恋は乗り越えられない試練を与えない。
「兄さん?」
「そう。あれから、お礼をしたいって彼から連絡を貰ったんだ」
ああ、なるほどと思う。さっき彼は「手術をした人」と言った。手術のことなど話していないのに、知っていたのはそういう訳だ。
「俺も全部話した。昊の話を聞くのに、こっちが何も話さないのはフェアじゃないと思ったから。恋人だったことも一方的に振られたことも、俺はまだ好きだってことも」
大地は知らないフリを続けてくれていたということだ。
「兄さんはなんて?」
「初めて病院で会ったときからそんな気はしていたって。それで手術の話をしてくれて、時々別人みたいになるあいつに耐えられなくなるなら、今ここで引いてくれって言われた。復縁してもう一度別れるようなことになれば、あいつが立ち直れなくなるからって」
「そう」
この駅はエスカレーターがホームの中央にあって階段が奥にあるから、朝のラッシュ時以外はほとんど階段を使う人がいない。その階段に向かう通路で彼と向き合った。三分に一度電車がやってくる路線だから、ぼやぼやしているうちに次の電車がホームに入って、電車が連れてきた風が髪を靡かせていく。
「透輝はなんて返したの?」
「俺が今ここにいることが答えだ。昊のどんな姿を見ても好きでいる。だから諦めたくないって言った。お兄さんも、それなら昊の気持ちに任せようって言ってくれた」
「そっか」
もうホームの雑音も気にならないほど心が静かだった。喜んで彼に何もかも委ねるほど子どもではない。同性同士の関係というだけでハンデなのだ。そこに後遺症まで背負わせるつもりはない。
「気持ちだけありがたくいただきます。ここでお別れにしましょう? 元々俺はリーグ優勝が決まったところで改めて別れようと思っていたんです。最後の思い出作りをしようと思ったけど、もう会わない方がいいみたい」
「理由は? 俺は後遺症の話を聞いても気持ちは変わらない。どこが不満?」
口調が以前の彼らしいものに戻って、懐かしさに胸が痛む。
「俺の後遺症はこれ以上よくなる見込みがない。これからずっと付き合わなければいけない。リハビリでどうにかなる種類のものでもない」
「俺は付き合う。病気のことも勉強する」
「透輝にそんな余計なものを背負わせたくない」
「余計なことじゃない」
階段に向かって歩いていく女性がちらちらと顔を向ける。これでは内村までおかしな目で見られてしまう。
「もう好きじゃない。傍にいたくない」
「酷いことを言って俺を突き放そうとする理由は? その割に辛そうな顔をしている自覚はない?」
二度も騙されるような彼ではなかった。
「一体、何に怯えている?」
「怯えてなんか……」
「昊はずっと怯えている。俺もお兄さんも心配している」
その言い方は卑怯だ。
「昊に前みたいに暮らしてほしい。そのために俺に何ができる?」
上手く繕えなくて、もうただの事実を答えるしかない。
「怖い」
「怖い?」
「後遺症なのかどうかか分からない。それが怖いんです。酷い言動がただの本性かもしれない。透輝もいつかそんな俺に呆れて去っていく。その想像が苦しい」
本音を告げれば込み上げるものがある。それを無理やり押し込める。
「ただ性格の悪い男がトラブルを起こす。そんな男に付き合える訳がない」
それが怖かった。昊の暴挙が後遺症のせいだと誰が証明できるのか。そんな人間が愛される訳がない。
「それが昊の本性だっていうなら、受け入れる」
「無理だ」
「無理じゃない」
折れない昊を宥めるように、強引に抱きしめられた。今夜こうされるのは二度目。けれどさっきよりずっと力強い。
「漸く話してくれた」
彼が酷く満足げなのは何故だろう。
「離して」
「離さない」
逃れようと抵抗すればするほど腕に力が籠る。
「分からないなら試してみればいい。俺の傍にいて去っていかないことを確かめればいい」
「透輝」
「昊は俺がおかしなものを食べても世間知らずでも俺を嫌わなかった。俺も同じ。昊を嫌うことはない」
