恋は乗り越えられない試練を与えない。
それなら自分たちが内村の傍にいてやればよかった。週に一度でも二度でも、子どもと一緒に過ごしてやればよかったじゃないかと思う。彼の不思議な言動の理由を理解する。子どもらしい食べ物を乞うのは、欲しかった子ども時代に与えられなかったから。普通の人間が普通に知っていることを知らないのは、親に経験させてもらえなかったから。人とつるまないのは、自分の子さえ寄せつけない両親を見て育ったから。考えるほどに胸が痛む。
「ああいうタオル」
画面の中でどちらかのチームがホームランを打ったらしく、観客がタオルを振って歓声を上げている。そのタオルを指して、彼が少しだけ表情を和らげる。
「小学生のとき、一度だけ野球観戦に連れていってもらったことがある」
一つでも思い出があることに救われる。
「多分、母親が取引先からチケットを貰ったとかそういう理由だったと思うけど。でも子どもだから嬉しかった。忙しいから試合が終わる前に帰ることになったけど、球場って場所が嬉しくて」
「うん。分かる」
昊の応えに安堵したように、彼がまた少し表情を和らげる。
「そのときKオリオンズのタオルを貰ったんだ。知っているか? Kオリオンズは当時、ファンを増やすために観客全員に無料でグッズを配っていて」
「もちろん。今も配ることがあるらしいし」
「人気チームになったと思っていたけど、今もファン獲得に必死なんだな」
「所詮、じゃない方のリーグだから」
そこで二人で笑って、彼がまたテレビに視線を向ける。
「タダでタオルを貰って、母親はこれでお土産を買う手間が省けたと言ったけど、それでも俺は嬉しかった。だから、なんの趣味もなく暮らしている日々の中で、Kオリオンズだけはちょっと気になる存在だった」
「内村さん」
思わず彼の身体を抱きしめていた。幼少期の辛い思い出から救ってやりたいなんて、そんな傲慢なことは思わない。ただ、昊の傍にいると少しでも楽になると思ってもらえたらいい。
「思い出のチームがKオリオンズでよかった。そのお陰で、こうして内村さんの傍にいられるようになったから」
「そうだな」
短く目を閉じて、彼が昊の腕に触れる。
「それに、内村さんのご両親が一時でも子どもを欲しいと思ってくれてよかった。そのお陰で俺は過労死していないし、課長を刺してもいない」
「物騒だな」
「今更気づいた?」
彼が笑って震える肌が擽ったいから、もっと強く抱きしめてやる。
「原田さん」
そのうち腕を引かれて、逆に彼の腕の中に収まっていた。
「あ……」
瞬くうちに額に唇が触れて、ついでに昊の唇も奪っていく。
「内村さん」
「それやめない?」
近距離で見つめたまま首を傾げれば、彼が苦笑する。
「内村さんって呼ぶの。俺も昊って呼びたい」
「ああ、そうか」
今まで気づかなかったのもおかしな話だ。
「俺の名前は知っている?」
「もちろん」
内村透輝。その名前は、何故か新人研修のときから忘れられなかった。ずっと興味がなかったなんて嘘だ。本音の本音は、ずっと彼のことが気になっていた。
「昊」
「透輝……って、なんか思ったより恥ずかしい」
「今更、何」
テレビの向こうでCブルータスが大敗していた。実況のアナウンサーが声を上げているが、そんなことはもうどうでもいい。名前を呼び合ってキスを繰り返す。付き合い始めてから二人で過ごすのはこれが初めて。けれど大人だから、色々手順を踏まなくてもいい。彼になら何をされてもいい。そのつもりで触れ合っていたが、彼がぴたりと動きを止めて身体を離してしまう。肩を押して離れられれば不安になる。
「どうかした?」
「いや……」
彼は困っていた。綺麗な顔が眉を寄せて、何かと懸命に戦っている。
「ごめん。俺、昊を抱きたい」
思うことは同じだった。
「いいですよ? だってもう恋人だから」
昊の身体を案じているのなら心配はなかった。以前も恋人はいたし身体の経験もある。だが続いた言葉は予想外だ。
「俺、誰ともやったことがない」
「え、嘘」
流石に驚いた。神様に作られたみたいに綺麗な男が二七まで経験がないなんて。彼にその気がなくても、寄ってくる人間は男も女も多くいただろうに。
「子どもができる行為っていうのが怖いんだ。俺みたいなのを作りたくない」
