恋愛メンタルマネジメント

「コール業務で大切なのは平常心です。お客様の感情に引き摺られてはいけません。いかに冷静なメンタルを保つかが重要です」
 昼下がりの研修室。新人スタッフの長机の脇を歩きながら話し続ける。もう暗記してしまったフレーズだから、代わりに彼らの様子が観察できてしまう。
「では、この辺りでグループワークにしましょう。三人ずつで、ここだけ四人ですね。デスクを使いやすいように動かしてください」
 予定より少し早くそう言って、後ろの席で突っ伏している若いスタッフの肩をそっと叩いてやる。
「鈴木くん、お疲れだと思うけど、あと二時間頑張って」
 小声で注意すれば、バッと身体を起こした彼が分かりやすく慌てて辺りを見回す。せっかくバレないように声をかけてやったのにと思うが、それもまた微笑ましい。
「接客業スタッフの困った態度や、困った店舗について過去の経験を出し合ってみてください。終わったら今度はスタッフの立場に立って、何故そんな接客になってしまったのか想像して書き出してみましょう。各グループ一つずつ発表してもらいます」
 指示を出して、彼らが話しやすいように一旦ホワイトボード前の講師席に退散する。
 恩田おんだの職場である栗原企画(株)はカードローン会社だ。他の営業所で別事業にも手を出しているが、この本社ビルはクリハラカードというカード業務一本でやっている。クリハラカード。入社当時、もっとキャッチーなネーミングはできなかったのかと思ったものだが、利用者が自由にKカードやKミニと呼んでいるから、それでよかったのだろう。限度額は同業ではかなり低い二十万で、『人生を狂わせないカード』という宣伝で売り出している。限度額が少なかろうと人生を狂わせる者は狂わせるだろうが、他のカード会社に比べて平和なのだろうという気はしている。
「お客さんとスタッフ両方の立場で考えてみてください。ディスカッションが済んだら発表者を決めて」
 人事部教育担当課の恩田が担当するのは、コールスタッフの導入研修だ。本来ならコール部門の役席やベテラン社員が担当すればいいのだが、多忙で手が回らないから十人も新人を採用している訳で、実務研修に入る前の基礎研修は教育担当課が行うことになっていた。七月という半端な時期に、年齢も社会人経験もバラバラのメンバーを受け入れるのはコール部門ならではだろう。一週間敬語の基礎や通話の一般常識を学びながら、同期のメンバーで仲よくなってもらって脱落を阻止する。これも入れ替わりの激しいコール部門の特徴だ。グループワークの間に書類仕事を一つ片づけて、それから各チームのテーブルを回って話し合いが上手くいくようにアドバイスする。採用メンバーの半分は今年二八の恩田より年上だが、ありがたいことに、今回のメンバーには「年下の講師の言うことは聞かない」と子どもじみたことを言う人間はいない。そう密かに安堵するのは、以前実際にそう言ったスタッフがいたからだ。教育担当なんてやっていれば色々あるのだ。だが恩田は怒らない。怒るという感情にならない。訓練の賜物というのもあるが、元からあまり怒りで感情を乱すタイプではないのだ。
 グループワークに切り替えたお陰で、居眠りをしていた彼も元気を取り戻して楽しげにやっている。よかった。今期は十人のうち六人は年を越して働いてくれそうだ。上手くいけば八人。採用メンバーが半年で全滅も珍しくない職種で、またそんなならではのことを思う。
「どのチームも有意義な発表でした」
 和気藹々とした発表タイムを終えれば予定通り四時半になっていた。
「今日で一週間の導入研修は終了です。来週から実際コール部門のある二階での研修になります。こことはルールも変わってきますので、このあとコールの担当者から説明があります」
 今日までは人事部のある四階研修室まで上がってもらっていたが、来週からは直に二階のコール部門に出勤。恩田の仕事は一旦終了。あとは退職しないことを祈りながら、細々とした手続きやフォローを担当していく。
「コール部門でのみなさんの活躍を祈っています。事務手続きで分からないことがあれば遠慮なく質問に来てください。お疲れさまでした」
 一礼して、部屋の前に待機していたコールの社員とバトンタッチで執務室に帰っていく。一人常に寝不足のスタッフがいたが、今期はこれといった問題児がいないから事後処理も楽だ。今日は久しぶりに定時で帰ろう。思いながらIDカードで執務室の扉を開ける。そこで彼の姿が目に飛び込んできた。
冥賀みょうがさん、俺がやりますよ」
 隣の課の上司がコピー機のトナー交換をしているのに気づいて、慌てて駆けていく。冥賀みょうが泰人たいと。人事部人事課の課長代理で、恩田の密かに気になる相手だ。
「いいよ。コールの導入研修だったんでしょう? お疲れさま」
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