恋は乗り越えられない試練を与えない。

 すぐにやってきたタクシーに乗り込んで自宅住所を告げた。あとは後部座席に背中を預けて目を閉じる。
「ごめん。俺が責めるみたいなことを言ったから」
 言われて首を振る。
「内村さんのせいではありません。時々こんな風になるんです」
 何故かとは言わなかった。昊が病院に行ったことだけで、彼はその後を知らない。昊が話していないから。気にならない筈はないのに聞かないから、無言で車に揺られる。身体の怠さもあって、不覚にも少し眠ってしまう。
「昊、着いた」
 肩を揺すられて目覚めたときには支払いまで済んでいた。
「ごめん。ちゃんと払う」
「そんなことはいい。それより部屋まで送る。心配だから」
 断ることができずに、肩を支えられて二階の部屋に帰った。
「昊、どうしたんだ?」
 仕事でいないかと思っていたのに、部屋には大地がいた。
「外で体調が悪くなってしまって、ここまで送らせてもらいました」
 内村が簡単に説明して昊の身体を大地に預ける。
「ありがとう。助かった。確か内村さんだったよな? 前に昊が病院に運ばれたときにもいてくれた」
「内村透輝といいます。以前昊さんと同じ職場で働いていて」
 彼が大地に頭を下げる様子に困ってしまう。それじゃ、まるで特別な関係みたいだ。
「昊が迷惑をかけて悪いな。今度きちんと礼に」
「いえ。それより昊さんのことをお願いします」
 どう聞いてもただの友達ではない言い方をして去っていったのは意趣返しだろうか。コミュ障でも変人でもない。今更、彼にぶつけた酷い言葉を思い出して頭痛が酷くなる。
「昊、とりあえず横になれ。車で病院に行くか?」
「ううん、平気」
 言われるまま着替えてベッドに落ち着けば、傍に椅子を持ってきて大地が傍にいてくれる。
「何かあったか?」
 聞かれて首を振る。
「何もないよ。内村さんと内村さんの先輩と三人で野球を観ただけ。ちょっとはしゃぎすぎた」
 それだけ言って目を閉じる。三人で観たというのは嘘だが、これくらいは許される。
「彼にちゃんとお礼をしないとな」
「うん」
 タクシー代は返さなければならない。そのためにもう一度会う。それを嫌だと思っていない気持ちが厄介だった。礼を言うだけで済むだろうか。足搔いてしまいそうな自分が苦しい。
「ちゃんと寝ろよ。明日も俺、家にいるから」
 悩む昊の思考を読んだように、彼がぽんと胸に手を置いてくれる。
「兄さん」
「ん?」
「俺が感情の制御ができなくなるシーンを何度も見たでしょう? 軽蔑しなかった?」
 なんだか聞かずにいられなくなって聞いた。じっと見つめれば、彼も逸らさずに返してくれる。
「弟を軽蔑する訳ないだろ? その瞬間、昊が苦しいなら助けてやりたいと思うけどな」
「そう。ありがとう、色々」
「あいつ、お前の大事な人か?」
 雰囲気で察しただろうに、彼は昊に答えを求める。
「違うよ。ただの同期。仕事が大変だったとき、よく手伝ってくれたんだ。部署も違うのに」
「じゃあ、それも含めてきちんとお礼しないとな。退職した頃、バタバタしていて挨拶できなかっただろ?」
「……そうだね」
 辞め方が辞め方だったし、内村との別れも最低だった。幸せな気持ちを沢山貰ったのに、恩を仇で返すような真似をしてしまった。だがあのとき、落ちていく人生に彼を巻き込みたくなかったのだ。自身の人生はどうなってもいい。けれど彼の人生を壊したくない。
「とりあえず今日は寝ておけ。お前の相談ならいつでも聞くから」
「うん」
 もう一度目を閉じる。大地の言葉はいつも正しい。だが内村とのことを話す訳にはいかない。同性の恋人。話せば内村に迷惑をかける。連絡先をブロックしたままだから、お金やお礼の品は富澤に託そうか。眠りに落ちる直前に思う。
『無理だな。俺はよく物をなくすから、頼まれものはしないことにしているんだ』
 翌日、彼に入れたラインで計画はあっさり散った。
『あいつに渡したいものがあるなら直接会ってやってくれ。喜ぶから』
 そう言われて返す言葉がない。富澤は内村の気持ちを尊重するつもりだ。軽い調子だが一度決めたことは覆さないタイプだろうから、富澤に託すという選択肢は消えた。となると宅配便か。宅配ボックスに荷物が届いていたら、お礼どころか傷つけてしまいそうだ。内村を傷つけたい訳ではない。どうしたものか。悩むうちに日々が過ぎて梅雨も明ける。連絡できないことを悩みながら、からりとした晴天が続けば少しだけ気持ちが晴れる。そんな心に呼応するように嬉しい報告が舞い込んできた。
「原田さん、凄いですよ。試作品に注文が入ったんです。三件も」
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