恋愛メンタルマネジメント

 恩田を庇うように前に立つから顔が見えない。だが彼が味方になってくれたことで恩田の心は回復した。他でもない王子が事実を知っている。それだけで、理不尽な攻撃には負けないと思える。
「恩田さん、この間バグが出ているって言っていたシステムを見てあげるよ。ちょっとデスクにお邪魔していい?」
 長く奇人とやり合うつもりはないらしい王子が、肩を抱くようにしてデスクに連れ帰ってくれた。そのまま恩田の隣のデスクのパソコンを立ち上げる。メンバー三人で四席あるから恩田の隣は空席なのだ。そこで平然と業務を始めてしまう。
「えっと、システムのバグってなんでしたっけ?」
 動揺から野暮なことを聞けば、彼が唇の前に人差し指を立てて笑う。
「熊田さんが戻ってくるまでここにいるよ。恩田さんだけだと、彼がまた何をやらかすか分からないから」
「……すみません。情けない主任で」
「ううん。恩田さんは悪くない。彼がおかしい」
 きっぱり言われて、また少し救われた。平気だと思っていたが、それなりにダメージは受けていたらしい。そのおかしな彼は王子が恩田の味方をしたことが気に入らなかったのか、執務室を出ていってしまった。休憩室はお気に召さない筈だが、どこで過ごすつもりだろう。いや、それより今は傍にいてくれる王子のことを考える方が有意義だ。一度意識してしまえば、今度は恋する男がすぐ隣にいる事実に困ってしまう。そんな恩田と対照的に、王子は本当に隣で仕事を始める。これが気持ちの差かと思えば哀しいが、彼がせっかく仕事に集中できる環境をくれたのだ。奇人が戻ってくる前に自分も高速で仕事をしてしまおう。
「ねぇ、恩田さん」
 だが業務アプリを開いたところで彼がモニターを見たまま言った。
「たまには怒ってもいいと思うよ。一度くらい本気で怒ったって、みんな恩田さんを悪く思ったりしないから」
 そう言って顔を向けた彼が、さっき恩田から受け取ったクリップで纏めた書類を見せてくるから、ふっと表情を緩める。しまった、好きだとバレないようにしないといけないのに、今のはあからさまだった。そう思うが、今日くらいいいじゃないかという気にもなる。
「俺も怒らない訳じゃないですよ。五年に一度くらい、周りが引くくらい怒ることがある」
 ふわふわした気持ちのまま、ついそんな秘密を口にしてしまった。
「え、何それ、聞きたい」
 椅子を寄せて食いついてくる王子に心擽られるが、辛うじて冷静な思考を取り戻す。決して好感度を上げるような話ではない。というより、ほぼ愚痴のような話。それを聞かせるのはみっともないし、今は業務中だ。彼の台詞だって社交辞令みたいなものだろう。王子は優しいのだ。
「いつか機会があればぜひ話を聞いてください」
 結局そんな無難な返しに落ち着いた。
「残念。恩田さんのことを知りたかったのに」
 多分、それは王子が常日頃から備えているサービストーク。それに勘違いするほど子どもではない。だがそこで一つ忘れていたことに気がつく。
「さっき、庇ってくれてありがとうございました」
 今更礼を言えば、王子がきょとんとした。そのすぐあとで、いつもより更に優しい顔になる。
「どういたしまして。お役に立ててよかった。これからも熊田さんがいないときは遠慮なく頼って。いや、熊田さんがいても頼ってくれていいかな」
「頼もしいです」
 そんな言葉でやりとりを終えて、その後は二人とも仕事に集中した。奇人を探しに行くようなことはしない。彼もいい大人だ。定時まで仕事を放棄すればどうなるかくらい分かっているだろう。熊田に言いつけはしないが、放置くらいは許されていい筈だ。そう思っていた彼は十分ほどで戻ってきて、王子がいるから比較的まともに仕事をしてくれた。王子が宣言通り熊田が戻ってくるまで傍にいてくれたから、久しぶりにフラットな気持ちで仕事を終える。
 帰宅前に人事課スペースを覗いてみれば、王子はまだ仕事をしていた。恩田の傍にいた分ロスさせてしまっただろうかと思えば申し訳ない。だがそれにしても、モニターに向かって集中する彼は素敵だ。
 今日は助けてもらって嬉しかった。だがずるずると甘えることは避けよう。感情を乱さないだけでなく、上手く奇人を操って、仕事に支障がない程度に仲よくなろう。教育担当二人が不仲では、不穏なものを感じた新人が辞めてしまう。それに、今以上に王子を好きになれば困ったことになる。
 為になりそうな本でも買ってみようか。たまにはネットではなく書籍も新鮮でいい。そんな風に自分をコントロールして帰路に就くのだった。
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