「そう。あれから、お礼をしたいって彼から連絡を貰ったんだ」
ああ、なるほどと思う。さっき彼は「手術をした人」と言った。手術のことなど話していないのに、知っていたのはそういう訳だ。
「俺も全部話した。昊の話を聞くのに、こっちが何も話さないのはフェアじゃないと思ったから。恋人だったことも一方的に振られたことも、俺はまだ好きだってことも」
大地は知らないフリを続けてくれていたということだ。
「兄さんはなんて?」
「初めて病院で会ったときからそんな気はしていたって。それで手術の話をしてくれて、時々別人みたいになるあいつに耐えられなくなるなら、今ここで引いてくれって言われた。復縁してもう一度別れるようなことになれば、あいつが立ち直れなくなるからって」
「そう」
この駅はエスカレーターがホームの中央にあって階段が奥にあるから、朝のラッシュ時以外はほとんど階段を使う人がいない。その階段に向かう通路で彼と向き合った。三分に一度電車がやってくる路線だから、ぼやぼやしているうちに次の電車がホームに入って、電車が連れてきた風が髪を靡かせていく。
「透輝はなんて返したの?」
「俺が今ここにいることが答えだ。昊のどんな姿を見ても好きでいる。だから諦めたくないって言った。お兄さんも、それなら昊の気持ちに任せようって言ってくれた」
「そっか」
もうホームの雑音も気にならないほど心が静かだった。喜んで彼に何もかも委ねるほど子どもではない。同性同士の関係というだけでハンデなのだ。そこに後遺症まで背負わせるつもりはない。
「気持ちだけありがたくいただきます。ここでお別れにしましょう? 元々俺はリーグ優勝が決まったところで改めて別れようと思っていたんです。最後の思い出作りをしようと思ったけど、もう会わない方がいいみたい」
「理由は? 俺は後遺症の話を聞いても気持ちは変わらない。どこが不満?」
口調が以前の彼らしいものに戻って、懐かしさに胸が痛む。
「俺の後遺症はこれ以上よくなる見込みがない。これからずっと付き合わなければいけない。リハビリでどうにかなる種類のものでもない」
「俺は付き合う。病気のことも勉強する」
「透輝にそんな余計なものを背負わせたくない」
「余計なことじゃない」
階段に向かって歩いていく女性がちらちらと顔を向ける。これでは内村までおかしな目で見られてしまう。
「もう好きじゃない。傍にいたくない」
「酷いことを言って俺を突き放そうとする理由は? その割に辛そうな顔をしている自覚はない?」
二度も騙されるような彼ではなかった。
「一体、何に怯えている?」
「怯えてなんか……」
「昊はずっと怯えている。俺もお兄さんも心配している」
その言い方は卑怯だ。
「昊に前みたいに暮らしてほしい。そのために俺に何ができる?」
上手く繕えなくて、もうただの事実を答えるしかない。
「怖い」
「怖い?」
「後遺症なのかどうかか分からない。それが怖いんです。酷い言動がただの本性かもしれない。透輝もいつかそんな俺に呆れて去っていく。その想像が苦しい」
本音を告げれば込み上げるものがある。それを無理やり押し込める。
「ただ性格の悪い男がトラブルを起こす。そんな男に付き合える訳がない」
それが怖かった。昊の暴挙が後遺症のせいだと誰が証明できるのか。そんな人間が愛される訳がない。
「それが昊の本性だっていうなら、受け入れる」
「無理だ」
「無理じゃない」
折れない昊を宥めるように、強引に抱きしめられた。今夜こうされるのは二度目。けれどさっきよりずっと力強い。
「漸く話してくれた」
彼が酷く満足げなのは何故だろう。
「離して」
「離さない」
逃れようと抵抗すればするほど腕に力が籠る。
「分からないなら試してみればいい。俺の傍にいて去っていかないことを確かめればいい」
「透輝」
「昊は俺がおかしなものを食べても世間知らずでも俺を嫌わなかった。俺も同じ。昊を嫌うことはない」