恋は乗り越えられない試練を与えない。

『八月五日 Kオリオンズは三位に大差をつけた二位をキープ。内村とも普通にやりとりをしている。まるで自分が普通の人間に戻ったみたいだ。でも後遺症は消えない。忘れないようにしないと』
 日記を閉じて考える。友達として関係復活。だが内村が頻繁に連絡してくることはなかった。戸惑う昊を気遣ってくれているのだろう。週に二、三度、無理に返事を返さなくていいようなメッセージが送られてくる。短い言葉を返すのの何倍もメッセージを読み返す。恋人時代、業務連絡みたいな言葉しか返さなかった彼が、流れるような文章を送ってくれる。昊のために努力したと言っていた。これもそのうちの一つなのだろうか。人は変わりたいと思ったときに変わることができる。それを思えば変われない自分が辛い。だが後遺症からは逃れられない。たまたま落ち着きを見せているが、気分が落ちているときは周りのもの全てに苛立つし、大きな音や人混みは苦手だ。感情を爆発させたときに一時的に記憶がなくなるのも怖かった。内村に酷い自分を見られるのが怖い。いや、そうなったとき、嫌いになった気持ちを隠して優しく振る舞われるのが怖い。そんなことになれば立ち直れなくなるから。
 昊の葛藤を知ってか知らずか、内村のラインが届いたのは、八月に入って酷暑という言葉を感じるようになった頃だった。昊は夏が好きだし、周りが言うほど暑さが辛くない。だが夏が好きだと言っただけで睨まれるようなご時世だから、周りに合わせて暑さに苦しむフリをする。前の職場に比べて天国のような職場だが、気遣いゼロという訳にはいかない。だが元の職場の苦労に比べればなんでもない。そんなことを思っていたところにさっぱりとした言葉が届く。
『バッティングセンターに行かない? そんなに大きくないけど有楽町の傍に見つけたから』
 いかにも友達らしい誘いに乗ることにした。
『行きます。駅前で待ち合わせでいいですか?』
『うん。会えなかったらラインして』
 そんな気遣いは余計だったと思うほど、当日はスムーズに合流できた。目的の場所は飲み屋街を抜けた先。内村は病院通いをしていた昊が今も弱っていると誤解している節があるから、誤解を解くために颯爽と歩いてみせる。
「凄い。結構本格的」
 オフィスビルの間にあるコンクリートの建物は意外に大きかった。三階建ての屋内にはサッカーやゴルフの設備もあるらしい。
「昊に会えない辛さを晴らすために、毎週のように通っていた」
「えっと……、ごめん」
「ああ、違う。責めたいんじゃなくて、心の支えだったってこと」
 スムーズに受付を抜けた彼が、慣れた手つきでバットを手にする。
「やってみない?」
 先に勧められたが、ぶんぶんと首を振って辞退した。野球好きのくせに自分はやったことがない。昊は観るのが楽しいのだ。
「透輝の実力を見せてください」
「びっくりするよ」
 その言葉は嘘ではなかった。
「凄い!」
 マシーンで百キロに設定した打球を、彼は一球目から当てていく。
「あと十キロ速いのもいけそう」
 あっさり十キロ上げたボールも彼は簡単に打ち返す。
「うーん。これだと捕球されてアウトか」
「いや、当てるだけで凄いですって」
 傍で見ている昊の方がボールのスピードにハラハラする。けれど久しぶりに刺激の強いものを目にする高揚感があった。手術のあとは何が体調に影響するか分からなくて、映画もカラオケもイベントもみな避けてきたから。
「ホームランを打ってください」
「了解」
 打っても打たなくても楽しくて、二人の微妙な関係を忘れて楽しんだ。汗をかきながらバットを振っていてもイケメンはイケメンで、時々見ているこっちがくらくらする。スポーツをするイケメンは凶器だ。そんな凶器のイケメンに当てられているのは昊だけではないようで、二つ隣の打席の女性二人連れが、ちらちらとこちらの打席を覗いている。
「あー、すっきりした。付き合ってくれたお礼にご飯奢る。一緒に行こう?」
 本人に気づく様子はなくて、手早く片づけを済ませた彼に通路へ促される。そこで予想外が起こった。
「昊!」
 何故か横からボールが飛んできて、気づいたときには内村に抱きしめられていた。彼の身体越しにドスッという感覚が走る。
「大丈夫!? 怪我は?」
「透輝こそ……」
 この体勢はマズいと考える余裕などないようだった。飛んできたボールから庇ってくれた。力強い腕の中で、そんな場合ではないのにバクバクと胸が鳴る。
「……ボールが当たったのは透輝ですよ。背中、痛くないですか?」
「ごめん。俺がこんなところに連れてきたから」
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