話すら拒否するくせに、彼は突然そんなことを言う。いつもは受け入れるが、その日恩田は体調がよくなかった。だが体調がよくないと言えば病弱ぶるなと叱られることは分かっていた。
「ごめんなさい。今日は眠いので無理です」
だからそう返した。酷い返しではなかった筈だ。だって彼の家もすぐ近くにあるから。けれど彼は激怒した。
『分かった。もういい。眠いという理由で拒否する奴なんて知らない』
そんなラインを見たとき、ああ、そうかと思った。それなら仕方ない。そう、彼の連絡先をブロックした。もういい。こんな男と無理に付き合う必要はない。そう、すっきりと眠りに就いたのだ。
恩田がいつものように泣きついてくると思っていた彼は、恩田の拒絶を知って怒った。怒って家までやってきたが、もういらないと思った恩田に怖いものはない。
「お前、馬鹿か? 何も言わずにブロックするって非常識だとは思わないのか?」
いつものように脅せば折れると思ったのだろう。だがここで折れる義理はないし、もう二度と部屋に入れるつもりもなかった。ここは恩田が自分の給料で家賃を払って暮らしている部屋だ。お前に好き勝手に使われる謂れはない。
「非常識? そうか?」
恩田が詫びて、また好きに振る舞えると思っていたらしい彼が、そこで漸くいつもと違う空気を察する。
「だって俺は恋人じゃないんだろ? 別れようと言う必要なんてない。お前、馬鹿じゃないか」
ブーメラン。恋人面するなと言った彼の言葉を返してやった。恩田の言い分が正しいと分かった彼が言葉を失くす様子が滑稽だった。賢い男だと思ってきたが、そんなことはなかった。寧ろ何故この程度の男に縋ってきたのだろう。
「お前は俺に従っていればいいんだよ!」
反論できずに殴りかかってきたのを躱したところで満足した。買い被ってきたが、どうやら運動神経もそれほどではなかった。そう知ってまた愉快になる。
「二度と俺の前に現れるな。次現れたらお前の会社に全部バラしてやる」
彼の会社の連絡先など知らないし、『全部』がなんなのかも分からないが、その脅しが効いたようで、その後彼が恩田の前に現れることはなかった。コンビニやスーパーで会うこともなくなったのは、彼の方が避けているからだろう。ずっと顔色を窺ってきた立場が逆転して笑ってしまった。悪いことなどしていないから、恩田は今いる場所から引越すつもりはない。不満があるならお前がどこかに行けばいい。マンションを買ってしまっているから、そう簡単に住まいを変えられない彼に思う。今はもう、近所にいるかどうかすら知らない。
「それはまた凄い話だね」