恋愛メンタルマネジメント
瀟洒なコンクリートの店内に入れば、馴れ馴れしくないすっきりとした接客の店員が案内してくれた。突然やってきたというのに、窓の傍の眺めのいい席に案内されて驚く。だがメニューを見て納得した。ランチなのに、若い会社員が利用するには高いのだ。恩田にとっても贅沢なランチになるが、王子と過ごせるなら安いものだ。
「ここはなんでもおいしいよ」
流石というのか、王子は以前も来たことがあるらしい。
「じゃあ、俺はペペロンチーノで」
メニュー選びに手間取る奴だと思われたくなくて、ニンニク抜き、唐辛子増しのパスタに即決した。
「足りなくない? 僕は和牛ステーキにしようかな」
意外なチョイスに驚くうちに、彼がスマートに注文を済ませてしまう。王子も普通に肉を食べるらしい。彼の知識が増えれば、このところ溜まっていた疲れも消えていく。
「熊田さんにゆっくりしていいと言われたから、ぎりぎりまで休憩しよう。たまにはそんな日も必要だから」
「すみません。冥賀さんは隣の課なのに」
「ううん。僕もついでに一時間以上休憩時間を貰えて役得だった。立成さんも課長の隣じゃ派手なことはできないだろうし、いいことだよ」
そう言って笑う彼が、直視できないほど綺麗だと思った。立成を困った社員と言いながら、彼にはそんな困難も楽しんでしまおうという余裕がある。六つの歳の差だけでなく、元々備えた人格なのだろう。素直に羨ましいし、少しでも彼のようになれたらいいと思う。
「そうだ。恩田さんが五年に一度キレるって話、もし嫌じゃなければ話してくれないかな」
運ばれてきた料理を楽しみながら、彼はにこにことそんなことを言った。
「嫌ではないですけど、あまり面白い話じゃなくて」
「いい、いい。ずっと気になっていて」
その台詞に胸を擽られる。ずっと。家に帰っても少しは恩田のことを気にしてくれていたのだろうか。片思いの身として、それは嬉しい。
「えっと、じゃあ、小学生のときの話なんですけど」
拒否するほどでもないから打ち明けることにした。作り話ではなく、恩田は本当に綺麗に五年ごとにキレてきた。初めて意識したのは小学生の頃。お盆か何かの集まりでやってきた大叔父の無礼に、一言言ってやらないと気が済まなくなったのだ。
「おじさん、お金払って」
人の家で酒を飲んで横になっていた無礼な男に、無表情で手を出した。
「なんだ、お小遣いが欲しいのか?」
「ううん。ここでお母さんを働かせて、飲んだり食べたりしている料金だよ。お店で同じことをしたらお金を払わないといけないでしょう?」
ふざけている訳ではないと分かったらしい彼が、流石に身体を起こす。
「生意気なことを言うようになったな」
それでもまだ茶化して終わりにできるという傲慢さを感じて、それがとても嫌だと思った。
「ここは飲み屋じゃないし、お母さんは嫁だからお金を貰わなくてもおじさんたちをもてなすものなんだよ」
「ううん。だってそれじゃ奴隷と同じでしょう?」
「こら、快!」
そこで不穏な空気を察した父親がやってきたから、ちょうどいいと思った。彼にはわざと幼い言い方をしてみせる。
「一番悪いのはお父さんだよ。お父さんの給料だけじゃ暮らしていけないからお母さんも働いているのに、自分の親戚の世話までさせるっておかしいでしょう? お母さんを奴隷にするために結婚したの?」
無邪気な表情で、無邪気な声で言う方が怖いだろうという計算があった。言い返せずに固まる父親の傍を、気まずくなった大叔父が帰っていく。それも逃す気はない。
「飲み屋でお金を払わずに帰ったら警察に捕まるね」
玄関先でそう言った恩田が怖くなったのか、それから彼が家に来ることはなかった。父親とは外で会っていたかもしれないが、恩田は二度とその顔を見ていない。
その次は中学生だ。保育園時代に恩田を苛めてきた保育士が、中学の『色々な職業の人の話を聞く会』にやってきたのだ。
幼少期、大人しすぎた恩田は担任の保育士に嫌われた。幼いなりに人の本性を見抜く力は鋭くて、心から子どもが好きな他のクラスの保育士に懐いていたのも気に入らなかったのだろう。
保育士でも子どもを苛めるものなのだと、たった五歳で理解できるほど苛められた。例えば給食の時間。どうしても食べられない野菜に困っていれば、皿を持ったまま立っていろと言われた。それは自分が悪いから納得できる。
納得できないのは子どもを困らせて楽しむだけの苛めだった。恩田のクラスからプールの場所が遠くて、プールまで歩いていくサンダルを持ってこいと言われた夏。彼女は恩田がサンダルを持ってきた日は「今日はいらなかった」と言った。それで持ち帰れば、翌日「今日はサンダルが欲しいのに」と言って笑う。子どもなりに懸命に法則性を考えたが、結局正解の日がないまま夏を終えたのだ。
