恋愛メンタルマネジメント

 なんてことはない。ただの意地悪だったのだと分かったのは中学に上がってからだ。子どもが困るのを見て楽しんでいたのだ。そう気づいてすとんと納得した。なるほど、正解の日がなかった訳だ。
 その彼女が中学にやってきて、壇上で「子どもが大好きで、子どもの顔を見ると疲れも吹き飛んでしまう」と語るのを見たとき、殺意に近いものを覚えた。だが感情のまま暴言を吐けば立場が悪くなる。だから司会の教師が「保育士の先生に何か質問はありますか?」と言ったとき、静かに手を上げた。
「ストレス解消のために、気に入らない園児を苛めることはありますか?」
 立ち上がって言ってやったときの彼女の顔は忘れられない。
「そんなことはしません。子どもが大好きですから」
 しどろもどろに応える相手を許してやるつもりはなかった。
「自覚がないんですね。よく分かりました」
 言い捨てて、あとは足を組んで椅子に戻った。控えめキャラだった恩田の暴挙に周りの生徒も教師たちも慌てているが、知ったことではない。具体的な事柄を上げるより、聞いた人間が想像を広げる言い方が効果的だと分かっていた。恩田はそういう人間だ。五年に一度キレるが、感情のまま怒鳴り散らすようなことはしない。
「……凄いね」
 ステーキナイフを置いた王子の声に我に返った。
「引きましたか?」
「ううん。凄く面白い。流石だなって思ったよ」
 本音かどうか分からないが、そう言ってもらえて救われた。口にしてみれば割と酷いことをしているが、王子に恩田を軽蔑する様子はない。
「あとは高校でも似たようなことがあっただけです。授業は予習をして受けて、授業中は翌日の予習をするものだと言い張る数学教師に、『それじゃ授業の意味がない。予習がないと教える自信がないのかよ』って言ってしまって」
「強いね」
「いえ、生意気だっただけです。中学も高校も多くはなくても友人はいたのに、キレるとみんな態度がよそよそしくなって、ああ、失敗したなって思う。みんな普段大人しいのに突然キレるクラスメイトが怖くなるんでしょうね。だからこの五年ルールはやめられたらいいって思っていたんですけど」
 やめられなかったのだ。
「その法則でいくと二十代前半にもあったのかな?」
 ご名答。二三歳のときにキレた。それまでと違って学校関係ではなく、恋人の男性にキレたのだが、それは暴露しづらい。話のニュアンスから恩田がゲイだとバレてしまう。
「そう、ですね。二三のときに」
 口籠ってしまえば王子が顔の前で手を振って笑う。
「無理に聞いたりしないよ。ごめん。恩田さんの気持ちを解すためにここに来たのに、これじゃ僕が苛めているみたい」
「そんなことないです!」
 つい必死になってしまって彼にきょとんとされた。もっとスマートに返せないのかと心で自分に突っ込むが、王子が興味を持ってくれたことは嬉しかったのだ。もう何も聞かないと言われたら哀しい。
「五年ルールの話を誰かに話すのは初めてなんです。だから本当に嫌ではなくて、寧ろありがたいというか」
「それならよかった」
 流石というのか、王子は恩田の挙動不審に動じなかった。一国の王子が民の懺悔を聞くように穏やかな表情に戻る。
「そろそろ出ようか」
「はい」
 腕時計を見てそう言った彼に、熊田がくれた奇跡みたいな時間も終わりかなと思った。素直に寂しい。また彼とこんな風に過ごしたい。好きバレしないように飲み会にも出ない自分の行動と矛盾している。だがその時々の衝動に突き動かされるのだから仕方ない。怒りの行動はコントロールできても恋の挙動不審はコントロールできない。みなそんなものなのかもしれない。
「あの、俺の分は出します」
 さらりと二人分の支払いをした彼に店を出たところで言えば、手のひらを見せるようにして制された。
「一応隣の課の役席だから格好つけさせて」
 王子は格好つけなくても格好いいが、その言い方は狡い。
「……ありがとうございます。ごちそうさまでした」
「うん。じゃあ、ついでにこれも」
 満足げに笑った彼が、手品のように小さなパウチを差し出してくる。
「あのお店、料理はおいしいんだけどデザートはあまり充実していないんだよね。だからおまけ」
「これ……」
 何か分かって驚いた。グレープ味のグミだ。恩田がバケツ一杯食べたいほど好きなもの。以前偶然だと思おうとしたが、やはり偶然ではない。彼は恩田の好物だと知っている。
「俺、このグミが好きって言ったことありましたっけ?」
「ううん、ない」
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