恋は乗り越えられない試練を与えない。
牧田に興奮した様子で告げられて、最初なんのことか分からなかった。
「ヘルメットですよ。子ども用でもシックなデザインにするといいって言ってくれたでしょう? 紺色の帽子にリボンをつけたデザインにしたら、ネットでぜひ使いたいって連絡が来て」
「嘘。こんなに早く?」
「はい。社長がいいと言ってくださったんで、いつもの製作会社に試作品を頼んだんです。それを会社のホームページにアップしたらお金を出して買いたいって言われて」
「凄い」
この会社は製作まではしないから、長く付き合っている製作会社にデザインを送って試作品を作ってもらう。改良を重ねて社内会議を経て販売となるのが普通なのに、それを全部飛ばして顧客に求められたということだ。
「まだ試作段階だから、欲しいと言ってくれた三つの家に無償で提供することになりました。写真とか感想を送ってもらって、改良に生かそうって社長が」
流石大地だ。上手くいけば自社開発商品の販売になる。普段メーカーの商品を介護施設に営業したり、配達や設置がメインの会社なので、自社商品販売は年に数度の喜ばしい出来事だ。
「原田さんのお陰です。きちんと商品化したら、企画デザインのところに原田さんの名前も入れてもらいますから」
「いや、いいよ。デザインしたのは牧田くんだし」
「何を言っているんですか。もう原田さんのアドバイスのお陰だって社長に言っちゃいましたよ。じゃあ、あとで試作品を持ってきますから、楽しみにしていてくださいね」
バタバタと去っていく彼の背をぼんやり眺める。若くて元気だ。なんにせよヘルメットの件はよかった。昊の言葉が少しでも役に立ったのなら嬉しい。この会社に入ったとき、大地の弟として入ったことに罪悪感があった。関係をバラさないことはもちろん、目立たず静かに仕事をしようと思った。だがその頑なさが解けた気がする。この会社は空気がいいから、後遺症が出ることもない。休憩室の窓から見える水色の空を見上げて、また少し心が回復する。
もう一度内村に会ってもいいだろうか。あと一度。きちんとお礼をして区切りをつける。それが彼のためにもいいかもしれない。そう思えるようになる。
だがそんなとき予想外が起こった。休日、着信が入ったスマホに公衆電話の文字。今時公衆電話なんてどこにあるのだろうと思いながら、鳴り続ける電話に出るしかない。なんとなく予想していたが、相手は内村だった。
「昊。よかった、出てくれた」
連絡先をブロックしているから苦肉の策だろう。昊の態度に怒ることもなく彼が要件を告げる。
「緊急事態」
「何があったんですか?」
「今から出てこられないかな。合流してタクシーで向かおう」
「向かうってどこに」
「それはあとで話す。とにかく昊の力が必要なんだ」
冗談に聞こえない声を突っぱねてしまえない。
「分かりました。電車で向かいます。どこに行けばいいですか?」
「電車に乗らなくていい。お兄さんの部屋の傍にコンビニがあったよね。俺、そこまで行く」
「え? そんな」
「十分で行くからコンビニの中で待っていて。外は暑いから」
強引に言って電話は切られた。十分で来られるなんて、彼はどこにいるのだろう。分からないが、すっぽかすつもりはないから支度をする。
指定のコンビニに向かえば、すぐに彼を乗せたタクシーがやってきた。
「乗って。一緒に来てほしいところがある」
タクシーで拾ってまた目的地まで行くとはどこまで贅沢なのだろう。庶民の昊はそう思うが、とりあえず彼に何かあった訳ではないと知って安堵する。では緊急事態とはなんだ?
「来てくれてありがとう」
「いえ」
並んで座った後部座席で、何を話していいか分からず窓の外を眺める。酷いことを言ってブロックまでしているのに、何故普通に接してくれるのだろう。きらきらとアスファルトに反射する夏の陽を眺めながら、隣の彼を想わずにいられない。
「……マンション?」
タクシーが止まったのは高層マンションの前だった。外観で結構な高級マンションだと分かる。
「内村さんの部屋?」
違うだろうなと思いながら聞けば、やはり否定の言葉が返ってくる。
「俺と昊の給料は大体同じだったんだから、こんなところに住める訳ないって分かるだろ?」
苦笑でも美しい顔を久しぶりに見た。懐かしさに痛む胸を隠すうちに、彼はタクシーを降りて、慣れた様子でエントランスのオートロックシステムに向かう。
「来ました」
『おお、入れ』
中の男性とやりとりをして開錠されたドアを入っていくから、頭に?マークを巡らせながらついていく。エレベーターで向かった八階の部屋でインターホンを鳴らせば、すぐにバタバタと誰かやってきた。
「どうぞ。よく来てくれた」
ドアを開けて出てきた人物に驚く。
「富澤さん」
「ああ、原田さん、呼び出して悪いね。どうしても原田さんに頼みたいことがあって」
世話になっている彼だから構わないが、頼みとはなんだろう。心做しか正装しているように見える姿も謎だ。
「入って、入って」
「でも」
戸惑っていれば彼の後ろからもう一人誰かが現れる。男性ではない。小柄で綺麗な女性だ。
「俺の奥さん」
まぁまぁ上がってと背を押されて、リビングで言われて驚いた。