「ここはなんでもおいしいよ」
流石というのか、王子は以前も来たことがあるらしい。
「じゃあ、俺はペペロンチーノで」
メニュー選びに手間取る奴だと思われたくなくて、ニンニク抜き、唐辛子増しのパスタに即決した。
「足りなくない? 僕は和牛ステーキにしようかな」
意外なチョイスに驚くうちに、彼がスマートに注文を済ませてしまう。王子も普通に肉を食べるらしい。彼の知識が増えれば、このところ溜まっていた疲れも消えていく。
「熊田さんにゆっくりしていいと言われたから、ぎりぎりまで休憩しよう。たまにはそんな日も必要だから」
「すみません。冥賀さんは隣の課なのに」
「ううん。僕もついでに一時間以上休憩時間を貰えて役得だった。立成さんも課長の隣じゃ派手なことはできないだろうし、いいことだよ」
そう言って笑う彼が、直視できないほど綺麗だと思った。立成を困った社員と言いながら、彼にはそんな困難も楽しんでしまおうという余裕がある。六つの歳の差だけでなく、元々備えた人格なのだろう。素直に羨ましいし、少しでも彼のようになれたらいいと思う。
「そうだ。恩田さんが五年に一度キレるって話、もし嫌じゃなければ話してくれないかな」
運ばれてきた料理を楽しみながら、彼はにこにことそんなことを言った。
「嫌ではないですけど、あまり面白い話じゃなくて」
「いい、いい。ずっと気になっていて」
その台詞に胸を擽られる。ずっと。家に帰っても少しは恩田のことを気にしてくれていたのだろうか。片思いの身として、それは嬉しい。
「えっと、じゃあ、小学生のときの話なんですけど」
拒否するほどでもないから打ち明けることにした。作り話ではなく、恩田は本当に綺麗に五年ごとにキレてきた。初めて意識したのは小学生の頃。お盆か何かの集まりでやってきた大叔父の無礼に、一言言ってやらないと気が済まなくなったのだ。
「おじさん、お金払って」
人の家で酒を飲んで横になっていた無礼な男に、無表情で手を出した。
「なんだ、お小遣いが欲しいのか?」
「ううん。ここでお母さんを働かせて、飲んだり食べたりしている料金だよ。お店で同じことをしたらお金を払わないといけないでしょう?」
ふざけている訳ではないと分かったらしい彼が、流石に身体を起こす。
「生意気なことを言うようになったな」
それでもまだ茶化して終わりにできるという傲慢さを感じて、それがとても嫌だと思った。
「ここは飲み屋じゃないし、お母さんは嫁だからお金を貰わなくてもおじさんたちをもてなすものなんだよ」
「ううん。だってそれじゃ奴隷と同じでしょう?」
「こら、快!」
そこで不穏な空気を察した父親がやってきたから、ちょうどいいと思った。彼にはわざと幼い言い方をしてみせる。
「一番悪いのはお父さんだよ。お父さんの給料だけじゃ暮らしていけないからお母さんも働いているのに、自分の親戚の世話までさせるっておかしいでしょう? お母さんを奴隷にするために結婚したの?」
無邪気な表情で、無邪気な声で言う方が怖いだろうという計算があった。言い返せずに固まる父親の傍を、気まずくなった大叔父が帰っていく。それも逃す気はない。
「飲み屋でお金を払わずに帰ったら警察に捕まるね」
玄関先でそう言った恩田が怖くなったのか、それから彼が家に来ることはなかった。父親とは外で会っていたかもしれないが、恩田は二度とその顔を見ていない。
その次は中学生だ。保育園時代に恩田を苛めてきた保育士が、中学の『色々な職業の人の話を聞く会』にやってきたのだ。
幼少期、大人しすぎた恩田は担任の保育士に嫌われた。幼いなりに人の本性を見抜く力は鋭くて、心から子どもが好きな他のクラスの保育士に懐いていたのも気に入らなかったのだろう。
保育士でも子どもを苛めるものなのだと、たった五歳で理解できるほど苛められた。例えば給食の時間。どうしても食べられない野菜に困っていれば、皿を持ったまま立っていろと言われた。それは自分が悪いから納得できる。
納得できないのは子どもを困らせて楽しむだけの苛めだった。恩田のクラスからプールの場所が遠くて、プールまで歩いていくサンダルを持ってこいと言われた夏。彼女は恩田がサンダルを持ってきた日は「今日はいらなかった」と言った。それで持ち帰れば、翌日「今日はサンダルが欲しいのに」と言って笑う。子どもなりに懸命に法則性を考えたが、結局正解の日がないまま夏を終えたのだ。