恋は乗り越えられない試練を与えない。
ずっと綺麗だと思い続けて、ひょんなことから好きになった男と付き合うことになった。そんな現実感のないふわふわした『好き』が、狂おしいほどの『好き』に変わるのに時間は掛からなかった。彼の過去を知ったとき、自分が全力で彼の人生を幸せなものにしたいと思ったのだ。
約束の土曜日、彼は本当にケーキを買ってきた。けれどまさか男二人でホールケーキを買ってくるとは思わない。
「ありがとう。ここのキャラメルタルト好きなんです」
驚いたが、恋人になったばかりの男に突っ込むことでもない。受け取ったケーキの箱を胸に抱いて笑ってみせる。が、やはり僅かに戸惑いが出てしまったらしい。
「ごめん。小さいケーキをなんて言って買えばいいか分からなかった」
「カットケーキでいいんじゃないですか? でも俺、凄く嬉しいですよ。沢山食べられるから」
「そっか」
彼の顔に控えめな安堵が広がる。ホールで買ったものの、やはり間違いだったかもしれないと悩みながらここまで来たのだろうか。それなら、昊の前でそんなことを気にしなくていいと知ってほしい。
「入ってください。今日はロールキャベツを作ってみたんです」
「ロールキャベツって作れるの?」
「割と定番料理ですよ。あとはバゲットを買ってきました」
彼の不思議な世間知らずを微笑ましく思いながら、テレビの前のソファーで二人の昼食になる。
「おいしい」
「ありがとう」
やりとりは先週と変わらないのに、空気がどこか甘いのは気のせいではない。内村が纏う空気が柔らかくなった。それが昊の影響なら嬉しい。
「朝からパンを買いに行ってくれた?」
「ですね。料理の材料を買うついでに」
「この長いパンって、どうやって持ち帰るの?」
「普通に紙袋に入れてくれますよ。それを腕に抱えて帰ってきます」
パン屋というものに縁がなかったのだろうか。彼が顎に拳を当てて何やら考える。
「今度一緒にパン屋に行きたい」
「ぜひ」
彼が知らないことがあるなら、一緒に知っていけばいいと思った。
「俺の部屋、こういうナイフもケーキを切る包丁もないんだ。料理なんてしないから」
今度はロールキャベツ用のナイフを眺めてしみじみと言う。
「それなら、切らないと食べられないものを貰ったときはここに持ってきてください。一緒に食べましょう?」
「……原田さんは俺が何を言っても笑わないから、色々隠さなくていい」
「だって笑う理由がないですから」
即答してやれば、彼が表情を変えないままロールキャベツに視線を戻す。ほとんど変わらないように見えて、実は少しだけ口角が上がっている。嬉しいと思ってくれている。そう分かるのが嬉しい。
「あ、そろそろ試合が始まりますね。ブルータスが負けてオリオンズが優勝に近づきますように」
今日Kオリオンズはナイトゲームだから、先に敵が負けたと分かれば弾みになる。CMの間に手早く片づけをしてしまって、ケーキを食べながら野球観戦を始める。先週と同じ流れだが、その日は一つイレギュラーがあった。
「三振! このまま三者凡退で」
「このピッチャーいいな。トレードで来た奴か?」
「ですね。前のチームではなかなか出番がなかったみたいですけど、Kオリオンズは育てるのが上手いから」
画面の向こうに好き勝手言っていたところに、ピンポンとチャイムが鳴る。
「誰だろう? ちょっと待っていてください」
立ち上がってドアホンで応じれば、やってきたのは兄の大地だ。彼なら要件を聞く必要もないと、パタパタと玄関に駆けていく。
「久しぶり、昊」
「うん。どうしたのいきなり?」
はっきりとした二重に癖毛、身長は一八〇センチ。そんな、昊とは正反対の見た目の彼が、抱えていた箱を差し出してくる。
「これ頂き物。消費期限がすぐだから持ってきた」
「いつもありがとう」
介護用品の会社を経営している彼は、こうして時々取引先や顧客から貰ったお菓子を持ってくる。
「あ、お客さん?」
「そう。……友達。一緒に野球を観ていて」
流石に恋人と他言するのは早い。
「じゃあ、友達によろしく」
そう言って、大地は『友達』に頓着することもなく帰っていった。だが全く気にしないということはないだろう。彼は鋭い。特に昊のプライベートは、どこかで見ているんじゃないかと思うほど言い当てるから、そのうち突っ込まれるかもしれない。
「兄さんだった。お菓子を置いていった」