「元奥さんだったんだけど、もう一度奥さんになってもらうことになった」
「ヘルメットですよ。子ども用でもシックなデザインにするといいって言ってくれたでしょう? 紺色の帽子にリボンをつけたデザインにしたら、ネットでぜひ使いたいって連絡が来て」
「嘘。こんなに早く?」
「はい。社長がいいと言ってくださったんで、いつもの製作会社に試作品を頼んだんです。それを会社のホームページにアップしたらお金を出して買いたいって言われて」
「凄い」
この会社は製作まではしないから、長く付き合っている製作会社にデザインを送って試作品を作ってもらう。改良を重ねて社内会議を経て販売となるのが普通なのに、それを全部飛ばして顧客に求められたということだ。
「まだ試作段階だから、欲しいと言ってくれた三つの家に無償で提供することになりました。写真とか感想を送ってもらって、改良に生かそうって社長が」
流石大地だ。上手くいけば自社開発商品の販売になる。普段メーカーの商品を介護施設に営業したり、配達や設置がメインの会社なので、自社商品販売は年に数度の喜ばしい出来事だ。
「原田さんのお陰です。きちんと商品化したら、企画デザインのところに原田さんの名前も入れてもらいますから」
「いや、いいよ。デザインしたのは牧田くんだし」
「何を言っているんですか。もう原田さんのアドバイスのお陰だって社長に言っちゃいましたよ。じゃあ、あとで試作品を持ってきますから、楽しみにしていてくださいね」
バタバタと去っていく彼の背をぼんやり眺める。若くて元気だ。なんにせよヘルメットの件はよかった。昊の言葉が少しでも役に立ったのなら嬉しい。この会社に入ったとき、大地の弟として入ったことに罪悪感があった。関係をバラさないことはもちろん、目立たず静かに仕事をしようと思った。だがその頑なさが解けた気がする。この会社は空気がいいから、後遺症が出ることもない。休憩室の窓から見える水色の空を見上げて、また少し心が回復する。
もう一度内村に会ってもいいだろうか。あと一度。きちんとお礼をして区切りをつける。それが彼のためにもいいかもしれない。そう思えるようになる。
だがそんなとき予想外が起こった。休日、着信が入ったスマホに公衆電話の文字。今時公衆電話なんてどこにあるのだろうと思いながら、鳴り続ける電話に出るしかない。なんとなく予想していたが、相手は内村だった。
「昊。よかった、出てくれた」
連絡先をブロックしているから苦肉の策だろう。昊の態度に怒ることもなく彼が要件を告げる。
「緊急事態」
「何があったんですか?」
「今から出てこられないかな。合流してタクシーで向かおう」
「向かうってどこに」
「それはあとで話す。とにかく昊の力が必要なんだ」
冗談に聞こえない声を突っぱねてしまえない。
「分かりました。電車で向かいます。どこに行けばいいですか?」
「電車に乗らなくていい。お兄さんの部屋の傍にコンビニがあったよね。俺、そこまで行く」
「え? そんな」
「十分で行くからコンビニの中で待っていて。外は暑いから」
強引に言って電話は切られた。十分で来られるなんて、彼はどこにいるのだろう。分からないが、すっぽかすつもりはないから支度をする。
指定のコンビニに向かえば、すぐに彼を乗せたタクシーがやってきた。
「乗って。一緒に来てほしいところがある」
タクシーで拾ってまた目的地まで行くとはどこまで贅沢なのだろう。庶民の昊はそう思うが、とりあえず彼に何かあった訳ではないと知って安堵する。では緊急事態とはなんだ?
「来てくれてありがとう」
「いえ」
並んで座った後部座席で、何を話していいか分からず窓の外を眺める。酷いことを言ってブロックまでしているのに、何故普通に接してくれるのだろう。きらきらとアスファルトに反射する夏の陽を眺めながら、隣の彼を想わずにいられない。
「……マンション?」
タクシーが止まったのは高層マンションの前だった。外観で結構な高級マンションだと分かる。
「内村さんの部屋?」
違うだろうなと思いながら聞けば、やはり否定の言葉が返ってくる。
「俺と昊の給料は大体同じだったんだから、こんなところに住める訳ないって分かるだろ?」
苦笑でも美しい顔を久しぶりに見た。懐かしさに痛む胸を隠すうちに、彼はタクシーを降りて、慣れた様子でエントランスのオートロックシステムに向かう。
「来ました」
『おお、入れ』
中の男性とやりとりをして開錠されたドアを入っていくから、頭に?マークを巡らせながらついていく。エレベーターで向かった八階の部屋でインターホンを鳴らせば、すぐにバタバタと誰かやってきた。
「どうぞ。よく来てくれた」
ドアを開けて出てきた人物に驚く。
「富澤さん」
「ああ、原田さん、呼び出して悪いね。どうしても原田さんに頼みたいことがあって」
世話になっている彼だから構わないが、頼みとはなんだろう。心做しか正装しているように見える姿も謎だ。
「入って、入って」
「でも」
戸惑っていれば彼の後ろからもう一人誰かが現れる。男性ではない。小柄で綺麗な女性だ。
「俺の奥さん」
まぁまぁ上がってと背を押されて、リビングで言われて驚いた。
「元奥さんだったんだけど、もう一度奥さんになってもらうことになった」