零れた本音に、些細なことはどうでもよくなった。彼にごく普通の幸せを与えてやりたい。その気持ちが強くなって、もう一度彼を抱きしめる。
「今、俺を欲しいって思う?」
「欲しい」
「じゃあ、来て」
「ああいうタオル」
画面の中でどちらかのチームがホームランを打ったらしく、観客がタオルを振って歓声を上げている。そのタオルを指して、彼が少しだけ表情を和らげる。
「小学生のとき、一度だけ野球観戦に連れていってもらったことがある」
一つでも思い出があることに救われる。
「多分、母親が取引先からチケットを貰ったとかそういう理由だったと思うけど。でも子どもだから嬉しかった。忙しいから試合が終わる前に帰ることになったけど、球場って場所が嬉しくて」
「うん。分かる」
昊の応えに安堵したように、彼がまた少し表情を和らげる。
「そのときKオリオンズのタオルを貰ったんだ。知っているか? Kオリオンズは当時、ファンを増やすために観客全員に無料でグッズを配っていて」
「もちろん。今も配ることがあるらしいし」
「人気チームになったと思っていたけど、今もファン獲得に必死なんだな」
「所詮、じゃない方のリーグだから」
そこで二人で笑って、彼がまたテレビに視線を向ける。
「タダでタオルを貰って、母親はこれでお土産を買う手間が省けたと言ったけど、それでも俺は嬉しかった。だから、なんの趣味もなく暮らしている日々の中で、Kオリオンズだけはちょっと気になる存在だった」
「内村さん」
思わず彼の身体を抱きしめていた。幼少期の辛い思い出から救ってやりたいなんて、そんな傲慢なことは思わない。ただ、昊の傍にいると少しでも楽になると思ってもらえたらいい。
「思い出のチームがKオリオンズでよかった。そのお陰で、こうして内村さんの傍にいられるようになったから」
「そうだな」
短く目を閉じて、彼が昊の腕に触れる。
「それに、内村さんのご両親が一時でも子どもを欲しいと思ってくれてよかった。そのお陰で俺は過労死していないし、課長を刺してもいない」
「物騒だな」
「今更気づいた?」
彼が笑って震える肌が擽ったいから、もっと強く抱きしめてやる。
「原田さん」
そのうち腕を引かれて、逆に彼の腕の中に収まっていた。
「あ……」
瞬くうちに額に唇が触れて、ついでに昊の唇も奪っていく。
「内村さん」
「それやめない?」
近距離で見つめたまま首を傾げれば、彼が苦笑する。
「内村さんって呼ぶの。俺も昊って呼びたい」
「ああ、そうか」
今まで気づかなかったのもおかしな話だ。
「俺の名前は知っている?」
「もちろん」
内村透輝。その名前は、何故か新人研修のときから忘れられなかった。ずっと興味がなかったなんて嘘だ。本音の本音は、ずっと彼のことが気になっていた。
「昊」
「透輝……って、なんか思ったより恥ずかしい」
「今更、何」
テレビの向こうでCブルータスが大敗していた。実況のアナウンサーが声を上げているが、そんなことはもうどうでもいい。名前を呼び合ってキスを繰り返す。付き合い始めてから二人で過ごすのはこれが初めて。けれど大人だから、色々手順を踏まなくてもいい。彼になら何をされてもいい。そのつもりで触れ合っていたが、彼がぴたりと動きを止めて身体を離してしまう。肩を押して離れられれば不安になる。
「どうかした?」
「いや……」
彼は困っていた。綺麗な顔が眉を寄せて、何かと懸命に戦っている。
「ごめん。俺、昊を抱きたい」
思うことは同じだった。
「いいですよ? だってもう恋人だから」
昊の身体を案じているのなら心配はなかった。以前も恋人はいたし身体の経験もある。だが続いた言葉は予想外だ。
「俺、誰ともやったことがない」
「え、嘘」
流石に驚いた。神様に作られたみたいに綺麗な男が二七まで経験がないなんて。彼にその気がなくても、寄ってくる人間は男も女も多くいただろうに。
「子どもができる行為っていうのが怖いんだ。俺みたいなのを作りたくない」
零れた本音に、些細なことはどうでもよくなった。彼にごく普通の幸せを与えてやりたい。その気持ちが強くなって、もう一度彼を抱きしめる。
「今、俺を欲しいって思う?」
「欲しい」
「じゃあ、来て」