「お兄さん?」
リビングに戻れば、彼の顔に少しだけ戸惑いが走る。
「そう。会社をやっているからお菓子を沢山貰うみたいで、時々俺に届けに来るんです」
約束の土曜日、彼は本当にケーキを買ってきた。けれどまさか男二人でホールケーキを買ってくるとは思わない。
「ありがとう。ここのキャラメルタルト好きなんです」
驚いたが、恋人になったばかりの男に突っ込むことでもない。受け取ったケーキの箱を胸に抱いて笑ってみせる。が、やはり僅かに戸惑いが出てしまったらしい。
「ごめん。小さいケーキをなんて言って買えばいいか分からなかった」
「カットケーキでいいんじゃないですか? でも俺、凄く嬉しいですよ。沢山食べられるから」
「そっか」
彼の顔に控えめな安堵が広がる。ホールで買ったものの、やはり間違いだったかもしれないと悩みながらここまで来たのだろうか。それなら、昊の前でそんなことを気にしなくていいと知ってほしい。
「入ってください。今日はロールキャベツを作ってみたんです」
「ロールキャベツって作れるの?」
「割と定番料理ですよ。あとはバゲットを買ってきました」
彼の不思議な世間知らずを微笑ましく思いながら、テレビの前のソファーで二人の昼食になる。
「おいしい」
「ありがとう」
やりとりは先週と変わらないのに、空気がどこか甘いのは気のせいではない。内村が纏う空気が柔らかくなった。それが昊の影響なら嬉しい。
「朝からパンを買いに行ってくれた?」
「ですね。料理の材料を買うついでに」
「この長いパンって、どうやって持ち帰るの?」
「普通に紙袋に入れてくれますよ。それを腕に抱えて帰ってきます」
パン屋というものに縁がなかったのだろうか。彼が顎に拳を当てて何やら考える。
「今度一緒にパン屋に行きたい」
「ぜひ」
彼が知らないことがあるなら、一緒に知っていけばいいと思った。
「俺の部屋、こういうナイフもケーキを切る包丁もないんだ。料理なんてしないから」
今度はロールキャベツ用のナイフを眺めてしみじみと言う。
「それなら、切らないと食べられないものを貰ったときはここに持ってきてください。一緒に食べましょう?」
「……原田さんは俺が何を言っても笑わないから、色々隠さなくていい」
「だって笑う理由がないですから」
即答してやれば、彼が表情を変えないままロールキャベツに視線を戻す。ほとんど変わらないように見えて、実は少しだけ口角が上がっている。嬉しいと思ってくれている。そう分かるのが嬉しい。
「あ、そろそろ試合が始まりますね。ブルータスが負けてオリオンズが優勝に近づきますように」
今日Kオリオンズはナイトゲームだから、先に敵が負けたと分かれば弾みになる。CMの間に手早く片づけをしてしまって、ケーキを食べながら野球観戦を始める。先週と同じ流れだが、その日は一つイレギュラーがあった。
「三振! このまま三者凡退で」
「このピッチャーいいな。トレードで来た奴か?」
「ですね。前のチームではなかなか出番がなかったみたいですけど、Kオリオンズは育てるのが上手いから」
画面の向こうに好き勝手言っていたところに、ピンポンとチャイムが鳴る。
「誰だろう? ちょっと待っていてください」
立ち上がってドアホンで応じれば、やってきたのは兄の大地だ。彼なら要件を聞く必要もないと、パタパタと玄関に駆けていく。
「久しぶり、昊」
「うん。どうしたのいきなり?」
はっきりとした二重に癖毛、身長は一八〇センチ。そんな、昊とは正反対の見た目の彼が、抱えていた箱を差し出してくる。
「これ頂き物。消費期限がすぐだから持ってきた」
「いつもありがとう」
介護用品の会社を経営している彼は、こうして時々取引先や顧客から貰ったお菓子を持ってくる。
「あ、お客さん?」
「そう。……友達。一緒に野球を観ていて」
流石に恋人と他言するのは早い。
「じゃあ、友達によろしく」
そう言って、大地は『友達』に頓着することもなく帰っていった。だが全く気にしないということはないだろう。彼は鋭い。特に昊のプライベートは、どこかで見ているんじゃないかと思うほど言い当てるから、そのうち突っ込まれるかもしれない。
「兄さんだった。お菓子を置いていった」
「お兄さん?」
リビングに戻れば、彼の顔に少しだけ戸惑いが走る。
「そう。会社をやっているからお菓子を沢山貰うみたいで、時々俺に届けに来るんです」